第3話
「二人に聞きたいことがあるのだが」
その人物がそう言うと、その台詞に合わせて、灰色のテレビ画面の下方に線で書いたような口が表示され、台詞の通りに動いた。
「な、な、なんでしょう?」
マーチは体を強張らせながら聞いた。その人物の後ろにある、保管庫のドアが開いていた。このテレビ頭の人物は、入館許可証を首からかけていた。まさか、博物館のスタッフだろうか。しかし制服を着ていない。では何者なのか。
人間離れした見た目をした存在は、プロキオンを手で示した。
「そちらのロボット。それは、カニス・ピクトリス氏が制作したロボット、“PROCYON”ではないか?」
「カニス……?」
マーチは首を傾げた。しかしこの謎の人物の口から出たのは、紛れもなくプロキオンの名だった。マーチは反射的に、プロキオンの傍に寄った。
「あ、あなたは誰ですか?」
「私は、ハルという。種族はロボットだが、この博物館の展示品とは関係ない。理由あって、ここを訪れた」
ハルと名乗ったロボットは、礼儀正しく淡々と言った。ロボット、とマーチは呟いた。それならテレビ頭の頭部も、人間の男性のようには聞こえるが、機械音声みたいに抑揚のない声音にも納得がいく。
「理由って?」
「他ならぬそのロボット、プロキオンについてだ。プロキオンには不具合が発生している。重大に分類される不具合だ。私は機械に詳しいので、プロキオンの整備という依頼でここに来た。どうかそのロボットを渡してほしい」
さあ、とハルは手を差し伸べてきた。マーチはアスマと顔を見合わせた。双方、困惑の表情を浮かべていた。そのときだった。
「マーチ」
足下で、プロキオンが言った。
「渡さないで下さい」
プロキオンを、ハルはじっと見つめた。ただし目に当たる部分がないので、本当に見つめているかどうかわかりづらい。ふむ、とハルは呟いた。
「とにかく渡してほしい。君達の手には負えないだろうから」
ハルが一歩近づいた。マーチ、とプロキオンがもう一度名前を呼んだ。
「ワタシを、たすけてください」
マーチは大きく目を開けた。更に一歩近寄ったハルとプロキオンを見比べる。プロキオンはハルが近づいた分、後ずさる。マーチはプロキオンに聞いた。
「……どうすればいいの?」
「逃げます」
その瞬間だった。プロキオンはくるりと身を翻し、一気に駆け出した。走る先は、開け放たれてある保管庫の扉だ。
「待ちなさい!」
プロキオンを追って、ハルが走り出す。マーチは急いで、ハルの進行方向を遮るように、近くに積んであった段ボール箱に体当たりした。
どさどさと箱が崩れ、ハルの足が一瞬止まる。その間にマーチもプロキオンと一緒に出口に向かった。と、「待てよーっ!」とアスマも追いかけて来た。よくわからないがとりあえず走っている、という表情だった。
「兄ちゃんも助けてよ! 可愛い妹がどうなってもいいの?!」
「自分で自分のこと可愛いって言うか! っていうかこの後どうするんだよ!」
この後どうするかなど、マーチにもわからないことだ。関係者以外立ち入り禁止の通路から出て、博物館側に出た。おろおろ辺りを見回すが、何も見当がつかない。近づいてくる足音に振り返ると、ハルが通路の奥から走ってくるのが見えた。
「うわうわうわどうしよう!!」
「ワタシにお任せ下さい」
そのとき、急にプロキオンが駆け出した。このまま逃げるつもりなのかと思ったが、走っていった先はなぜか出口とは逆方向だった。マーチもアスマと後を追う。
大型犬のような見た目のロボットが走る姿に人々のざわめきが起こるが、気づかない者、スルーする者もかなり多かった。ここがロボットミュージアムだから、展示品のロボットによるパフォーマンスだと思われているのかもしれない。
プロキオンは器用に人混みをかき分けながら走っていき、少し離れたところにあったとあるロボットのコーナーで立ち止まった。レスキューロボットや救命救急ロボット、警備ロボットなど、緊急時に出動するロボットが主に展示されているコーナーだ。
どうするのかと思ったその直後。ホースを背負った見た目をした消防ロボットのもとに向かったプロキオンは、先程見せたような、頭を低くする助走をつけるときのポーズを取った。
「プロキオン?!」
止める間もなかった。プロキオンは一気に走り抜き、ロボットが展示されているケースのガラスに突撃した。
きゃあああ、と悲鳴が上がる。何をしているの、とマーチが駆け寄ろうとしたときだ。
プロキオンが口を開け、消防ロボットの脚に噛みついたのだ。瞬間、消防ロボットの首がかくんと下がった。プロキオンが口を離した一秒後、ロボットが顔を上げた。手に持っていたホースを構えながら。
「消火ヲ開始シマス! 消火ヲ開始シマス!」
ぶしゃあああ、とホースから水が流れ出る。どこにも火はなく、観客しかいない場所に、消防ロボットは容赦なく水を撒いていく。
「消火シマス! 消火シマス!」
「うわあああ何をするんだ!!」
「いやーっ、やめてよ!!」
「助けてー!!」
その間にプロキオンは、すぐ隣にあった黒いスーツを着た警備ロボット、その向かいに展示されていた白色に赤いランプをつけた救命救急ロボットのケースに体当たりして侵入し、ロボットに次々と噛みついていった。
ロボットは堅い足音を鳴らしながら、ケースから出てきた。
「侵入者発見! 侵入者発見!」
「要救助者発見! 要救助者発見!」
「捕獲シマス! 捕獲シマス!」
「救助シマス! 救助シマス!」
「何が起きているんだ一体!!」
「やだー!」
「近づかないで!」
「怖いよおお!」
手当たり次第に水を撒き散らす消防ロボット、目に入った人間を捕まえようとする警備ロボット、ここにはない病院へ無差別に連れて行こうとする救命救急ロボット。それらから逃げ惑う人々。
あっという間に、博物館はパニックに陥った。悲鳴、鳴き声、怒声、叫び声があちこちから無数に上がる。とにかくこの場から逃げようと、人々が四方八方に走っていく。人間もロボットも含めたスタッフが大勢やって来るが、それが逆に混乱を生む。
もはや何が起こっても混乱に繋がる。きゃーうわーあれーと大声が飛び交う中、「マーチこれ一体どうするんだよ!!」とアスマが叫んだ。
「どどどどうするって言われても!」
「今のうちです。逃げましょう。監視カメラもハッキング済みです、ワタシ達が犯人だとはばれません」
しれっと戻ってきたプロキオンが逃亡を促す。でも、とマーチが迷いを見せたとき、走ってきた人に思い切りぶつかられ、転びそうになった。
「き、気を付けろ!」アスマが慌てて手を引いた。
「と、とりあえず、ここから出よう! 危なすぎる!」
「同意見だ、今は逃げるぞ!」
マーチはアスマとプロキオンと、急いで退散した。なんとかロボットミュージアムを出た後も走り続けて、すっかり博物館から遠ざかった頃になって、やっと三者は足を止めた。
アスマはその場に座り込み、マーチは地面に手をついた。ぜえぜえと、息が思うように吸えない。焦っていたときはわからなかった横っ腹の痛みがわかるようになって、マーチはお腹を押さえた。
「プ、プロキオンッ、あなた、本当に、何をやったの……!」
「ワタシが起こした行動こそ、あのハルというロボットが原因にあるのです」
「ど、どういう、こと、だよ……?」
息を切らしながら、アスマも聞いた。
「あのハルというロボットは、ワタシに二つのプログラムを施しました。一つは、ワタシに強制的に異常を起こさせるもの。もう一つは、その異常を他のロボットに伝染させ、強制的に暴走状態を引き起こすものです」
ということは、とマーチは考えた。博物館のロボットが今までに無かった暴走を見せたのは、直前にプロキオンがロボットを噛んだ、あの行動が原因だったのか。
「プロキオン、あなたなんでそんな目に遭っているの……?」
「では一から話させていただきま」
その直後だった。
「引ったくりーーー!!!」
女性の叫び声がして、マーチは振り向いた。見ると道の向こうから、バッグを抱えた男が走ってきた。マーチ危ない、とアスマがマーチの腕を掴んで道の端に引っ張った。直後、男が目の前を走り去っていった。そこでマーチは我に返った。
「こら待てーっ!!」
引ったくり犯を捕まえようと、マーチは一気に駆け出そうとした。が、次の瞬間、どてっと転んでしまった。先程まで全力疾走していたせいで、力を使い切ってしまっていた。男の後ろ姿はもはや豆粒ほどの大きさになっている。
「まっ、待ちなさいよ、人のもの取るなんて最低ーーー!!」
「ワタシに任せて下さい」
「へ?」
そのときプロキオンの後ろ脚が両方とも、自動車やバイクにあるような、エンジンの排気を出すマフラーの形に変化した。一秒後、エンジンをふかす音を響かせながら、プロキオンの姿が消えた。
「あれっ、どこ?!」
「あそこだ!」
アスマが指を指したのと、うわーっという悲鳴がしたのは同時だった。見ると、プロキオンがあっという間に追いついて、引ったくり犯を取り押さえていた。口にはバッグが咥えられていた。
そこへ警察がやって来た。プロキオンが路地に隠れたので、マーチ達も追いかけた。
「プロキオン! 凄いじゃない、お手柄だよ!」
連行されていく引ったくり犯を見送った後、マーチは興奮気味にプロキオンとの距離を詰めた。
「格好良かったよ、本当に凄かった! プロキオン、あなた私と組んでヒーロー活動しない?! あなたと一緒なら、私、どんな悪いやつとも立ち向かえるかも!」
「そうですか」
「一緒に世界を救おうよ! 世界を変えちゃおう!」
「しかしワタシは、世界を変えるならマスターである博士と変えると決定づけられているので、申し訳ありませんが、断らせて頂きます」
「ああっ、残念……!」
割と本気で、マーチはがっかりした。プロキオンはかなり高性能なロボットに思えるし、プロキオンと一緒なら、たくさんの人を笑顔にできるだろうと思ったのに。
諦めきれず、もう一度勧誘しようとしたそのときだった。
ばたん、とプロキオンが横方向へ、地面に倒れた。
「プロキオン?! 大丈夫?!」
「……電池が、切れかかっています。エネルギーを消費しすぎました」
途切れ途切れに、プロキオンは言った。
「じきに、会話もできなくなる、でしょう。早急に、充電が必要、です」
「充電? 充電でいいの?」
「はい……。こちらのコードを、適当なコンセントに……」
プロキオンの腹部から、電源プラグのコードがするすると伸びてきた。それを最後に、プロキオンのバイザーアイが黒色に変わった。どれだけ揺さぶっても声をかけても、応答が返ってくることはなかった。どうするんだ、とアスマが聞いた。
「家に連れて帰って充電するよ、もちろん! ……って、おもっ!」
犬を抱えるように抱っこして運ぼうとしたマーチは、そのまま腰を抜かした。プロキオンが物凄く重かったからだ。鉄の塊そのもののようにと感じたが、実際に鉄の塊だった。
「兄ちゃん、手伝って! 二人で運ぼう!」
「えっ、俺も?」
「つべこべ言わないで、ほら!」
すると。たったったっと、近づいてくる足音が聞こえてきた。なんだろうとマーチは振り向いた。マーチ達のいる路地を、人影が覗いた。
「君達、待ちなさい!」
「うわわわーーーっ!!!」
なんと、現れたのはハルだった。
「私の話を聞い」
「兄ちゃんそっち持って! 早く!!」
「えっ、えっ?!」
マーチはアスマにプロキオンの下半身を持たせると、自分は上半身を持ち、二人一組で運ぶ形を取り、全速力でその場から走った。電車に飛び乗れたときには、今度こそ完全にその場に崩れ落ちた。
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