第6話
翌日。朝六時に起きたマーチは、プロキオンと家を出た。こっそり出たはずだが、途中でアスマが追いかけて来た。
なんで来たのと口を尖らせれば、何かあったら怒られるのは俺だから、と答えた。ついてくる気らしい。邪魔しないでねとマーチは釘を刺し、プロキオンと共に歩いて行った。
充電も完了し、プロキオンはカニス博士と月で合流するという。では宇宙空港に向かうのかなと思ったが、プロキオンは首を振った。
「もしかしたらハルが宙港で待ち伏せているかもしれません」
「そっか、そういう危険もあるよね……。じゃあどうやって宇宙に?」
「専用の脱出ロケットがあります。それで宇宙に脱出します」
電車に乗り、町外れ近くのとある駅で降りる。駅からしばらく歩くと、小高い丘が見え、その頂上に一階建ての一軒家が建っているのが見えた。
「あの丘の上の家が、博士の家です。研究所と一緒になっています」
丘の上の家に顔を向けながら、プロキオンは言った。
「……なんか人がいないか?」
目を凝らしたアスマが怪訝そうに言った。よく見てみると、確かに家の周辺に、蠢く人影が複数あった。まさか、とマーチは声を震わせた。
「追っ手じゃない?!」
「かもしれません」
「だ、だよね、どうしよう! 博物館の人かな……。ハルはいる、のかな?」
マーチはプロキオンの前に立ち、背中に庇った。丘からマーチ達のいる場所まではかなり離れているが、万一気づかれれば大変だ。早く逃げなくては、と焦りが募る。
「でもロケットは家にあるんだよね……。困ったな、これじゃ……」
「いえ、ロケットは別の場所にあります」
と、プロキオンはあっさりマーチの焦りを払拭した。
「緊急脱出用のロケットを別の場所に隠してあるのです。こちらです」
「……なんでロケットを隠しておく必要があるんだ?」
「有事に備えて、です」
「有事って」
「さあ、早く行きましょう」
アスマは何かを言いたそうな顔で、黙っていた。
プロキオンが向かったのは、丘から更に歩いたところにある雑木林だった。その中のある一点で立ち止まったプロキオンは、「この地中に埋まってあるのです」と地面を手でつついた。
「じゃ、掘る道具を持ってくるよ!」
「必要ありません、用意はあります」
言うやいなや、プロキオンの両方の前脚が見る間に変形していき、それぞれが二本の電動ドリルとなった。マーチが驚いている間にプロキオンは回るように地面を掘っていった。土が飛び散り、マーチ達にできることは何もなかった。
やがて三分もしないうちに、地面から白い物体が顔を覗かせた。プロキオンが更に掘っていくと、どんどんその物体は姿を現していった。
プロキオンが電動ドリルを止め、もとの前脚に変化させたとき、そこには細長い窓のついた、真っ白い球体型の宇宙船があった。サイズは人一人が乗り込んで少し余るくらい、といったところだ。小型宇宙船より更に小さかったが、プロキオン用の脱出ロケットなら妥当なサイズかもしれない。
「こちらが宇宙船です。マーチ、本当にありがとうございました」
「ううん! 私は何もしていないもの。本当に良かった、何事もなくここまで来られて!」
マーチは軽く拍手をした。
「マーチ、最後に感謝の握手をしてくれませんか」
プロキオンは右の前脚を少しだけ上げた。もちろん、と自分も手を差し伸べながら一歩近づいた、そのときだった。
「……確かにマーチは何もしていないよな」
「もう、水を差さないでよ!」
全く情緒がない兄だ。マーチは目を三角にした。実際、図星なのが痛いところだ。プロキオンが博物館から脱出してから、マーチがいないと事態が解決できなかった場面が一度もなかったのは確かなのだから。
最初の出会いだって、声に導かれるままマーチは保管庫に向かったが、閉じ込められていた棚から脱出したのはプロキオン本人の力によるもので、マーチは何もしていない。
「……そうだ、マーチは何もしていない。全部プロキオン一人でなんとかなっている……」
アスマは呟きながら、マーチの前に立った。兄ちゃん、とマーチが呼ぼうとする前に、アスマは口を開いた。
「プロキオンほどのロボットを、俺はみたことがない。お前は物凄くハイスペックなロボットだ。ひょっとしたら、ロボットミュージアムに展示されているどのロボットよりも」
「ありがとうございます」
「正直、閉じ込められていたとしても、プロキオンひとりで全部解決できる能力があると思う。だから、わからないんだ。プロキオン、どうしてお前はマーチを頼ったんだ?」
アスマはほとんど瞬きしないまま、そう聞いた。睨むというより、真っ直ぐ見据えた瞳だったのが、逆に気になった。
プロキオンはわずかに首を傾けた。よくわからない、と言いたそうに。しかしアスマは補足も弁明も何も付け足さず、プロキオンから目を逸らさずに見続けている。空気に重さが追加された気がした。マーチはアスマの肩を揺さぶった。
「に、兄ちゃん。そんなのどうでもいいことだよ。違う? プロキオンが悪いやつから無事に逃げられるんだよ。もうそれでいいじゃん。私はそれでいいよ? ありがとうとも言ってもらえたし、私は満足して」
「待ちなさい!」
こちらに近づいてくる、地面を駆ける音にはっと振り返ったときには、その声は真後ろから響いていた。
そこにいたのはハルだった。わあ、とマーチは危うく声を出しそうになった。
「もう逃げることはできない。プロキオン、これ以上の抵抗はやめなさい。そんなことをしても無駄だ。大人しくこちらに来なさい」
ハルが一歩近寄る。プロキオンがじり、と一歩後ずさる。お互い顔を持たないロボットなので、感情が読めない。しかし、今が緊迫した状況下に置かれているというのは、充分すぎるほどわかった。
「止まって!!」
マーチは両腕を広げてハルの前に立ちはだかった。マーチがいないと事態が解決しない場面。それはまさに、今だった。
「君、危ないから離れなさい」
「どかない! プロキオンの邪魔はさせない!」
マーチは地面に転がっていた木の枝を拾い、ハルに向けて構えた。
「プロキオン、時間を稼ぐから早く逃げて! とりゃああああ!!!!!」
全身全霊、渾身の力で振るった木の枝を、ハルはさっと横に逸れて逃れた。めげずにハルにぶつかっていく。
ここでハルを止めなければ、誰がプロキオンを守るのか。助けてほしいと言われたのだ、自分を相手に選んでくれたのだ。今ここで報いなくていつ報いるのか。マーチの胸は熱した炎そのもののようになっていた。
「プロキオン、君にもう逃げる理由はない。なぜだかわかるか?」
おりゃああああと第二撃を放つ。が、あっさり避けられる。むしろマーチのほうが、勢いをつけて転んでしまった。
慌てて起き上がって振り返ると、すぐ前にハルの背中があった。チャンスが到来したのでは、と木の枝を握りしめ、振りかぶろうとしたときだった。
「カニス・ピクトリスが逮捕された。潜伏先に潜んでいるのが発見された。家と研究所は警察が調査している。君も見ただろう?」
ハルが丘の方角を指さした。
は、とマーチは目を丸くした。アスマも唖然とした顔を見せた。
逮捕? 理不尽な目に遭い、悪い奴らに追われている、プロキオンを作った博士がなぜ逮捕されるのだろう?
「この二人を騙して、人質にして宇宙に逃亡するつもりだったのだろうと予測できる。が、もはや無意味な行動となった。仕えるべきマスターがいなくなった今、君がすべきことは一つもない」
心に迸っていた炎が、一気に小さくなっていく。
騙す?
「あ、あの。ハル、さん? 何を言って」
「君、危ないから離れていなさい」
近づこうとしたマーチをハルは止めた。その場に立ち尽くしたマーチは、頭を泡立て器でかき混ぜられているような気持ちを味わった。頭の処理に全ての力を持って行かれ、体を動かせられない。
そのときだった。
「二人を騙して、と言いましたが、間違えています。アスマがついてきたことは全くの誤算でした。こんなに慎重で勘が鋭いだなんて」
プロキオンが喋った。喋ったが、話している言葉をまるで理解できなかった。それまでと明らかに違う空気感の台詞が出てきたからだ。
「ハルは今、ワタシがすべきことは一つもないと言いました。それも間違えています。博士がいなくなったからこそ、ワタシ以外に博士の願いを受け継げるものはいないのです」
言い終わった瞬間だった。プロキオンの左の前脚が、鋭い刃に変形したのだ。
え、と思う間もなかった。プロキオンは地面を蹴り、マーチに向けて飛びかかってきた。刃の灰色が、陽の光を反射して煌めいた。
ハルがマーチの手を引き、引っ張った。アスマが血相を変えて、こちらに走ってくるのが見えた。マーチは呆然として、まだ体が動かなかった。刃が迫り来る。
が。プロキオンは、マーチのすぐ目の前で着地し、いきなり方向転換した。
向かう先にいるのはアスマだ。刃になっていた左脚がまた変形し、手錠のような鉄の輪っかになる。その輪っかが、アスマの手首に嵌められる。え、とマーチとアスマの声が重なる。
「アスマがいることは誤算だった。しかし結果的に役立った。ワタシはひとりで、博士の存在を世に知らしめます」
がしゃがしゃとアスマは手首を引っ張り、手錠から逃れようとするが、金属の擦れる音しか生まれずびくともしない。プロキオンもアスマの抵抗をものともせず、すたすたとアスマを引っ張って歩いていく。
「はっ、離せ! なんだこれ、離せよ!」
「にっ、兄ちゃん待って! どこに連れて行くの、プロキオン!」
宇宙船の扉が横に開き、プロキオンが乗り込む。アスマは両足を踏ん張るが、ずるずる引きずられていく。兄ちゃん、とマーチが駆け寄ろうとした。
「来るな、マーチ!!」
真っ青な顔で、アスマが叫んだ。直後、「うわっ!」と兄の体が強く引かれ、宇宙船の中に消えた。しゅう、と一瞬で扉が閉まり、ごごご、と軽い地響きが聞こえる。
白煙を噴出しながら、宇宙船が垂直に飛び上がった。宇宙船はどんどん地面から離れていく。三秒もしないうちに青空の彼方に消え、影も形も見えなくなった。
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