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「らぁっしゃいませ~」


 レジカウンター下の資材を整理していた美咲は、中村の声で来客に気付く。スッと立ち上がり、軽く身だしなみを整えながらレジ前を確認する。

 中村のレジに二人並び、ペストリーケースを物色する客が一人。


「お待たせしました!こちらでもお伺いします」


 声をかけてお客様を誘導、したはずだった。

 中村のレジ前の二人はそのまま並び続け、ペストリーケースを物色し終わった男性客は、のろのろとした動きで中村レジの最後尾に立った。


「あ、お決まりでしたらこちらも空いてますので……」


 すると注文を待つ客たちは、各々スマートフォンを取り出し眺め始める。


 ……は?


 気付けば美咲のレジの前、ぽっかりと不自然なスペースが空いている。どうしたんだろう、なぜ誰も来ない?

 そんな疑問と同時に、一瞬脳裏には先日無言で去っていった常連客の顔がよぎる。軽く胸が締め付けられるような、喉が詰まるような感覚。


 いや、でも注文聞かなきゃ……


 なんとか声を絞り出そうとしたその時、


「佐々木さん、レジ変わりますよ」

 すぐ隣にマネージャーの高橋が立っていた。


「あ、いまお客さんこちらに呼ぼうと……」


「佐々木さん、レジ変わりますよ」


 瞬間、「いっ」と美咲の口から声が漏れ、背中をミチミチと何かが這い回る感覚が走る。やばい……


「お、お願いします……」


 逃げる様に美咲はレジを離れた。


 勢いよくバックルームに入った美咲は、エプロンも外さずに手近にあったパイプ椅子に座り込み、そのまま俯いて頭を抱えた。足が震えている。


 ……あ、休憩かどうか聞いてないや。


 とはいえ、すぐに立てる気がしない。何が起きてるんだろう。先日の常連客や、レジ前で誰も美咲のことを気に留めないこともおかしかったが、それよりも高橋だ。

 レジ変わりますよって、あの二回目に言われたとき、目の前にいるのにまるで視線がこっちを見てない様な、加えて抑揚が抜け落ちた声。どう表現すれば良いのか、とても人間相手に話してる感じがしなかった。あれは本当にバックルームで優しく声をかけてくれた高橋か?なんなんだこの違和感。

 いや、決定的に何がおかしかったのかと言われると、説明が付かなくもない。こっちの言うことをろくに聞かない客なんかいくらでもいるし、店内がピークタイムで余裕が無いと、さっきの高橋みたいに表情が乏しくなることだってある。でも、 


 別にそんな状況じゃなかった……


 美咲は、改めて店内の状況を確認しようと立ち上がり、恐る恐るバックルームのドアのそばに立つ。と、そこでドア横の姿見に気付いた。さすがに服が乱れてしまっている。さっと直すつもりで鏡の前に立ったその時、


 ……なにこれ?


 鏡に映る自分の姿がよく見えない。いや、見えてはいる。しかし自分と鏡の間になにかがある気がして見辛い。やばい、そうとう神経が参ってるな。

 ピクッと瞼が痙攣した様な気がした。反射的に指でさする。自分の表情が気になり、さらに顔を鏡へ近づけて、痙攣した箇所を再度さすろうと右手を伸ばした時、


 指先が、黒い。


 レジ下を整理してた時に汚れたか?さすった瞼に付かなかったか、慌てて確認する。大丈夫だ。

 鏡から離れ、改めてその汚れを見ようと視線を落とすと、指先に汚れなど無かった。

 一瞬状況が飲み込めず、もう一度ゆっくりと鏡に手をかざす。

 指先は確実に汚れている。

 黒く、煤の様に、真っ黒。

 しかし鏡でなく、肉眼で確認すると何も無い。


「なにこの汚れ……」

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