十二通目‐1
僕の育った家庭とは必然的に疎遠となり、僅かにいた怜の友達でさえ、連絡を取り合わない生活に、引っ越しに依りなっていました。
元々友人付き合いが少ないとはいえ、その分住み慣れた土地の安心感というのがありました。我々はその状態で平穏を得ていたというのに、新たな土地へと引っ越してしまえば、残るのは不安でした。会社を変えるでもなかった僕の所へ、母が訪ねて来るでもなかったのは幸いでしたが、問題が新たに生まれないからこそ、今ある不安に対しては敏感になっていました。
住む場所を変え不安の増した怜、幼稚園を変えた令美、双方には明らかな不安定さがあり、それを感じ取った僕も、不安が強まっていたのです。
だからこそ「一層家族の結び付きを強くしよう」という意識が働いていました。
怜に関しては、不安を解消しなければ何時手が出てしまうか解りません。
二人の精神の安定を図るのは必然で、どうにかできないかを考えた結果「街から離れてキャンプなどをしたらどうか」という案を出し、やってみるとしました。
不安は実生活から生まれるものです。非日常に目を向けてしまえば、少なくても一時的には不安を和らげられるでしょう。
と思って実際やってみると、二人の反応は良好と言え「ならば」と毎週末ごとにキャンプをする生活になって行きました。
キャンプは自然の中という効果もあり、精神が安定するのは僕自身も感じていました。気に入るキャンプ場探しをするまでになって、そこへは何度となく家族で行きました。
見つけたキャンプ場は怜も、令美も気に入ってくれました。週末が近づくと「あのキャンプ場に行きたい」と言うまでになって、家族全員が行きたい場所になっていました。
この間、二人は新たな生活にも慣れて来ていました。生活に波もなく、引っ越したのが良い方へ出ていると感じていました。
特に怜は手をあげるでもなくなって「何が原因なのか」は、完全に特定出来ないからこそ「良い流れを崩したくない」と、お決まりになっていたキャンプを継続しました。
こんな生活を暫く続けていた僕には、ある疑問が湧いていました。
「自分の人生とは何なのだろうか」という、単純で大きなものです。
近頃の生活を思い返すと、家族というものにとらわれ、好んでしていると思っているものでさえ「実は他人から、そう思わされているのでは」と感じられるのでした。
僕の中で生まれた疑問は、何をするにも僕を苦しめるまでになりました。
今まで当たり前にやっていた、あれやこれも、まるで足枷を付けられているようにして、今していることの疑問を生む原因へ変化しました。
段々と眠れないまでになって行くと、寝れない時間を使って「疑問を生む原因は何なのだろう」と考えるようになりました。
それが何週と続いたでしょう。
この正常ではない精神状態から抜け出そうと、全てを「自分のせいではないか」として、落ち着かせようとしていました。自分に非があるという答えを出してしまえば、一旦は落ち着くのではないかという発想です。
答えはごく真っ当で、通常の精神状態だったなら、これでも納得していたでしょう。
眠れない日々が僕をおかしくしていたのか、または元々僕におかしな何かがあったのか、答えは行き着くべきではない所へと向かって、行きつ戻りつしているのでした。
僕が考えていたのは「全ての原因、僕を悪い方へと導いているのは家族なのだ」というものでした。
自分自身がつくり上げた「家族」という世界は、いつの間にか「自分を飲み込む魔物へと変化している」という気がしているのでした。
生まれた考えを自分でも『おかしい』と思いながらも、しかし何処かで、正解でもあるような気がして、怜を見るのも、令美を見るのも、いつもとは違った感覚になっていました。
こんな考えもありながら、もうひとりの自分は未だ正常な感覚もあり、日常生活は今まで通り続けられていました。
ですから、週末のキャンプにも先週と同じく行って、キャンプ場で過ごしました。
テントを張って、火を見ながらいる時間は週末までにあった仕事の疲れを癒し、自分の中に発生した良からぬ考えさえも、元に戻してくれる、そんな効果を狙っていました。
何故なのでしょう。
疲れも、良からぬ考えも、一向になくなってはくれません。
いつものならば、近くで火に薪をくべている令美を『可愛い』と思うだろうに、思わないどころか『忌々しい』と見ている自分がいます。
今まで愛情を注ぐのになんの違和感もなく来たというのに、今日に限って厭わしいと思うなどというのは全くおかしく『疲れがそうさせているのだ』とはじめは思っていました。
キャンプが終わってから何日経っても、自分自身で感じている「おかしさ」は一定の強さを維持し残存して、消えて行く気配を見せません。
僕も「少しすればまた、いつもの自分になる」と、努めて普段の自分を装って生活していました。
一週間、二週間が経っても同じ自分は戻ってきません。
明らかに違う自分が継続されているのに気づいたのは、週末にまたキャンプ場に向かっている時でした。
僕は頭の中で生んだ計画の為に、いつも行くキャンプ場の道、道端を注意深く見ていたのです。「無意識に」とも言えるでしょうが「意識的にそうしていた」と言わざるを得ないでしょう。
『何をしてるのだ』と自分でも思っていました。もしこのまま計画が進んでしまえば、最悪の結末に行き着くのは間違いないのです。
それでも計画が進んでいない状況では、頭の中に浮かんだとして『計画は想像の中だけの話』と考えていました。
要は、計画が実行されるとは自らでも思っていなかったからで、実行の入口に自分はいるというのに、そうとは捉えていなかったということなのです。
反対にもう片方では、何時計画が進んだとして良いように「準備」と言える行動を取っているのでした。
キャンプ場では普段やらないような、各所を見回ったり、人の多い時間帯に於ける近辺の人通りなども確認し、手が空いている時などは近くを歩き回って、脳裏に焼き付けました。
これは、計画は最も適したシチュエーションを考えていたからです。
それでも計画は計画のままであり、外からみれば自分も以前と変わらないし、他の家族とも違わない、幸せな家庭を保っている世間の人間の一人でした。
他方、自分の中のものを認識し、変化が明らかになってくると、新たな自分の方が、体を徐々に支配するまでになりました。
僕はもう「乗っ取られた」として良く、悪魔的な考えは「真っ当なもので、実行は必ずしなくてはいけない」と思うようになっていたのです。
そう、
紆余曲折し行き着いたその考えとは······
「娘を殺さなくてはいけない」
ということでした。
僕の素晴らしい世界を壊したのは、何を隠そう令美だったのです。
問題がこうも大きなものに成り上がったのは、令美という存在が生まれたからなのです。
それまでは前述したように問題があったとしても、すぐ消滅するくらいのものだった。
現状のように強く思い悩み、二人の心理的な不安を生んだのは、令美という存在があったからです。
つまり、こうして眠れない日々が続くのは、令美が原因であり、存在が消滅してしまえば「悩みも、根本的な問題でさえ、なくなってしまうも同然だ」と言えるのです。
今考えれば、反論の余地があるこんな考えも、当時は全く疑う余地のない正論という感覚で捉えられていました。
それでも、わずかに残る良心からか、将又、度胸がないからか、実行はできないでいたのです。計画が進んではいけないからと、二人が「キャンプに行きたい」と言っても二週くらいは行かなかったくらいです。
そうして二週間ばかりの時を空けると、自分の中にあった計画のリアリティは少しばかり遠ざかったと感じ『もう計画は持ち出されることはない』と思えた時点で、週末にはキャンプに向かえる運びとなりました。
であっても、車でキャンプ場に向かっている途中、一度は遠ざかったと思えた計画が、条件反射のように頭を擡げて来ていました。
僕はそれを引っ込めようと、家族と熱心に会話をして気を逸らします。
悪魔のもとを必死で抑え込もうと頑張っていると、以前話したアンガーマネジメントのように、自らの体を正常に戻してくれる働きがあるのか、キャンプ場に行ってしまうと、後にはただキャンプが好きな自分でしかなくなっていました。
一泊してもそれは変わらず、家族で過ごす楽しさを存分に感じていました。
次の日、令美も自分も何時になくキャンプで出来る楽しい遊びを一日中してしまいました。これは多分、僕が良からぬ考えを出してしまわぬよう、令美と遊ぶのに懸命になっていた部分があると思います。そのおかげで、事実忘れられ、抑え込んでいた何かなどは、全く思い出しませんでした。
遊び疲れるほど遊んだせいで、夜になる頃には二人とも疲れてしまいました。
晩御飯が近づく頃には僕はクタクタで、静かに怜の作るご飯を待っていようと座っていました。すると、無限の元気を持つ子供である令美は「ご飯ができるまで川に行って遊んでる」と言うのです。
言葉を受け僕は令美を説得しようとするも、はじめから聞く気など無いように走り出していました。
一人で行かせる訳にはいきません。
仕方なく令美の背中を追います。
怜に晩御飯の仕事を全て任せ、僕ら二人で川へと下って河原まで着くと「川には入らないように」と注意して、僕だけは座りやすい石を探してそこに座りました。
令美は石を拾って遊んでいるようです。
そのうち石拾いは石投げへと変わって、川へと投げ込んでいるようです。
水切り遊びなどはまだ知らないのか、ただ石を投げる遊びは暫時続いて、何もしてない僕の方は暇の余り、寝心地の良くない石の上へと、気がつけば寝っ転がっていました。
仰向けになると、暗くなりつつある空が目に入って来ます。
流れていく雲はゆっくりと進んでいます。
僕はその雲を見ていました。
知らぬ間に寝入っていたようです。
そうだと気がついたのは、水の音が聞こえたからでした。水の音で起こされてみると、寝ボケの冴えない頭ではどういう状況か、すぐには理解されませんでした。そのうち覚醒が促されて来ると、水の音は「令美が溺れている音ではないか」と思えてきました。
飛び起きてみると、暗くなっている中、足の届くくらいのところで令美は遊んでいました。
一瞬「大変な事態が起きてしまった」と思ってしまったせいで、言いつけを守らなかった令美に、途轍もない怒りを感じました。
言いつけさえ守っていれば、こんなにも焦って起きなくてもよかったのです。
僕は遠くから「令美」と強めの口調で名を呼びました。
声をかけられた令美は、あれだけバチャバチャしていたというのに、水遊びをすぐやめ、こちらへと注意を向けました。
近づいて行く僕の目には、明らかに怯えている令美の顔が映ります。
怜の悪癖は、強い口調に反応するものとして令美に浸透していたのです。
怜の愚行を令美の顔から察したというのに、僕は怜の愚行に対しての否定的な感情が湧きませんでした。それどころか、寧ろ共感するような心持ちだったのです。
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