第5話

 その日の夜、ふらふらになりながら父が帰ってきた。父はロボットミュージアムで展示品のロボットの点検や整備をする仕事についているのだが、そのロボットによる大事件が起き、その対処に追われててんやわんやだったという。


 事件については、夕方のニュースでも報じられていた。ロボットミュージアムで起こった前代未聞のロボット暴走事故、と言われていた。

 パニックにより軽傷者は何名か出たものの、死者や重傷者が一人も出なかったのは不幸中の幸いだった、とも言っていた。何が何だかわからないよ、と父は夕食時にげっそりとした顔で家族に話した。


 父いわく仕事が多すぎて、どう足掻いても今日中には片付けられないと判断され、逆に明日に回したほうがいいと言われて何名か帰されたという。


「しかもなあ、混乱に乗じてかなんなのか、スクラップロボット保管庫からロボットが一体脱走したし……。そのロボットは、かなり訳ありのロボットだし……。しかも監視カメラの調子も悪くなってて何が起きたのかわからないし……。もう大変だったんだ……。だから、今日は早く帰されたけど、明日以降は遅くなる日が続くと思う」


 はあ、と肩を落とす父と心配する母を見ながら、マーチに背中に冷や汗を滲ませ続けた。上手く家族の顔を見ることができなかった。今日なんか静かね、と母から指摘されたとき、声が裏返ってしまった。家族と顔を合わせているとぼろが出てしまいそうだったので、急いでごはんを食べ終えた。


 疲れた父の顔は、自分のしたことがどれだけ周りに迷惑をかけたかがはっきりと形になっているようで、足取りが重くなった。大変なことをしてしまった、という気持ちが全く無いと言えば嘘になる。

 アニメのヒーローも、怪物と戦うときや人を助けるとき、実は見えないところで他の誰かに迷惑をかけていて、その責任を背負っているのかもしれない。


「マーチ」


 今まで抱いたことのない考えに悶々としていると、自室に入る前にアスマに声をかけられた。


「やっぱりやめておいたほうがいいんじゃないか?」

「……ううん。やる。絶対やり遂げる。助けるって言ったくせにやっぱり無理だなんて、ヒーローだったら絶対に言わないことだもの」


 ぶんぶんと、マーチは首を左右に振った。葛藤がないと言えば嘘になるが、プロキオンからの話をなかったことにする気持ちは全く無かった。ところが、アスマは言ったのだ。


「テレビのヒーローでもないし、そこまで考えすぎる必要はないんじゃないか?」

「そんなことないよ! 私はできるよ! やってみせる!」

「でも実際、できることに限りがあるのは事実だろ?」


 な、とマーチは頭が熱くなっていくのを感じた。なぜ兄はいつもこうなのか。マーチが助けてほしいと頼られている場面でも、応援してくれないのか。それがアスマという人なのか。


 もういいよ、とマーチは声を荒らげた。


「本当は今日クラスで気になってた女の子と博物館に来たかったのに、誘ったらその日彼氏とデートがあるんだって断られたような、甲斐性無しの兄ちゃんにとやかく言われたくないよっ!」

「え、はっ?? おま、なんでそれを!」

「私兄ちゃんのパソコンの日記の内容、大体把握しているんだからね! パスワードが自分の誕生日って一番だめなやつだよ!」

「マッ、マーチおまえッッッ!!!」

「じゃあね!!!」


 ばん、と部屋のドアを、音を立てて閉める。念の為、椅子をドアの前に置いてバリケードを作った後、どかっとベッドに座った。もっとスマートで優しい兄が欲しかった、と心から思う。


「大丈夫ですか」

「あっ、ごめんね。大丈夫だよ」


 部屋の隅で、まだ充電中のプロキオンが頭を下げた。


「声が聞こえてきていました。申し訳ありません。ワタシのせいで、マーチがアスマと喧嘩してしまった」

「そんなの気にする必要ないよ。失礼なことを言った兄ちゃんが悪いんだから!」

「しかし、ワタシを助けなければ、マーチに迷惑がかかることはなかったのは確かです」

「こら! そういうこと、もう二度と言っちゃだめ!」


 マーチはベッドから降り、プロキオンに向かって指を突き付けた。


「私は、プロキオンの助けてって声を聞いて、助けたいって思ったから助けに来たの。迷惑なんて微塵も思ってないよ。だから申し訳なく思う必要なんてない! 私は誰かのヒーローになることが、とても大好きなんだからさ!」


 マーチは本棚へと歩いていった。本棚の上に飾られているのは、いくつかの表彰状や、金色に輝く表彰楯だった。


「これ見て。この表彰状は八歳のとき、道端で倒れている人に救急車を呼んだときにもらったものなの。その人は心臓に発作があったみたいでね、あと少し病院に運ぶのが遅れていたら危なかったんだって。

こっちの表彰状は九歳のとき、家に忍び込む泥棒をたまたま見つけて、その場で大騒ぎして人や警察を呼んだときにもらったもの。

で、こっちのは十歳のとき、誘拐犯を見つけたときにもらったもの。四歳くらいの女の子とおじさんが手を繋いで歩いていて、最初は親子かなって思ったんだけど、女の子の顔が怯えていたっていうか……私を見たとき、助けてって目をしていたから。私、おじさんの前を通せんぼして、しつこく何やっているのかとか女の子との関係はとか聞きまくったのね。そのうち他の人が私達の様子に気づいて警察を呼んでくれて、女の子を連れていたそいつが誘拐犯だってことがわかったの。あ、でもこのとき私、褒められたけど、家族から怒られもしたかな。相手は誘拐犯だったんだから、下手をすれば私も危なかったんだぞって」


 マーチは未だにこのとき怒られたことに納得がいっていなかった。自分が危なかったのは確かなのだろうが、結果として犯人を捕まえることはできたし女の子も無事だった。自分が動かなければ事件を防ぐことはできなかったのだから、叱られる理由などどこにもないのではないか、と思っている。


「で、これが去年。十一歳のとき、ゴミ拾いのボランティアで一番多くゴミを拾ったことを表彰されたもの」


 マーチは表彰状の中で唯一違う物体である、金色の表彰盾を手に取った。


「このときは大変だったけど、楽しかったなあ。どんどん道や町が綺麗になっていくのが面白くて! 表彰されたときは、頑張って良かったって心から思ったよ! ……でも、ね」


 楽しかったのは確かだ。楽しかったからこそ、去年を思い出すと、胸の内側の、手の届かない場所が痛む気がする。


「クラスでこのボランティアに参加したの、私だけだったんだけど。なんか今までそんなことなかったのに、クラスの子達から、私のヒーロー好きなところ、からかわれるようになって。で、それから一週間と少し経ってぐらいだったかな……。

その日、寝坊して遅刻しそうで、慌てて走っていたんだけど。その登校中に、目の前でひき逃げ事故が起きたのを目撃したの。警察と救急車を呼んで、来るまでの間被害者のそばにいて、見送って……。もちろん遅刻はしたけど、遅刻しないことより優先すべきことがあったから、後悔も何もしなかった。それに先生にも事情を話したら、そういうことならって、特別に許してくれたの」

「良かったではないですか」

「……でもクラスの子達は、私が本当はただ遅刻しただけなのに、人助けしたから遅くなったって嘘をついているって信じた。その日から今年……クラスが変わるまで、ずっとハブられていた。偽善者って、一番言われたよ」


 マーチは力なく笑った。


 このときのことは、未だに納得できていない。ヒーローを目指していれば遅刻も何もかも全部許されるなんてずるいだろうと、笑われたのを覚えている。ずるいと思うなら自分も誰かを助けに行けばいいのに、なぜそうしないのかと思った。


 なぜ偽善と言われ続けるのかもわからなかった。マーチは今まで見返りも何も求めたことはないのに、なぜ偽善者に見えるのか。


 十一歳のときのことは、あまり思い出したくない。大好きなヒーローのアニメも侮辱され続け、自分そのものを否定され続けるようで、本当に辛かった。だが、無駄な年だったとは思っていない。


「だけど、おかげでわかったことがあった。ヒーローは悪じゃなくて、理不尽と戦うものなんだって。テレビじゃ、何の罪もない人がいきなり怪物に襲われて、理不尽に大事にしていたものを奪われる物語が多い。そういうとき現れるヒーローは、怪物が奪ったものを取り返してくれる。私も、理不尽に馬鹿にされたから。だから私は、誰かが理不尽な目に遭ったとき、助け出せるヒーローになりたいって、そう思っているの」


 今までテレビに出てくるような怪物や怪獣が現れたことはないが、「理不尽」という敵は、いつでもどこにでも現れる。

 それら全てをやっつけることはできないが、せめて、遭遇した敵は倒せるヒーローでありたいのだ。例えば今日、引ったくり犯をあっという間に捕まえたプロキオンのように。あんな力があったら、自分ももっと活躍できるのに、と思う。


 同時に、ああいう「悪」を倒す姿を見ると、散々馬鹿にされたヒーローの存在は、やはり正しいものなのだと感じられる。自分は正しいことをしているのだと、そう思える。


 だからね、とマーチは笑顔を見せた。


「こういう理由があるんだから。プロキオンが私を気遣う必要なんて、どこにもないってことだよ!」

「なるほど。ヒーローは、理不尽と戦うもの。学習しました」


 こくり、とプロキオンは一度頷いた。


「マーチに助けを求めたことで、最良の結果が得られそうです。ありがとうございます。どうか引き続き、よろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ! 私、最後まで精一杯頑張るからね!」


 マーチは両方の拳を握りしめた。力と共に、決意もぐぐっと込めた。

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