第7話

「兄ちゃん……」


 つい一分前までいた兄は、今どこにもいない。白煙が空へと伸びる道のように続いているが、それも徐々に薄れていっている。その煙の跡を見上げながら、ハルが言った。


「この状況に置かれてなお逃げるとは。想定外だった。あのロボットの思考パターンの分析が不足していた可能性が高い」

「なんで……」

「君、どうした?」


 マーチは振り向き、ハルに詰め寄った。


「いっ、今の何?! どういうこと?! なんで兄ちゃんつれて行かれたの? プロキオンは一体何? どこか故障しているの? それとも……!」

「マーチ、といったな。君はプロキオンから、どういう話を聞かされている?」

「話……?」

「教えてくれれば、真実を聞かせよう。落ち着いて話してみなさい」


 えっと、とマーチは、どうしてロボットミュージアムで廃棄される寸前だったのか聞いたとき、プロキオンから聞かされた話をハルに説明した。上手く説明できた手応えが一切無かったが、話を終えたとき、ハルはなるほど、と頷いた。


「結論から答えよう。プロキオンの話は、ほとんどが嘘だ」

「え……?」

「君がプロキオンを庇うような行動を取っていたから、虚実を織り交ぜた説明を聞かされていると予測していたが、やはりか。マーチ、大丈夫か? 話を聞く心の余裕はあるか?」


 頭を泡立て器でかき混ぜられているような動揺が襲っていたが、今この瞬間、逆に全てが凪いだ水面のように静かになった。静かすぎて、何も考えられなくなった。


「どうして……」


「一応話すので、わからない部分があったら聞きなさい。

まず、旅行中のカニスが私と出会い、家に招いたという部分は本当だ。私が旅をしていたら向こうから話しかけてきて、私がロボットだとわかると、性能面について色々尋ねてきた。

一通り説明すると、興奮しきった様子で、もっと話を聞きたいから家に寄っていってほしいと言われた。ところが家に着いた矢先、私はカニスとプロキオンに襲われかけた。私を分解して構造を理解して改造するつもりなのだと言っていた。なんとか抵抗し、逃げ出したというわけだ」

「……待って。それじゃハルさんは、単純に、巻き込まれただけってことになるけれど……」

「全く以てその通りだ」


 なんということだ、とマーチは頭を押さえた。悪いやつではなかったのに、悪いやつだと決めつけて、更には木の枝で殴りかかっていったなんて。


「その翌日のことだ。この星で有名だというロボットミュージアムを訪れたら、偶然にも職員がプロキオンを運んでいるのを見かけた。どういうことかと追いかけ話を聞けば、カニスからこのロボットを展示してほしいという話があり、その展示準備をしているとのことだった。前々から、自分が作ったロボットを展示してくれとカニスは何度も言っていたらしい。

私は昨日自分の身に起きたことを話したが半信半疑の反応が返ってきたため、スリープ状態になっていたプロキオンを分析、解析した。するとプロキオンにとあるプログラムが施されていることがわかった。口でロボットを噛むと、そのロボットを強制的に暴走状態にさせるという機能だ。強制的にウイルスに感染させるようなものだ」


 プロキオンは、ロボットミュージアムに展示されていた何体かのロボットを暴走させて、騒ぎを起こした。そのプログラムについても話していたが、ハルの手によって無理矢理改造させられたものと説明していた。しかし実際は、ハルは濡れ衣を着せられただけだったのだ。


「私は、謝礼を頂けるなら私がプログラムの破壊とプロキオンを完全に分解する、と申し出た。旅をしている身なので、何かと入り用でな。腕前を疑問視されたので、そのとき修理待機中だった展示品のロボットのいくつかを直したところ、信用を得られた。その後、プロキオンの分解作業に取りかかろうとしたところ、プロキオンを逃がす君達と遭遇したというわけだ。何か質問は?」

「……ない」


 力なくマーチは首を振った。


 もしここにプロキオンがいて、今の話を違うと否定すれば、プロキオンを信じていただろう。しかしプロキオンは、アスマを連れ去り、どこかへ消え去った。


「恐らくカニスはプロキオンに嘘の供述をプログラムし、ロボットミュージアムに送り出したのだろう。その後も電気信号を用いて、カニスとプロキオンはリアルタイムで状況を報告し合い、自分達に有利な状況を常に作り続けようとしていた。しかしカニスは逮捕され、残すはプロキオンのみとなった。マーチ、君は家に帰りなさい。警察に任せていれば、兄はすぐ戻ってくるだろう」


 任せる。その言葉に、マーチはびくっと震えた。


 任せる? じわじわと言葉の反響が強まっていく。ここまでの騒動を引き起こしたのは自分なのに、他人に全て投げて終わりにしてしまうのか?


「ハル、さん」

「どうした?」

「力を貸して下さい! 兄ちゃんを助けに行きたい! お願いします!」


 勢いよく頭を下げる。どくどくと心臓が鳴っていた。


「もとはといえば、全部私のせいです! 私のせいでこうなったんです! 兄ちゃんが巻き込まれたのも、プロキオンに騙された私のせいです! その責任を果たさなくちゃいけないと思うんです!」

「はっきり言うと、君が駆けつけても、できることは何もないかもしれない。事態がそうすんなり解決する可能性は低いだろう。誰かを助けるという行動は、責任を伴うものだ。君はその基本を知らなかったから、今回の事態が起こったとも言える」

「それは……」


 ハルの話には一点の曇りもないほど、事実を言い表していた。曇りがなさすぎて痛いほどだ。マーチは拳を握りしめた。本当に一瞬、目を逸らして全てから逃げたくなった。しかしその魔が差された感情は、すぐに消えた。消した。


「それでも、私が……事態を引き起こした張本人が駆けつけるってことに、意味があると思うんです!」


 それに、とマーチは言った。


「それに私は、兄ちゃんを助けたい!!」


 ヒーローならこうするだろうという考えは、一切なかった。世間一般が言うヒーローの考えではなく、マーチがどうしたいか。それ以外の気持ちは存在していなかった。


 ハルは黙って、両腕を組んだ。マーチは返事を待った。体が震えた。


「いずれにせよ警察には連絡する。しかし警察が到着するまでの間に、時間稼ぎが必要だと考えると……有りと考えていいかもしれない」

「!」

「プロキオンは、まず月に向かうと言っていたそうだな」


 ハルは頭上を見上げた。こくこくとマーチは頷いた。


「確かにあの宇宙船の型から距離を分析しても、月までの航行が最適だろう。あの宇宙船で宇宙に直接逃げるとは考えにくい。となると、充分追いかけられるだろう。ということでマーチ。早速追いかけるぞ」

「はいっ! ……でも、どうやって?」

「私もあの型と同じ宇宙船をレンタルしていたんだ。カニスの研究所から逃げた後にな。追っ手が来たとき、すぐ逃げられるように。さあ、こっちだ」


 ハルが走り出したので、マーチは急いで後を追った。ハルは走りながら言った。


「決して油断しないように。プロキオンというロボットの用途を考えると、敵と見なしたものには容赦ないだろうから」

「用途?」

「レスキューロボットや、朗読ロボットなど、色々あるだろう。私を襲ったとき、カニスが言っていた。プロキオンは宇宙をひっくり返す可能性を秘めた、戦闘用ロボットである、と」

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