ヒーローと不思議なロボットの長い一日
星野 ラベンダー
第1話
人混みの中に見知った背中を見つけ、マーチは明るい茶色のミディアムヘアーを揺らしながら近づいていった。
「げっ、マーチ……」
「何、兄ちゃんその態度!」
嫌なやつと出会ったとばかりに眼鏡の奥の青い目を細くしたのは、マーチの一つ上の兄、アスマだった。
自分と同じ色の髪と目を持つアスマは、妹を無視するわけにもいかないと思ったのか、渋々といった様子で近寄ってきた。
「お前、こんなところで何してるんだよ」
「こんなところって、それはこっちの台詞だけど?」
「俺は授業の課題の自由研究で、宇宙船で活躍するロボットについて調べようと思って」
「そっか、それで“ロボットミュージアム”ってわけね」
家電用から業務用まで、あらゆるロボットが展示されているロボット専門の博物館。それがマーチとアスマが今いる場所、ロボットミュージアムだった。休日の博物館のロビーは、多くの家族連れで賑わっている。混雑をさばいていくのは何体かのロボットの係員で、迅速に案内をしていた。
「いいなあ、宇宙船の勉強! 私も早くやりたい!」
「あと一年の我慢だな。中学に上がれば嫌でも授業に組みこまれてくるから。で、マーチはここで何を?」
「私はお父さんに忘れ物を届けに来たんだ」
マーチとアスマの父親は、このロボットミュージアムで働いていた。今日、父は弁当とハンカチを忘れて家を出ていってしまったのだ。事前に連絡をしていたため、マーチは父には既に会って、忘れ物も渡し終えていた。
「じゃ、今から帰るんだな?」
「ううん、お父さんがお詫びにチケット用意してくれたから、今からミュージアムを見て回るんだ!」
たとえチケットを用意されなかったとしても、ミュージアムを見て回ろうと思っていた。マーチは両手をぐっと握りしめて聞いた。
「ねえ兄ちゃん!」
「な、なんだ?」
「ヒーローにとって大事なものはなんだと思う?!」
「十二歳にもなってヒーローなんてものに熱くならない精神年齢の高さ」
「違う! 必要なのは悪を倒す力! 悪を倒す方法を考える頭脳! 悪に立ち向かうための勇気! そしてもう一つ! ヒーローの隣で共に戦ってくれる“相棒のロボット”だ!」
マーチは両目をかっぴらいて言い切った。アスマは、また始まったよこいつという目で妹を見やった。
「お兄ちゃんは優しいやつだからな、一応聞いてやろう。ロボットミュージアムとヒーロー、何か関係あるか?」
「大あり! ほら、今やってる“閃光疾走! プラネット☆ヒーローズ”に出てくる主人公の相棒! ロボットでしょ?!」
「いや知らないし!」
マーチはアスマを無視して、自分の好きなアニメについて語り出した。
“閃光疾走! プラネット☆ヒーローズ”とはヒーローもののアニメで、星間レスキュー隊に所属したばかりの新米レスキュー隊員とその相棒であるレスキューロボットのW主人公の物語だった。
相棒のレスキューロボットは“ポンコツ”の二つ名がついているのだが、それがレスキューロボットであるにもかかわらず、合理性を追求しすぎる思考回路のせいで、救助者を助け出すことを放棄することが多いからというのが理由だった。
反して相棒の新米のレスキュー隊員は人助けが大好きで熱血という性格をしており、そのせいでアニメが始まった当初、このふたりは大変ギスギスしていた。
が、新米レスキュー隊員の自分を犠牲にしてでも困っている人を助け出すという正義の心に触れていくうち、レスキューロボットのほうにも徐々に変化が訪れていく、というストーリーが展開されていた。
と、いう話をマーチは長々と語った。マーチは半年前から始まったこのアニメが大のお気に入りで、好きなアニメランキングの堂々一位を飾っていた。
「私もねえ、あのレスキューロボット……キュージみたいな相棒が欲しいんだ! 普段は合理的で冷徹で凄い無機的なんだけど、その冷静さが主人公の力になるときもあるし、あと話数を重ねていくにつれどんどん主人公のことを大切になっていっているのが丸わかりなところが可愛くて、あとなんと言ってもいざというときに見せる、合理性の塊だったはずなのに理屈を投げ捨てて人を助け出そうとする姿が格好良くて!!」
「よーしよし、お前がナントカヒーローズにドハマリしているってのはわかった。兄ちゃんは課題でとっても忙しいからな、一人で自由に見てくるといい。間違っても兄ちゃんと合流しないようにな!」
「えー、一緒に見て回ってあげてもいいよって言おうとしてたんだけど?」
「小さな親切、大きなお世話だ! じゃあな!」
アスマは逃げるようにその場から去って行ってしまった。マーチは態度悪すぎ、と背中に向かって文句を言った。思春期に入ってから、兄の素っ気なさに拍車がかかったように思う。
とはいえもともと小さい頃から喧嘩ばかりしていた兄妹だったので、マーチは特に気にしていなかった。ただ意地悪なのは癪に障る。帰ったらお母さんにチクろう、と決意しながら、マーチもロボットミュージアムを見て回りだした。
ロボットミュージアムは、広い館内に家電用や業務用、星間活動用といった様々なロボットがガラスケースに展示されており、説明文の書かれたプレートと共に並んでいる。
展示物もロボットの用途やジャンルごとにきっちりと分かれていて、例えば家電用ロボットのコーナーに行けば、更に掃除用や洗濯用などに分類されたロボットが数種類から数十種類まで用意されている。業務用ロボットも、飲食や医療、教育など、使用されている業種ごとに分けられている。
ここ、ルールー星で最大規模を誇るロボットミュージアムのロボット収蔵数は、のべ十万を超える。手のひらサイズのロボットから吹き抜けのフロアの天井まである超大型ロボット、最新のロボットから五百年以上前のロボットまで、多種多様、千差万別のロボットが取り揃えられているのだ。
更にほとんどのロボットがお試しで作動できるため、博物館だがアトラクションの一面も強く、遊びながら自然とロボットについて学べるということで、老若男女問わず人気のスポットだった。
なので平日も休日も大変に人が多いのだが、通路の幅が広いのと随所に配置された係員ロボットの案内が的確なのとで、ぎゅうぎゅう詰めの不快な空間ということにはならず、スムーズに展示物を見ることができるのだった。
「ああ……。いいわあ……。素敵なロボットがいっぱい……!」
マーチはわくわくしながら、展示物のロボットを次々に眺めていった。このロボットが相棒だったらどんなヒーロー活動をするか、頭の中で絶えず妄想を繰り広げる。
この警備用ロボットは凄く頼もしそうだ。この教諭ロボットは頭が良いだろうし、敵の裏をかく作戦を考えてくれるかも。この料理ロボットだったら美味しい料理で引きつけている間に悪者を撃退などいいかもしれない。
マーチの想像の翼は止まらず、むしろ巨大化していく一方だった。
「やっぱり相棒はロボットがいいわね! そりゃあ別に人間でもいいけど、一緒にヒーローやってくれる人なんていないだろうし……」
うんうんと一人で頷きながら、マーチはロボットを見て行った。そのときだ。
「ママ~……!」
一人で泣きながらとぼとぼ歩く、小さな男の子の姿が目に留まった。マーチはすぐに駆け寄り、どうしたのと聞いた。どうやら迷子になってしまったようだった。
「よし、お姉ちゃんが助けてあげる!」
マーチは優しく手を取り、ゆっくり歩いて館内の迷子センターまで向かうと、男の子の家族を呼び出してもらった。家族が来るまで、マーチは男の子の傍についていた。
「“閃光疾走! プラネット☆ヒーローズ”見てるの?!」
「うん、お姉ちゃんも?」
「毎週欠かさず見てるよ! どの回が一番好き? 私はね、二話で初めて合体必殺技を放った回が大好きで……!」
「僕もそれ好きだよ!」
「おおー話わかるねえ!!」
アニメの話をしているうち、慌てた様子で男の子の家族が飛び込んで来た。男の子の両親は本当にごめんね、と何度も謝った。
「それと、助けてくれて、本当にありがとう!」
マーチは何度か瞬きをした後で、「いえいえ!」と笑った。
「当然のことをしたまでです!」
ヒーローとして、という言葉をこっそり付け加える。そう、これくらい当然のことだった。ヒーローなら、迷子を見捨てたりしない。
マーチは家族と別れて、再び展示品を見て回りだした。頂いた「ありがとう」の言葉が、くるくると心の中で踊っている。感謝をされると、やはり気持ちが良かった。先程よりも更に軽やかな足取りでロボットを見ていくうちに夢中になり、いつの間にか二時間以上経過していた。
今マーチが見ているのは、朗読用ロボットだ。エプロンをつけ、木彫りの人形のような見た目をした手のひらサイズのロボットで、椅子に腰掛け本を開いている格好をしている。
このロボットは誤読の可能性は0.000001%以下という超高精度を誇る他、読み方の特徴を、明るめに、穏やかに、優しく、怖くなど、千通りまで指定できるのが特徴だ。音声に至っても、ほぼ人間と変わらない声でありつつ、人間が落ち着いた精神で聴ける周波数が使われているという。
この朗読用ロボットも試運転ができる展示品の一つだ。マーチは博物館が用意されている文章を読み込ませ、ロボットに再生させていた。面白い仕組みだなあと感心していた、そのときだった。
「たすけて」
「……んっ?」
マーチは一瞬、瞬きを忘れた。目の前にいる朗読用ロボットを凝視した。聞き間違いでなければこのロボットは今、「たすけて」と口にした。しかもその台詞は、明らかに前後の文脈と関係ない、唐突に出現したものだった。朗読用ロボットは、何も起きていないように、文章を読んでいっている。気のせいかな、と思った直後だった。
「たすけて」
「は?!」
マーチは朗読用ロボットに顔を近づけた。まただ。間違いなくこのロボットが言った。更に「たすけて」の台詞は、朗読用ロボットの口の形と一切合っていなかった。
不具合だろうか、とマーチは考えた。機械が壊れて、読み込ませていない単語が勝手に出てきているのかもしれない。スタッフを呼ぼうときびすを返しかけたときだ。
「そこのひと。たすけてください。ワタシをたすけて」
朗読用ロボットは、既に文章の再生を終えている。ぴったり閉じられた口の向こうから、女の子に似た合成音声が流れてきている。
「わ、私のこと? 何か、そこに何かいるの?」
「ワタシは“プロキオン”。プロキオンというロボットです」
この朗読用ロボットは、プロキオンという名前ではない。マーチは目が回りそうになった。頭を押さえながら、今すぐスタッフを呼ばなければいけないと思った。しかし混乱が、体の自由を奪っていた。
「ワタシは今、遠隔操作でこのロボットを一時的にハッキングし、アナタに話しかけています。しかし、この状態を長く保つことはできません。なので、端的に説明します。ワタシは今、スクラップロボット保管庫にいます。今日中に廃棄される手筈となっています。ですがワタシは、ここから出たいのです。出なくてはいけないのです。この話を聞いているアナタ。ワタシを助けて下さい。アナタが優しいお方であることを願います」
それを最後に、音声は途切れた。マーチが何度呼びかけても、朗読用ロボットは何も言わなかった。そのうち次の人がやって来て、マーチはその場を離れるしかなかった。次の人も朗読用ロボットを試運転させた。ロボットは一言も「たすけて」と言うことなく、文章を精密に読み上げていった。
「助けて、って……」
うろうろとマーチは辺りを見渡した。たくさんの人が思い思いに博物館を楽しんでいて、マーチの様子に気づいた人はいない。先程ロボットが見せた挙動についても、他に気づいた人はいない。
つまり、マーチしか知らないのだ。スクラップロボット保管庫に、助けを求めているロボットがいるらしいことは。どうしよう、とマーチは口に手を当てた。
スクラップロボット保管庫とは、故障してしまったり、古くなって動かなくなってしまったりした展示品のロボットを、専用の業者に引き取ってもらうまでの間、一時的に保管しておくための部屋だ。廃棄処分される瞬間を待つための空間だが、そこに保管されたロボットが助けてほしいと外の人間に話しかけてきた事例は、今までで一度もない。
だからこの場合の正解の行動は、すぐにスタッフに報告することだ。マーチはまだ十二歳の子供で、できることなどたかが知れている。それが世間一般の「普通」だ。
しかし。マーチの脳裏に、ついさっき聞いたばかりの台詞が正確に蘇った。
――この話を聞いているアナタ。ワタシを助けて下さい。アナタが優しいお方であることを願います――
「……様子を見に行くだけなら、いいよね……?」
マーチはぽつりと呟くと、恐る恐る人目を気にしながら、歩き始めた。
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