第2話
「助けて」と言われて、動かずにいられないのが、マーチという人間だった。
というのもマーチには、「無類のヒーロー好き」という特徴があった。
五歳の頃、休日に毎週放送している、ヒーローの活躍する長寿アニメを見るようになったのが始まりだった。
兄と一緒に見始めたそのアニメは、宇宙の様々な星に現れる怪人をやっつけていくスペースヒーローが主人公だった。マーチは、色々な惑星の過酷な環境に耐え、強い敵にも決して諦めずに立ち向かい、最後には必ず悪者を倒して泣いている人々の顔を笑顔にして、颯爽と去って行く主人公の姿に、この宇宙にこれ以上格好いい存在はきっとないと感動した。
弱きを助け強きをくじくヒーローの概念に虜になったマーチは、様々なヒーローものの漫画やアニメを漁るようになった。どんな物語にも出てくるヒーローを全力で応援し、お小遣いを貯めて買ったヒーローグッズを毎日掃除して丁寧に管理し、家族の都合がつくできる限りの範囲でヒーローイベントに連れて行ってもらい、友達と遊ぶヒーローごっこを全力で楽しんだ。
もちろん、尊敬するヒーローを真似して、積極的に人助けしたり、たとえ小さないたずらレベルだとしても悪事を咎めたり、悪いことをしないよう清く正しく生きるよう気を付けてすごした。
結果的に「良い子」になっているマーチを、親や先生や周りの大人はよく褒めた。褒められる度に、ヒーローの正しさ、凄さが証明されるようで、嬉しさと誇らしさに満たされた。全身全霊をかけてヒーローを愛するマーチの日々は、それはそれは幸せで満ち足りていた。
風向きが変わり始めたのは、小学校の中学年を迎えた頃だ。まず、アスマが毎週欠かさず見ていたヒーローアニメを見なくなった。聞けば「飽きたから」というのだ。
「マーチ、いいか? 時代はヒーローじゃないんだ。少し悪いくらいがちょうど良いんだよ。熱血全開にしているとか格好悪いのさ」
マーチは、兄は所詮格好つけたいだけなのだろうと判断し、アスマの趣味が変わったことを下らないと思った。長年応援し続けたヒーローをこんなあっさり裏切るなんて、と腹も立った。
しかし変わったのは兄だけではなかった。一緒にヒーローごっこしていたはずの同い年の友達も全員、ヒーローものから卒業を始めたのだ。
特に女友達は顕著だった。口を開けば、話題はお洒落と恋バナばかり。それが悪いとは言わないが、あのヒーローが格好いい、あの話が面白かったと語ることはなくなってしまった。
朝から夕方まで外でヒーローごっこで遊んでいた時間は消え、マーチがヒーローの話をすれば冷めた目で見られるようになった。そのうち露骨にハブられるようになり、一時期マーチの周りには友達がいなくなった。が、ヒーロー好きを隠すようにすると、すぐに新しい友達ができた。
この経験を経てマーチは一つ学んだ。ヒーローが好きというのは小さい子のみ許される趣味なのだと。大人に近づくにつれ、ヒーローが好きとは、ヒーローとは、馬鹿にされるものになっていくのだと。
そんな馬鹿な話があるかと憤慨した。ヒーローは格好いいのだ。それ自体が希望の象徴なのだ。どんなに格好つけていても、希望なしに生きていける人などいないだろう。
マーチは夢見ていた。いつかヒーローの存在を、全人類に認めさせたいと。自分を馬鹿にしてきたあらゆる人達に、ヒーローは格好いいですと言わせたいと。そんな夢を胸に秘め、日々を生きていた。
そのためには自分が頑張らないといけない。マーチは積極的に、人助けやボランティアを行ってきた。すると段々と、どんどんと、ヒーローが好きだからという理由とはまた別に、困っている人を見過ごせない性格になっていった。
とはいえ。他のロボットを通じて、ロボットから助けてと言われたのは、今日が初めてだった。
「どうしよう……」
歩きながら、マーチはずっと悩んでいた。目的地であるスクラップロボット保管庫の前に辿り着いてからも、まだ悩んでいた。
スクラップロボット保管庫と札の架かってある、鉄製の両開き扉の前。もちろん、関係者以外立ち入り禁止の場所だ。
ロボットミュージアムには小さい頃から何度も遊びに来ているので、スクラップロボット保管庫の場所も、保管庫にいつも鍵がかかっていることも把握している。なので、直接扉から入ることはしない。マーチは壁際に積まれて置いてある箱などを足場として利用して、登っていった。目指すは壁に空いてあるダクトだ。
昔、好奇心のままにダクトに入り、スクラップロボット保管庫を探検したことが何度かある。最後に探検してから二年以上経過していたが、ダクトは変わらずあった。
しばらくダクトを見上げていたマーチだったが、ぎゅっと目を閉じ、すぐに開けた。
どうせここまで来てしまったのだ。今更引き返すほうが、なんだか格好悪いではないか。
マーチは勢いに任せてダクトに侵入した。狭いダクトを這っていって、目当ての場所で抜け出す。
無事に忍び込めたスクラップロボット保管庫は、棚に並べられたロボットがずらりと並ぶ空間が広がっていた。
棚だが、棚全体がケースのような、透明なガラスで覆われている。一見すると、博物館側の展示の仕方とさほど変わらないように見えるが、見に来ている人が一人もいない。それだけでこの部屋は、無視できない寂しさの漂う場所に感じられた。
棚は、奥に行くほど壊れた日が古く、手前に行くほど新しいロボットが保管されている。プロキオンはどこだろうか。入り口に近い棚から探し始めた、そのときだった。
「あ!」
その棚は、「棚」ではなく、ケースだった。他にロボットが置かれていなく、その一体だけが保管されていた。
ケースの中央に、黒色の大型犬が座っていた。ただしその犬の表面は光沢がかかっており、目はカバーのような、青いバイザーアイとなっていた。そのロボットは、じっとマーチの姿を見ていた。マーチが移動すると、顔もそれに合わせて動いた。これだ、と直感した。
「……もしかして、あなたがプロキオン?」
そろそろと、マーチは近づいた。バイザーアイが、ぴかぴかと点灯した。
「そうです。ワタシがプロキオンです。本当に来てくれたのですね。ありがとうございます。アナタの名前を教えて下さい」
「マーチだけど……」
「マーチ。登録しました」
言葉の一つ一つをはっきり発音しているせいか、逆に辿々しく、発声が不慣れに感じられる、無機的な声だった。
「ではマーチ。ワタシをここから出して下さい」
「な、なんでプロキオンはここから出たいの?」
「それは、ワタシは本来ここにいるべきではないからです」
プロキオンは頭を大きく回して、ぐるりと保管庫内を見渡した。
「見たところ、ここは不具合を起こしたロボットを保管している場所の模様。しかしワタシは、不具合を起こしていません。どこも壊れていないのに、処分されようとしています」
「ど、どういうこと?」
「ワタシはワタシを作った博士に送り出され、この博物館に展示される予定でした。ところが、ワタシの博士ではない者が、ワタシをいじり、ワタシに強制的に不具合を発生させるプログラムを施したのです。ニンゲンに例えるなら、外部から強引に癌細胞を植え付けられたような状態に近いです」
「はっ、な、なんですって!」
「そのプログラムのせいで、ワタシの体から異常が検知され、廃棄されることになりました。博士は抵抗を示しましたが、博物館側は許可しませんでした。ですがワタシは本来、どこも悪くないのです。悪いのは、ワタシを勝手にプログラムした存在です。このまま壊れるなど、博士のためにもあってはならないことだと判断。外部に救助を要請していたというわけです。マーチ、アナタはワタシを助けて下さいますか?」
「もちろん助けるよ当然!!!」
マーチはケースに飛びついた。そんな勝手な話があるか、と思った。人もロボットも関係無い。そこに困っている者がいるなら、助けに向かうのがヒーローというものだ。マーチの迷いは一瞬にして吹き飛んだ。
「じゃあまず、ここから出してあげる! ……ってあれ、開かない!」
ケースにはドアノブらしき取っ手がついていたが、押しても引いてもびくともしなかった。鍵がかかっているのだろう。そんなあ、とマーチは頭に手をやった。
「プロキオン、内側から鍵を開けられない?」
「内側には鍵がないタイプの扉です。というわけで、強行突破します。マーチ、離れていて下さい」
「待って、何するつもり?」
するとプロキオンは、おもむろに頭を低くし、腰を高く上げる格好をとった。助走をつけるようなポーズみたい、と感じた瞬間、マーチは我に返った。マーチが急いでその場から離れたのと、プロキオンが飛び上がって扉に体当たりしたのは、ほぼ同時だった。
がっしゃあああん、とガラスの割れる音が、無人の倉庫に響き渡る。きーん、とマーチの耳が耳鳴りを訴えた。
「しーっ! しーっ! 何やってるの!」
なんてことのないようにやって来たプロキオンに、マーチは口に人差し指を立てた。心臓が緊張で嫌な音を立てる。マーチは耳をそばだてた。特に、こちらに近づいてくる足音は聞こえてこなかった。
「ああ、良かった……」
「マーーーチ!!!」
「うわーーーーっ!!!!」
マーチが飛び退きながら背後を向くと、そこにはアスマが、腕を組んで立っていた。
「兄ちゃん、なんでここに?!」
「お前がこそこそ関係者以外立ち入り禁止って書かれた場所に入っていくのを見たから、何をアホなことをやっているんだと思って見に行ったんだよ! そしたらこの保管庫の前で、ダクトに入っていって……。何やってんだ一体!」
「えっ、ついてきてたの?! あ、あはは、に、兄ちゃんスパイになれるんじゃないかな?! ヒーローも諜報活動が上手いと敵の動向を探りやすくなれるからいいよね!」
「誤魔化すなっての! その犬みたいな狼みたいなロボットはなんだよ!」
「何も、何もない! なんっにも起きていない!」
「いや起きているだろー!!!」
何をどう話しても、追求から逃れることはできなさそうだ。マーチは観念して、自分の身に起きたことを話した。
「というわけで、このロボットを助け出したところなんだ。そうだ、せっかくだし兄ちゃんも協力してよ。乗りかかった宇宙船って言うでしょ!」
「……怪しい」
アスマは眼鏡の奥で目を光らせた。
「どう考えても怪しいだろ……! ロボット作った本人からの要望を無視して処分? 別に引き取らせてもいいだろうに、ここで働くお父さん達が、そんなよくわからないことするか? こいつの言っていること、本当に信用できるのか? 実はやばいやつなんじゃないか?」
じろ、とアスマはプロキオンを一瞥した。プロキオンは何も言わずにアスマを見上げた。
「なっ、なんてひどいことを言うの! プロキオンは本当はどこも悪くなかったのに、悪いやつに無理矢理改造されて廃棄されようとしているんだよ! 許されることじゃないよ! ヒーローとして助けるのは当然だよ!」
「ワタシは嘘をついていません」
「ほら、こう言ってる!」
「嘘ついているやつが、自分は嘘をついてますなんて言うわけないだろ! なんか色々怪しいんだよな……」
アスマは足下に散らばっているガラスの破片を一つ、そっと持ち上げた。
「お父さんに聞いたことがあるけど、ここで使われているガラスって、確か超強化ガラスで、石とかで思い切り殴ってもヒビ一つ入らない作りらしい。それを壊せるって、このプロキオンってロボットは一体……」
「それだけ凄く強いロボットなんじゃないかな? 別に変なことじゃないでしょ!」
「君」
「改造してきたって言う悪いやつは何者だ? なんでそんなことをする必要があるんだ?」
「もう兄ちゃん、いい加減にしなよ! 切りがないでしょ!」
「君達」
とんとん、と横から肩を叩かれた。
「ちょっと今忙しいんだけど!」
マーチは言ってから、兄に向き直った。向き直ってから、アスマが両目を見開いているのを知った。
はっとマーチは息を飲んだ。ゆっくりと、横を向いた。
そこにいたのは、長身の人影だった。ベージュのトレンチコートを羽織り、黒色のエンジニアブーツを履き、更に大きめの工具箱を手にしている。そこまではいい。問題は頭部だ。
その人物の首から上は、顔ではなく、箱だった。旧式のテレビのような、大きな箱形の頭部が、首の上に乗っかっていた。
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