第9話 地獄の電車の運転手。
しばらく乗っていると、上が見えてきました。
「もうすぐ着くから、足元を気を付けてよ」
ドクロくんに言われて、私は、自分の足元に注意します。
終点に着くと、私は、赤鬼くんと雪子ちゃんの手を取って降り立ちます。
やっと着いた。でも、まだ始まったばかりです。
着いて見ると、そこは何もない、真っ白い世界でした。
雲も壁もなく、空でもなく、海でもない、どこまでも広い世界でした。
「ここは?」
「法の番人がいるところだよ。なぎさちゃんの世界で言うなら、裁判所って感じかな」
ここが裁判所? 私が知ってる場所とは、まるで違います。
そんな私の目の前に現れたのは、数えきれないほどの人の行列でした。
何千人、何万人、イヤ、もっといるのかもしれない。最後尾は、まったく見えません。
「この人たちはなんなの?」
「死んだ人だよ。これから、番人に地獄か天国に行くか、判決の順番を待ってるんだよ」
「こんなにいるの?」
「そうだよ。毎日、世界中では、たくさんの人が死んでるからね」
私たちは、そんな順番を待ってる人たちの横を見ながらドクロくんの後について歩きました。
私の横に並んでいる人たちは、死んでいるから仕方がないとはいえ、どの顔にも精気もなく、俯いて無表情でした。
私も死ぬと、こんな顔をして、順番を待つのだろうか・・・
そんなことを思いながら歩いていると、前の方に一際輝く舞台が見えました。
私たちは、そこに向かって歩きます。
「やぁ、番人。久しぶりだね」
「なんだ、誰かと思ったら、ドクロ坊主か。何しに来たんだ。私は、仕事中なんだ」
「わかってるよ。俺だって、大王様に言われてきたんだよ」
「大王様の? それなら、仕方ないな。それで、何の用だ?」
ドクロくんは、まずは、私たちに法の番人を紹介しました。
「初めまして、社長秘書の早乙女なぎさと申します。どうぞ、よろしくお願いします」
「キミが、秘書のなぎさちゃんか。噂には聞いていたから、一度、会いたかったんだよ」
そう言って、紹介された法の番人は、なんと、手の平サイズの男の子でした。
30センチくらいの高さで、白い布をまとって、手も足も見えません。
頭には、七色の光る石の冠を乗せて、糸のように細い目が笑っているように見えます。こんなうごく人形みたいな人が、法の番人で、地獄と天国の判決を下している偉い人には、見えませんでした。
「それで、秘書のキミが、私に何の用なの? こう見えて、私は、忙しいんだよね」
機嫌を損ねないうちに要件を済ませよう。私は、番人を手の平に乗せて、社長の言伝を説明しました。
「う~む・・・、そんな、番人を増やせと言っても、急には無理だよ」
「だったら、もっと、判決を早めるとか・・・」
「それも無理だよ。ちゃんと、一人一人、きちんと吟味して、生前の罪とか調べてから、天国に行くのか地獄に行くのか、決めなきゃいけないんだから、時間はかかるさ」
「わかってます。でも、天上界も地獄も魔界も人手不足で困ってるんです。番人のあなたが、もっと仕事を早くしてもらわないと、みんな困るんです」
すると、番人は、困った顔をして腕組みをして考え込んでしまいました。
「なぁ、番人、なぎさちゃんがこうして、ここまで来たんだから、考えてくれよ」
「そうよ、わざわざ来たのよ」
「そうだよ。なぎさちゃんもがんばってるんだぞ」
赤鬼くんや雪子ちゃんだけでなく、ドクロくんまでが、私のために声を上げてくれました。
「ありがとう、みんな。お願いします。番人様、何とか考え直してくれませんか?」
私も必死の説得を続けました。すると、番人は、顔を上げて言いました。
「よし、わかった。なぎさちゃんの願いを聞こう」
「ありがとうございます」
「ただし、私からも、条件を付けさせてもらおう」
「条件ですか?」
「そうだ。そんなに仕事を急がせたいとか、番人を増やせというなら、私の弟子を正式な番人にするというのはどうだ?
そうすれば、仕事は、二倍に早くなるぞ」
それは、いい考えだ。番人を増やすと言っても、誰にしたらいいとか人選が難しい。でも、番人のお弟子さんなら信用できる。
「わかりました。そのことは、帰って社長と相談します」
「わかった」
番人の一言で、私は、肩の荷が下りました。ホッとしていると、番人は、さらに言いました。
「どうせなら、私の弟子を見ていかんか。おい、バカ弟子、出てきて挨拶しろ」
番人が言うと、突然、何もない空にヒビが入って、ガラスのように砕け散ったのです。
「あぶない!」
私は、子供たちを守るように抱きしめました。
「大丈夫だよ。こら、早く出て来い」
すると、割れた空から一人の女の子が現れました。その子は、私の前に立ちました。
顔を上げると、そこにいたのは、中学生くらいのセーラー服を着た女の子でした。
「ようこそ、番人の館へ。早乙女なぎささん」
「えっ! どうして、私の名前を?」
「みんな知ってるわよ。この地獄で、あなたの名前を知らない者なんて、一人もいないわよ。だって、あなたは、有名人だもの。まさか、大王様の秘書に、生きた人間の女の人を雇うなんて、信じられないもの」
そういう女の子は、私よりも背が低い、紫色のセーラー服を着て、紫色の長い髪に、紫色の瞳をした中学生くらいの可愛い女の子です。でも、自分の身長よりも長い、カマを持って構えていました。
「私の名前は、ホタル。時空の番人をしている、プルート女王の娘よ」
またしても知らない人の名前を聞いて、私は、何と返事をしたらいいかわかりませんでした。
「そうなんですか。初めまして」
「話は聞いたわ。師匠、やっと、正式な番人になれますね」
「まだ、早いんだがね」
「だいたい、師匠は、時間にルーズなんです。それがいけないんですよ。だから、大王様や神様が怒ってるんです」
「そんなことはない」
「なにを言ってるんですか。今日だって遅刻してきたし、残業だってしないし、勝手に早仕舞いするし、今だって、朝から何人判決したと思ってるんですか? たったの12人ですよ。それじゃ、人手不足になるに決まってる
じゃないですか。だから、いつも、あたしが・・・」
「わかった、わかった。お前を正式に番人に推薦するから、それでいいだろ」
「よろしくお願いします。お師匠様」
なんだ、この師弟は・・・ 師匠より弟子のが強そうだ。体のサイズはともかく、口では番人は負けそうだ。
「そういうことだから、大王様には、よろしく伝えてね」
「ハイ、必ず」
私は、丁寧にお礼を言って、頭を下げました。とにかく、これで仕事が終わった。
番人を説得するには、私よりもお弟子さんのがよかったらしい。
「それじゃ、みんな、帰ろうか」
私は、そう言って、ドクロくんを促しました。
「なにを言ってんだよ。まだ、仕事が残ってるよ」
「えっ?」
ドクロくんが私を呼び止めました。
「天獄列車を見学するんでしょ」
「あっ、そうだった。でも、どこにあるの?」
「あっちだよ」
私は、番人と別れて、ドクロくんの後について行きました。
相変らず真っ白い空間の中を歩くと、正面に突然巨大な扉が現れました。
見上げるほどに大きく、この扉の向こうは、どうなってるのか、見当もつきません。
「ピロピロピロ~ン、開けてチョンマゲェ」
いきなり、ドクロくんが叫ぶと、巨大な扉が音もしないで静かに開いたのです。
「鍵の代わりに、合言葉を言わないと、開かないからね。ちゃんと覚えてよ」
イヤイヤ無理だと思う。地獄というところは、鍵の代わりに、どこも合言葉とか早口言葉ばかりだ。
扉が開くと、そこにあったのは、テレビで見たことある、新幹線が止まっていました。
「これって、新幹線よね」
「そうだよ。それも、初代ね」
私が生まれる前に走っていた、初代新幹線がありました。もちろん、私は、乗ったことがありません。
「これが、天獄国列車なの?」
まさか私でも知ってる、新幹線が天獄列車だったとは、夢にも思いませんでした。
「もしかして、これを、私が運転するの?」
「そうだよ。これで、死者を天上界まで運ぶんだよ」
「やっぱり、無理だって。私が新幹線を運転なんて、出来っこないよ」
いくらなんでも、これは無理だ。車の免許もないし、自転車だってまともに運転できない私が、新幹線を運転するなんて、出来るわけがないし、無免許なんだからやっちゃいけない。
でも、ここは、地獄だから、それも関係ないんだろう・・・
私は、新幹線を見上げて深いため息を漏らしました。
「なぎさ、がんばってね」
「お姉ちゃん、すごいねぇ」
二人は、感心して私を見ているけど、そんなに言うほど簡単なことではない。
「それと、地獄に行くときは、こっちの電車だよ」
そう言って、見せてくれたのは、見るからにボロボロの茶色の電車でした。
しかも、窓ガラスがいくつも割れているか、ひびが入っています。
確かに、これは地獄に行きそうな雰囲気がある。私は、ため息とともに一応聞いてみました。
「これって、動くの?」
「動くよ」
「これも私が運転するのよね?」
「そうだよ。ちなみに、通称ドドロっていうから、覚えておいてね」
いかにもそんな名前にふさわしい電車だ。しかも、ドドロって、一度聞いたら絶対に忘れそうにない。
「これから、線路を引いて、天上界とも話し合いがあるけど、本決まりみたいなもんだから、運転の教習するからがんばってね」
そんなに軽く言わないでほしい。私には、とても荷が重そうな気がする。
やっとのことで、秘書室に戻ってきた私たちは、一度、社長室に報告に行きました。
「本日の報告は、以上です」
「ご苦労だったね、なぎさちゃん」
社長は、カパコちゃんをおんぶしながら、そばにいる子供たち三人を見ながら言いました。
子供たちは、社長を目の前にすると、かなり緊張して、私の後ろに隠れていました。
やっぱり、子供ながらに、エンマ大王を間近で見るのは、勇気がいるらしい。
「それじゃ、今日は、もう帰っていいよ。また、明日ね」
「ハイ、お先に失礼します。お疲れ様でした」
私は、丁寧にお辞儀をして、社長室を後にしました。
「キミたち、緊張した?」
秘書室に戻った私は、帰る用意をしながら子供たちに言うと、三人とも大きく頷きました。
やっぱり、口では何か言っても、子供らしいところもあるなと可愛く思いました。
そして、合言葉を言って、寮の洗面所に出ました。
親たちが迎えに来るまで、寮の私の部屋で預かることにしました。
部屋に戻ると、子供たちも安心したみたいです。
私は、カパコちゃんを背中から降ろすと、目を覚まして、四つん這いでハイハイを始めました。
「カパァ、カパァ」
「カパコちゃんは、もう、ハイハイできるのね」
「カパァ、カパァ」
そう言って、鳴きながら部屋中を這いずり回って楽しそうです。
隣では、赤鬼くんと雪子ちゃんが、アッチむいてホイを楽しそうに遊び始めました。
「ジャンケンポイ、アッチ向いてホイ」
「赤鬼くんの負け」
「次は、ぼくが勝つもん」
「もう一回ね。ジャンケンポイ、アッチ向いてホイ」
まさか、鬼と雪女が、こんな遊びをするとは思わなかったので、見てて楽しい。
子供らしいとは思うけど、微妙にギャップがある。
ドクロくんは、珍しいのか私の部屋の中をグルグル見渡しながら感心している。
「なぎさちゃんの部屋って、何にもないんだね」
胸にズキンと刺さる感想でした。これから、壁にアイドルのポスターでも張ろう。
でも、地獄にそんなのあるのかしら? そんなことを思いながら、私たちは、親御さんが迎えに来るまで楽しく遊んでいました。その時、ドアがノックされました。
「ハイ」
私は、そう言って、ドアを開けました。すると、そこにいたのは、花子さんでした。
「あら、花子さん」
「この子たちの親が迎えに来てるわよ」
「わかりました。すぐに行きます」
「なぎさって、子供好きなのね」
「まぁね・・・」
私は、ハニカミながら言うと、花子さんは、笑って行ってしまいました。
「みんな、お父さんとお母さんが迎えに来てるから、帰りましょうね」
私は、そう言って、子供たちを促して、カパコちゃんを抱っこして、玄関に向かいました。
そして、ドアを開けました。そこには、腰を抜かしそうな光景が待っていました。
「よかったわねぇ、500年ぶりに河童の子供が生まれて」
「そうなんですけど、育児は大変ですわ」
「そんなの、すぐになれる」
「そう言えば、赤鬼さんのお子さんも、大きくなったわね」
「まだまだですよ。それより、雪姫様の娘さんは、可愛くて羨ましい」
「そんなことないですわ。オテンバで困ってるのよ」
私の目の前で繰り広げられていたのは、壮大な井戸端会議でした。
巨大な赤鬼さんとドクロ魔人の息子自慢。雪姫様と河童夫婦の育児の愚痴。
どう見ても、普通の親御さんの会話だ。
育児に関する話は、人間も鬼も妖も同じなんだ・・・
私が、唖然としていると、子供たちがそれぞれの親のところによっていく。
「父ちゃん」
「息子、なぎさちゃんに迷惑かけてないか」
「うん、大丈夫だよ」
これは、赤鬼さんと赤鬼くんの父と息子の会話です。
「雪子、ちゃんと言うことを聞いていい子にしてましたか?」
「ハイ、心配いりません」
これは、雪姫様と雪子ちゃんの、母親と娘の会話です。
「倅よ、ちゃんと、なぎさちゃんを案内したか?」
「したよ。大丈夫だよ」
これは、ドクロ魔人とドクロ坊主の、父と息子の会話です。
「カパコちゃん、いい子にしてましたか?」
「カパァ、カパァ」
これは、河童のお母さんとカパコちゃんです。
とにかく、無事に子守も終わった。でも、一つだけ心配事があります。
「あのね、父ちゃん、お姉ちゃんにおむすびをもらった」
「おむすび?」
「とっても、おいしかったんだよ」
言っちゃったよ。赤鬼くんと雪子ちゃんは、私のおむすびを食べたんだっけ。
「お母さま、私もおむすびを食べました。とても、おいしかったんですよ」
「あら、そうなの。それは、よかったわね」
雪子ちゃんがうれしそうに報告している。
さて、この後、私は、どうなるでしょうか?
勝手に人間の食べ物を与えたことで、怒られるかな・・・
八つ裂きかな、氷漬けかな・・・ 私は、覚悟を決めました。
「あの、勝手に、人間の食べ物を食べさせて、すみませんでした」
私は、自分から白状して、深く頭を下げました。
「なぎさちゃん、そんなにうまいもんなら、俺も食べてみたい。食わせてくれるか?」
「そうね。ウチの娘は、これでも舌が肥えているのよ。その子が、おいしいというなら、わらわも食してみたいぞ」
「おむすびとか言ったね。おいらも食ってみたいよ」
「わしも食わせてくれるか?」
私は、顔を上げて、目をパチクリさせて驚きました。まさかの展開でした。
「お姉ちゃん、また、いっしょに食べようね」
「なぎさ、楽しみにしてるぞ」
「僕にもちょうだいね」
「カパァ、カパァ」
子供たちに言葉を聞いて、心の底から命拾いしました。ホッとして、このまま崩れ落ちるかと思いました。
そんな私の返事を待たずに、親子は、それぞれ帰って行きました。
そんな家族を唖然と見送る私は、きっと、いいことをしたんだと思いました。
その様子を見ていた花子さんが、笑いながら言いました。
「なぎさ、アンタのこと見直したわ。この地獄界で、なぎさは、きっとやっていけるわ。大丈夫よ安心して。みんな、なぎさのことは、信用しているから。そのおむすびとか言うの、あたしも食べてみたいわね」
そう言って、花子さんは、玄関に入っていきました。
「千手婆さん、明日から、おむすびをたくさん作ってください」
私は、玄関に入ると、そう言って、食堂に飛び込みました。
それから何日もたって、私は、やっと地獄の仕事にも慣れてきました。
その日も、まずは、社長に朝の挨拶をします。
「社長、おはようございます」
「おはよう、なぎさちゃん」
「本日のご予定ですが・・・」
「その前に、なぎさちゃんに話があるから、聞いてくれるかい」
「ハイ、何でしょうか?」
私が説明しようとする前に、社長からの話がありました。
「まずね、託児所を作ることにしたから。なぎさちゃんも、時間が空いたら、子供たちと遊んでやってね」
「託児所ですか?」
「そう。託児所。なぎさちゃんも知ってるでしょ」
「ハ、ハイ・・・」
まさか、地獄で、託児所なんてできるとは、夢にも思いませんでした。
確かに、これまでにも赤鬼くんや雪子ちゃんなど、子供たちの世話をしたことはあります。
地獄のパトロールの時も、いっしょに行くことも多いし、途中でおむすびをみんなで食べたり、寮の私の部屋で遊んだりすることはありました。
「地獄の鬼でも、バケモノどもも、後継ぎというか、子供は必要でしょ。わしは、前から子供たちのための託児所を作ろうと思ってたんだよね。だけどさ、保母さんというか先生がいなくて出来なかったのよ。でも、なぎさちゃんが来てくれて、適任だと思ったんだよ。引き受けてくれるよね?」
「ハイ、やります。やらせてください」
「うん、頼むよ。もちろん、キミにはキミの仕事もあるから、時間が空いたときでいいからね」
「ハイ、がんばります」
仕事が一つ増えたけど、楽しい仕事なので、やりがいもあります。私は、やる気がみなぎりました。
「それからね、天獄列車の開通が決まったから、運転の教習もやってね」
「えっ、ホントに決まったんですか?」
「神ちゃんとゼノンも許可してくれたから、番人のところで教習してきて。開通は、来週だからね」
マジかぁ・・・ ホントに、私は運転手をするんだ。
ウソみたいなホントの話が現実になった。
「番人のところには、一人で行けるよね?」
「ハイ、道は、覚えました」
「それじゃ、パトロールが終わったら、早速、行ってみて」
「わかりました」
これは、大変なことになった。真面目にやらなきゃえらいことになる。
私は、気を引き締めました。
「それと、これは、お給料ね。ご苦労様」
そう言うと、茶色の封筒を私に差し出しました。
「あの、これって・・・」
「給料だよ。一ケ月、ご苦労様」
「ありがとうございます、社長」
私は、思いっきり頭を下げて受け取りました。
銀行振り込みなんてことはないとは思っていたけど、まさか、社長直々に手渡しでもらえるとは思っていなかったので正直言って、驚きました。
でも、初任給なので、うれしかった。
手にしてみると、かなり分厚い。いくら入っているんだろう・・・
そんなことを思っていると、社長が言いました。
「それと、これは、わしの気持ちだから、受け取って」
そう言って、給料とは別に、封筒を渡してくれました。
「あの、これは・・・」
「なぎさちゃんは、人間なのに、よく頑張ってくれてるから、特別ボーナスみたいなもんだよ。だから、遠慮なく受け取って。地獄のみんなからのお礼と思って大事に使ってよ」
「ありがとうございます」
私は、何度も頭を下げました。うれしくて気持ちが浮きそうです。
「後ね、これ」
そう言って、差し出したのは、白い封筒でした。
「なぎさちゃんは、忘れているかもしれないけど、前に下界に視察に行くって言ったの覚えている?」
そう言われると、思い出しました。下界に行くなら、私も連れて行ってほしいと思ったことがありました。
「あの時ね、なぎさちゃんのご両親に会ってきたの」
「えぇぇーっ!」
私は、ビックリして、声が出てしまいました。
「その時ね、キミのお母さんとお父さんから預かってきたのよ。お手紙だから、後で読んでよ」
「あの、ホントに、ありがとうございました」
私は、うれしくて泣きそうでした。でも、地獄のエンマ大王様が、私の両親に会うなんて、そんなことができるのか信じられません。
「この地獄には、人間はなぎさちゃんしかいないんだよ。友達も知り合いもいないし、寂しいだろうなと思ってさ。それに、なぎさちゃんは、ご両親の大事な娘さんでしょ。それを、預かる責任はあるでしょ。これでも、わしは社長だからね。だから、挨拶に行ってきたわけ。もちろん、地獄のことは言ってないよ」
社長の思いやりがとても伝わる話でした。なんて、心が広い社長だろう・・・
やっぱり、大王様は、地獄の王様だ。人間の私にまで、気を使ってくれるなんて、うれしく思いました。
私は、この会社に働くことを、心から嬉しく思いました。
「それから、もう一人、なぎさちゃんに合わせたい人がいるから」
そう言うと、社長室がノックされて、誰かが入ってきました。
「やぁ、久しぶりだね。早乙女くん。元気そうだね」
「せ、せ、先生!」
そこにいたのは、私の大学で、就職課の先生でした。私をここに紹介してくれたのも、この先生です。
「どうして、本郷先生がここに・・・」
驚いて社長を見ました。もはや、驚きの連続で、頭がパンクしそうでした。
「驚いたかい」
「ハイ、ビックリしました。いったい、どういうことなんですか?」
私の当然質問に、社長が言いました。
「彼は、唯一、下界に住むことを許可した、妖なんだよ」
「あ、妖? 先生が・・・」
「そんなにビックリすることないでしょ」
「ビックリしますよ」
私は、社長に口を尖らせて言いました。
「彼の正体は、井戸仙人という、もう5万年も生きている、妖なんだよ」
「ご、5万年! 井戸仙人!」
私は、思わず先生に振り向きました。すると、白髪交じりの優しそうな本郷先生は、にこやかに笑いながら言いました。
「これが、私の本当の姿だよ」
そう言うと、先生が溶けていきました。ドロドロに溶けて、顔も体も完全に緑のスライム状になりました。
突然のことに、言葉もなく、目を皿のように開けて見詰めているしかありません。
すると、溶けた身体が今度は、次第に形になっていきました。
その姿は、世にも恐ろしい、不気味な姿をしていました。目が大きく、顔が歪んで、虹色に光っています。
灰色の布を体にまとって、手も足もありません。見た目でわかるように、ヌルヌルしているのがわかりました。
「驚いたかい」
私は、首を縦に何度も振ります。
「私は、大王に頼まれて、下界で暮らしながら、地獄で使える人材をスカウトしているんじゃよ」
「スカウトって・・・」
「地獄は、人手不足でな。なんとか人を増やしたいと思って、この際だから、下界から使えそうな人間を探していたんじゃ。その第一号が、早乙女くんなんじゃよ」
「私が・・・」
私は、余りのことに心臓が止まるかと思いました。まさか、この私が、地獄のスカウトの目に留まるとは思いもしません。あの頃は、就職活動は全滅状態で、面接にも疲れていた時でした。
藁をもすがる思いで就職課に行って、先生に紹介されたのが、不思議な会社でした。
それが、地獄だったとは、あの時は、心の底から後悔していました。
「いい人を紹介してくれて、ホントにありがとう。なぎさちゃんは、ホントに、素晴らしい人間だよ」
「そう言ってもらえると、わしも紹介したかいがある」
「これは、ホントじゃよ。なぎさちゃんは、ホントによくやってくれている。地獄の鬼たちも喜んでいるんだ」
私は、言葉もありませんでした。あのときのことが頭に思い浮かんできました。
「先生、ありがとうございました。ここは、ホントに素敵な会社です。社長にも、他の皆さんにも、みんないい人たちばかりで、素晴らしい人たちに恵まれて、ホントにありがとうございました」
私は、感謝の意味を込めて、お礼を言いました。
「この調子で、これからも頼むよ。それと、井戸仙人。今後も、なぎさちゃんのような人間を地獄に送るように、しっかり頼むぞ」
「任せておけ。と、言いたいところだが、下界は、最近は、余り情勢がよくない。早乙女くんのように人間は
残念ながら少ないと思ってほしい」
「そう言わんと、何とか頼む」
「大王の頼みなら、イヤとはいえんな。まぁ、がんばってみるわ。期待せんで、待ってくれや。それじゃ、早乙女くん、
これからも大王のため、地獄のため、しっかりがんばりなさい」
「ハイ、がんばります」
私は、再び、本郷先生の姿に変わった井戸仙人に、深く頭を下げました。
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