第9話

 咄嗟にハルとそれぞれ飛び退くと、先程までマーチ達がいた月面に、プロキオンが着地した。わずかに地面が揺れ、着地した地点には、小さなクレーターができた。


「なっ、なにこれっ!!」

「他の機械を暴走状態にさせるウイルスが組みこまれているのだ、プロキオン自身もウイルスにかかって暴走状態にすることは可能だろう」


 ハルが素速く説明する。マーチは納得した。この所構わず、見境なく襲ってくる状態。ロボットミュージアムでロボットが起こした異変に似ていた。


 狙いを外したプロキオンが、即座にハルに向かって突進する。ハルはどうにか横に逸れて避けた。


「プロキオンは引き受ける、マーチは兄を早く助けなさい!」

「は、はい!」


 マーチは急いで宇宙船に駆けていった。背後からプロキオンの暴れ回る振動が体に響いた。


「兄ちゃん!」


 宇宙船に飛びつくと、扉が開いて中から兄が出てきた。アスマはマーチと通信ができるように宇宙服の設定をすると、泣きそうな顔をしながら、深く息を吐いた。


「よく扉開けられたね?」

「宇宙船の授業が好きだからさ……このタイプの宇宙船の扉の開け方、一応知ってたんだ」

「とにかく兄ちゃん、危ないから離れてて!」

「ありがとう、マーチ……。今回ばかりは素直に言う、本当に助かった! 色々言ったけど、やっぱりマーチはヒーローだな!」

「……それは違うよ」


 マーチは兄から顔を背けた。


「だって私、ヒーローじゃなかったもの。ありがとうって言われたら嬉しくなってしまうし、自慢したくなってしまうし、言われなかったらがっかりするし。こんな見返りを求めてばかりの子なんて、格好いいヒーローとは似ても似つかなかった」

「いや、普通じゃないか?」


 マーチは目を丸くして振り返った。アスマはきょとんとした顔をしていた。


「ヒーローも人間がやってるんだから褒められたら嬉しくなるのは当たり前だろうし、されて当然って態度取られたら腹立つだろ? なに言い出すかと思えば、そんな当然のことをわざわざ……。ヒーロー側の事情よりもさ、大事なのは、助けられた人がどう思うかじゃないか? 助けられた人がヒーローに感謝していれば、もうそれで他に何か口挟む必要はないだろ」

「え、えっ? い、いやでも、ヒーローが見返りなんて……」

「そりゃ、完全に報酬が目当てで活動ってなると違うだろうけど。でもマーチはそうじゃないだろ。言っとくけどなあ、お前がヒーローにどれだけお熱かはうんざりするほど知っているんだからな。でも、自分の正義感を一番知っているのはマーチ自身だろう? ……俺は今、マーチが助けに来てくれて、凄く嬉しかったし、ほっとしたよ」


 マーチは呆然とした。本当に目の前にいるのはあの意地悪な兄と同じなのだろうかと疑った。


「兄ちゃん、プロキオンに改造でもされた?」

「それどういう意味だよ! というか後ろ、大丈夫かあれ?!」


 我に返って振り向くと、ちょうどプロキオンがハルに飛びかかっていくところだった。ハルは転がるように飛び退いた。月面に積もる銀色の砂塵が舞った。


「ハルさん、兄ちゃん助けました!」


 マーチは急いでハルに連絡した。


「よし、では頃合いを見て攻撃に移る。あとは作戦どおりに、頼んだ」

「わかりました!」


 通信を切ると、アスマが話しかけてきた。


「プロキオンをやっつけるのか?」

「そう! 実はここに来る途中の宇宙船の中で、作戦を立ててたの!」

「じゃあ俺も手伝わせてくれ! マーチだけだと心配だしな!」

「いや、危ないから隠れててよ……って、問答している時間も正直ないんだよね。

わかった、じゃあお願い!」


 よし、とアスマは両腕を回した。マーチはアスマに作戦について説明すると、二人でプロキオンとハルの乱闘の場に駆けていった。

 ハルさん、とマーチがハルの名前を呼ぶ。ハルはわかったと短く答えた。


「プロキオン!」


 マーチは大声を出した。プロキオンがゆっくり振り向いた。


「兄ちゃんは助けた! もう諦めるべきだよ! というか兄ちゃんを人質にしても何にもならないと思うよ! 兄ちゃんは国語とか社会の成績がいつもひっどいし、勝手に私のおやつ食べるし、すぐ調子に乗るし、偉そうだし、いつも腹立っているからね!」

「お、おいマーチ!」


 いつの間にか人質が救出されていたことに対し、プロキオンの中で優先すべき相手がハルからマーチ達に切り替わったようだ。


「排除シマス!」


 プロキオンは方向転換すると、マーチ達に突進していこうとした。


 そのときだった。ハルが一気にプロキオンへ距離を詰めた。プロキオンの片方の前脚に、両手で触れた。


 その瞬間、細かな稲光がプロキオンの周囲に迸った。バリバリバリ、と電気の流れる音が、勝手に頭の中で聞こえた。


「ハイ、ジョ……」


 ガガ、とノイズ混じりの言葉を吐きながら、プロキオンの巨体が大きく傾いた。その隙にマーチとアスマはプロキオンの体に飛び乗り、首の付け根に向かって走った。


 ハルが電流を流してプロキオンの体を一時的にショートさせ、その間にマーチが首の付け根にあるプロキオンの緊急停止ボタンを押す。それがハルの考えてくれた、マーチにツケを払わせてくれる作戦だった。


「ハイジョ、シマス……!」

「うわわっ!」


 半分まで来たところで、プロキオンが起き上がろうと動いた。マーチは足を滑らせ、そのまま落下していきそうになった。


「しっかりしろ、マーチ!」


 その手を掴んだのはアスマだった。


「ヒーローだろ! なら、ここで踏ん張れ!」

「……うんっ!」


 プロキオンは起き上がろうとしているが、ショートしているために上手く動けないらしい。それでも頑固に動こうとしている。足下がぐらぐら揺れるのを、なんとかバランスを保ちながら、マーチとアスマは走った。


「ついた!」


 辿り着いた首の付け根には、取っ手のついた引き戸のような小さい扉があった。他にそういう部位は一切無く、明らかに怪しかった。兄ちゃん、とマーチは兄の顔を見る。うん、とアスマは頷いた。二人で取っ手に手をかけ、力一杯に引っ張る。ところが、扉はびくともしなかった。


「排除シマス……」


 プロキオンの声にかかっていたノイズが、かなり小さくなっていた。もうかなり回復しているらしい。焦りが募る。そこへ人影が現れた。「どうしたんだ」とハルが背中に上ってきたのだ。


「あ、開かなくて!」

「よし、わかった」


 ハルも取っ手に手をかける。せーの、とハルが号令をかける。声を合図に、三人は渾身の力を込めて、扉を引っ張った。ずず、ずずず、とゆっくり扉が開いていき、隙間が広がっていく。


「開いた!」


 扉の向こうには、“緊急停止”と書かれた赤色の大きなボタンが一つだけあった。


 そのときだ。マーチ、と名前を呼ばれた。プロキオンだった。


「マーチはヒーローなのでしょう? ならば、ワタシも助けて下さいますよね?」


 所々、砂嵐に遮られているような、雑音の混じった声で、プロキオンは言った。ぴく、と、今まさにボタンを押そうとしていたマーチの指が震えた。


「博士もそうです。博士は誰からも認めてもらえなかった、可哀想な可哀想なニンゲンです。本人がいつもそう言っていました。ヒーローなら、博士のことも、ワタシのことも助けますよね?」

「……確かにヒーローなら、助けてって言った人を全員助けると思う」


 マーチは呟いた。呟きながら、ボタンを押そうとしていた手を、握り拳に変える。


「なら、ワタシと博士を助けなさい。たすけて、マーチ」

「……でも、私はまだ完璧なヒーローじゃない。全員を助けることはできない。だからせめて、私の周りにある小さな世界を守る。私は、家族を助ける!」


 プロキオン、とマーチは最後に名前を呼んだ。


「その“たすけて”って言葉、もっと早く言ってほしかったよ!」


 拳を振り下ろす。殴るように、叩きつけるように。力一杯、拳でボタンを押す。


 ボタンがへこみ、すぐ元通りになる。ぐらり、大きく足下が傾く。どこかに捕まることもできず、マーチ達は宙に投げ出された。重力が軽いため、緩やかに。


 宙を舞いながら、マーチはプロキオンを見た。月面に倒れ、一切動かないプロキオンのサンバイザー型の目は、真っ暗闇に染まっていた。

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