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美咲は先月、このバイトを辞めようとしていた。店長に退職の相談しようとしたその日、相変わらずこんな静かな午後の店内でのことだった。
「いらっしゃいませ」
美咲のレジへ、ひとりの客がやってくる。全身黒い服装、とはいえ目を引く程のものでは無い。人あたりの良い美咲は、いつもの調子で注文を受け会計を済ませる。その男性客は無言のままコーヒーを受け取り席に着いた。その時だった。
なんだこれ……?
違和感。なにかおかしい。会計時は全く気にも留めなかった男の風貌、しかし彼が着席しカフェの全景に収まった瞬間。
……なんか、いる。
そんな感覚に包まれた。いや、いるのは当然だ。男性客が座ってるのだから。しかし、その黒尽くめの服装が浮いて見えると言うだけではない、まるでそこの空間だけぽっかりと黒い穴が空いた様な、
なんだっけ、こういうの、
美咲の脳内に、”Loading……”の表示。前に動画で見たやつ、真っ黒い……、大好きなIntervalsの曲名でもあったよな、なんとかブラック、
そうだ、ベンタブラック!
光を一切反射しない黒色。そんな感じ。あの男の姿だけ光の反射、というか体の凹凸さえ感じない。トリックアートのような黒い人型の平面。
その日、退職の相談の件なんてすっかり忘れ、翌日も美咲はその出来事が頭から離れなかった。すると、同じ時間にその男は再びやってきた。
あれから一ヶ月。何をするわけでもない、男はコーヒーを注文し静かに読書をして帰る。しかしそれだけで、美咲の好奇心は刺激され続けた。こんなことだけでカフェのバイトが続いてるのは美咲自身どうかと思う。
でもなんか期待しちゃうじゃん、このまま異世界への穴が空いたりさ、……いや、さすがにそれは無いわ。
そろそろ時間だ。ほら、立ち上がった。男は本を懐へしまい出口へ。
美咲は「ありがとうございました」と声をかけた後、タイミングを見計らって、男の座っていた席のトレイを下げようとした。すると、
あれ、やば!
手帳だ。テーブルには黒い(美咲風に言うならベンタブラックの)手帳が置きっぱなしになっている。慌てて追いかけようにも男はすでに見えない。なんか焦ってる自分が店内で浮いてる様に感じ、動けなくなってしまう。
まぁ、明日も来るだろうし、いいよな……
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