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「らぁっしゃいませ~」
「こちらでもお伺いします!」
「ラテ、サイズはいかがいたしますかぁ~?」
「お決まりのお客様こちらへどうぞ~」
「らぁっしゃいませ~」
「こちらのレジ空いてますよ~」
「お持ち帰りの袋ご用意いたしますかぁ~?」
「聞こえてますか~?」
「らぁっしゃいませ~」
「ねぇ~!なんで来ないの~?」
「こちら今月から始まったドリンクですぅ~」
「ねぇ、おいでよ~!聞いてる~?」
「らぁっしゃいませ~」
「……おい、聞こえてんだろ、早く来いよ!」
「わぁ~、お久しぶりですぅ~」
「さっさとこっち並べよ!クソがっ!……っ痛!」
ドンッ!と衝撃。レジに立つ美咲の背後から、マネージャーの高橋が勢いをつけてぶつかってくる。
続けて、よく通る大きな声で、
「お待たせいたしましたあ~!!こちらどうぞ~!!」
そう呼びかけると、レジ前に客が列を作り始める。
レジカウンターと、背中の高橋にギュウと挟まれる形になった美咲は、体を捩らせる。耳元でデカい声を出され苛立ちが我慢できなくなった美咲は、
「ああ!んだよ、どけコラ!」
高橋の体を強引に押し退け、バックルームへ転がり込んだ。
「ああああああああああああああ!!」
ありったけの声で叫ぶ。
テーブルを蹴飛ばし、パイプ椅子を掴んでそこに投げつけた。何かが割れる音。息を荒げたまま床に座り込む。俯くと薄暗い蛍光灯が反射する、色褪せた緑色のビニール床材が目に入った。
誰も、気にしてない。
美咲の行動を誰も意識していない、いや、美咲自身のことを誰も認識していないように感じる。
事実こんな大声を出して暴れても、誰一人様子を見に来ないのだ。いつからこうなってしまった?
いつから?昨日は?
昨日は、どんなだったっけ?
あれ、昨日ってシフト入ってた?
一昨日は?
一昨日って何曜?
ていうか今日ってなんだっけ?
なん、なにって、その
今日は何時まで?
あの何時とか、じゃくて曜日?
いやでも、何時から入ってた?
来た時のこと思い出せない、
どうやって来た?
ていうか、
……私、帰ってる?
昨日の帰りって、なにがあったっけ
あ、いや、だから昨日は入ってなくて、
一昨日で、ってそうじゃなくて
だから、いつまでで、
あの、今日はあの、とにかく、
あれ、いつまでやってんだっけ?
吐きそう、気分悪い。
ゆっくりと立ち上がり、壁に手をつく。そのまま流し台の方へ進む。蛇口を捻り、顔を流し台の上に。俯いてえずこうとする。力んで血が上る顔に水飛沫がかかる。生臭い。ぉえ、と流し台の中で反響する自分の声以外は何も出ない。そのまま蛇口から流れる水を両手ですくい、思いっきり顔をすすぐ。勢いで気管に入ったのか、酷く咳き込んだ。軽く目眩を覚えそのままよろけて、反対側の壁に背中をぶつける。
「ぎっ」
おかしな声が漏れる。そのまま軽く後頭部を打ち、涙と鼻水と口の端から唾液が垂れているのが分かった。視界が歪む。うわんうわん、と音では無い何かが耳の周りを包み込む感覚。足元の感覚がおぼつかない。
きっと酷い顔してる、と何気なく姿見の方へ体を向ける。よろよろと歩き、鏡の前に立った時、
美咲は息を呑む。同時にあの日の光景が脳裏に甦ってきた。
「……ベンタブラック」
鏡にはバックルームと、人型をした黒い平面が映っていた。
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