第2話 詐欺商法
そんな神社が、賑やかになってきたのは、受験戦争という時代から、
「ゆとり教育」
という言葉が言われ出した頃のことだった。
受験戦争において、落ちこぼれであったり、校内暴力などの時代があり、さらには、その後、
「いじめ問題」
などで、
「引きこもり」
という時代を経て、
「学校においても、週休二日制の導入ということが言われ始めたのだ」
それが、
「ゆとり教育」
というものであるが、そんな時代において、受験生の神様ということで、なぜか、この神社が持てややされるようになった。
理由は、
「やはり、戦争において、戦死をしないで帰ってくる人が多かった」
ということが、そのゆかりであろう。
受験戦争というものが、
「過去は昔」
と言われるような時代になっていた。
それは、世の中では、
「バブル崩壊」
というのが多かったであろう。
昔のように、
「いい会社に入ったら、あとは潰れることはないので大丈夫だ:
と言われていた、
「神話」
というものが、
「まったく通用しない」
というのが、その時代だった。
潰れないように対策を取るには、
「会社で、人員整理、つまり、リストラというものを行うか?」
あるいは、
「会社自体が、大きな会社と吸収合併という形での生き残りしかないか?」
ということであった、
何しろ、
「銀行は絶対に潰れない」
と言われていた時代から考えれば、
「それは、ただの迷信にしかなかった」
ということであった。
それを考えると、
「学歴ばかりが大切ではない」
ということで、他の才能を目指すという人尾増えてきた。
それは、会社で残業がなくなった人が行うサブカルチャーにもつながるところがあり、そんなサブカルチャーの会社が一時期、ブームだったという頃もあった。
しかし、それも、結局は、一時期のブームにしかすぎず、
「ブームは繰り返す」
ということを考えても、会社がどれだけ儲かっていたとしても、
「10年後には分からない」
といってもいいだろう。
そういう意味でも、
「終身雇用」
というのは、この時点で、破綻をきたし、
「終身雇用」
というものが成立しないと、おのずと、
「年功序列」
というものも、成立しないことになるのである。
ゆとり教育の時代に、流行ったサブカルチャーでは、いろいろなクリエーターになりたい人が結構いた。
小説家であったり、漫画家であったり、音楽家を目指すという人もいた。
これらの趣味は、他の趣味に比べると、
「あまりお金がかからない部類の趣味」
であった。
もちろん、それは、
「ただの趣味として楽しむ場合は」
ということであった。
だが、それが、時代とともに、少しずつ変わってくる。
というのも、そんな彼らを、
「食い物にする」
というような、詐欺まがいのことがあり、社会問題になったことがあった。
小説家業界では、
「自費出版社系による詐欺」
というものであった。
当時は、小説家になろうとすれば、
「有名な出版社の新人賞に応募して新人賞を受賞するか」
あるいは、
「持ち込み原稿を、出版社に送るか、実際にもっていくか?」
のどれかであった。
これは、マンガ界においても同じことで、例えば、
「新人賞」
というものに関していえば、
「もし、万が一にも新人賞を受賞しても、問題は、次回作である。中には、新人賞を受賞したことで、精魂尽き果てたようになり、次回作が書けずに、結局、そのまま小説家としてデビューはしたけど、そこで終わってしまった」
ということになるであろう。
そんな作家がほとんどだということである。
また、持ち込み原稿を持っていく場合は、もっと悲惨で、こちらも、万が一、受け取ってくれたとしても、普通はそのまま、ごみ箱行きである。
考えてみれば、
「小説家になりたい」
という人は山ほどいるのだ。そんな人が、毎日のように、何人も原稿をもってくる。それを編集長のような忙しい人が、仕事以外のことをするだろうか?」
それは、完全にボランティアであり、
「少しでも見込みがありそうな人は、公募原稿を新人賞に出して、受賞している」
ということである、
まるで、
「冷やかし」
であるかのように、作品を持ってくるそんな、
「にわか作家」
の作品を、誰がまともに見るということなのだろうか。
それを思うと、小説家への道は、ほとんどないといってもよかった。そんな時、バブル崩壊のおかげで、小説を書く人が増えた、いわゆる、
「にわか小説家」
であるが、そんな人たちは、
「詐欺商法」
にとっては、実にありがたい存在だといってもいいだろう。
持ち込み原稿がダメなら、
「作品を送ってください」
という宣伝をして、送ってきた作品に対して、批評をして、出版に対しての、提案をするというものである。
その提案も、
「出版社が全額という企画出版」
「お互いに、半額ずつという、強力出版」
あるいは、
「全額著者出資の、昔からいう、自費出版」
のどれかを提案してくるというのだ。
本当に、箸にも棒にもかからないような作品でもない限り、
「協力出版を提案してくる」
というのだ。
実は、これがミソというもので、出版社の担当を名乗る相手から、
「あなたの作品は優秀な作品なので、私が特別に言って、編集会議にかけて、あなたの作品を、推薦したところ、協力出版という形で決まりました」
というのだった。
「だったら、企画出版なのでは?」
と聞くと、
「今の時代は、よほどいい作品でないと、企画出版というのは、出版社もそこまでのリスクは犯せません。だけど、協力出版といっても、ちゃんと本屋に流通させますし、国会図書館にコードをつけて、置くようにしますから」
ということであった。
さすがに、そこまで言われると、
「本を出したい」
と考える人は心が動くようで、中には、借金をしてでも、出版する」
という人も多いと聞く。
そういう人は、お金を出してでも、出版するということであろうが、さすがに、
「数百万」
ともなると、
「じゃあ、いついつまでに」
なんて、簡単にいえるものではないだろう。
そもそも、本を出したからといって、売れるわけではない。本当に、本屋に並ぶかどうかも怪しいものだ。その証拠に、出版社は、
「一定期間、本屋に並べる」
といっているだけである。
考えてみれば、そんなに簡単なものではない。
というのも、
「本を出しませんか?」
という言葉に乗せられて、どれだけの人が原稿を送ってくるというのか、毎日、たくさんの作品が送られてきて、そのうち、どれだけの作品が、協力出版に値するかというのは分からないが、少なくとも、毎月、数十冊は、出版する本があるだろう。
考えてみれば、有名作家だって、本を出すわけで、毎日のように、プロ作家が新しい作品を出版するということを考えると、本屋だって、無限の広さを誇っているわけではない。有名作家の本であっても、代表作の数冊が置かれているのが関の山で、それこそ、芥川賞や直木賞を受賞した作品であれば、平積みしていてもおかしくはないが、それ以外の作品であれば、本棚に一冊ある程度ではないだろうか?
そんな状態で、誰が無名の出版社が出した、無名の作家の本を、たとえ一冊でも、置くと思えるのかということである。
有名作家の本でも、数冊置かれていたとしても、次に新作が入ってくると、棚から外されて、売れ残ったものは、容赦なく返品されてしまうことになるのだ。
それを考えれば。
「本屋に、あなたの本を、一定期間並べます」
などというのは、夢幻以外の何物でもないのだ。
その理屈が分かっていれば、
「これは詐欺だ」
ということは容易に分かったことであろう。
しかし、やはり、
「本を出したい」
という純粋な気持ちが、目先を狂わせ、詐欺商法に引っかかってしまうことになるということである。
それでも、さすがに、そんな出版社というのは、どこかでボロが出るというもので、本を出した人が、自分の本が、本屋に並んだ形跡がないということを調べあげ、出版社を告訴した。他でもいくつも訴訟があがり、これが社会問題となる。
最初は、
「出版界の寵児」
とでも言われたのだったが、結局は、
「詐欺だ」
ということで、信用がガタ落ちになり、
「本を出したい」
といって、原稿を送ってくる人がいなくなった。
それこそ、
「自転車操業」
で回していた出版社には、それ以上の経営は無理だったのだ。
だから、結局、自費出版社系の会社は、経営破綻するしかなかった。
似たような出版社が、いくつか存在し、それこそ、一つの
「ブーム」
となっていた。
雑誌などでも、自費出版社系の会社を、褒めちぎるような記事を書いたコラムニストなども何人かいて、実際の中身をどこまで吟味したのか分からないが、結果として、ひどい状態になった業界を助けることにならず、結局、
「紙媒体の本」
というものが、すたれていくということになっていくのであった。
実際に、紙媒体が次第に、
「電子書籍」
というものに変わっていくと、そこから先は、今のような、
「ネット配信」
のようなものに変わっていくわけであるが、それは、小説に限らず、マンガにしても、しかりであり、紙に関係ないところでの、音楽や映画なども、CDや、DVDから、配信に変わっていくということになるのだ。
そうなると、今度は、店が減ってくる。本屋や、CDショップなども、街からどんどんなくなっていき、レンタルも、次第に減っていくであろう。
そうなると、街並みがまったく変わってくるということであろう。それは、昔の、レコードやビデオが消えていったのと、よく似ているのかも知れない。
そんな、自費出版社系の会社の、社会問題というのが、今から十数年前に起こっていたのだった。
そんな、
「自費出版社系」
の会社に勤めていた男が、行方不明になっていたのだが、その人が行方不明になっているということは、最初誰も知らなかった。どれくらい経ってからのことだったのか、いなくなっているということを、家族が気づいて、警察に捜索願を出した。
ただ、警察というところは、捜索願を出しても、
「犯罪性がない」
と判断すると、捜索をしてくれるわけではない。
それだけに、家族としては、苛立ちを隠せないのだが、警察からすれば、
「そう思うなら、どうしてもっと早く気づかなかったのか?」
ということであるが、
そもそも、その男は、以前にも、行方不明になったという、
「前歴」
があった。
それが、
「自費出版社系」
の会社に勤めていた人で、その時には、著者の担当をしていた。
送ってきた原稿に、批評を書いて、その作品に見積もりをつけて返し、そして、出版をあっせんするという仕事であった。
彼が、
「優秀だったのか、どうか」
ということは分からないが、評判としては、あまりよくなかったようである。
すぐにイライラする方で、自分の担当する作家に、
「キレたりする」
ということも何度かあったようだ、
というのも、
前述のように、担当営業が、作家の人を言葉巧みに出版へと誘うのだが、そのやり方として、
「私が、出版会議に自分の権限で、出すことによって、あなたの作品を、協力出版という形で、推薦することで、このような話をできるのです」
ということであった。
といっても、額が額なので、本を出したいと思う方も、
「まだまだいい作品を作って、企画出版ができるように、原稿を送り続けます」
と言って、
「丁重にお断り」
するのである。
しかし、相手の出版社側に、最初から、
「企画出版などということはない」
という考え方のようだ。
だから、何度か原稿を送っても、結果はすべて最初と同じである。
つまり、
「担当の権限で、出版会議に諮り、最後は、協力出版を勝ち取った」
というシナリオ通りの結果しか出てこないということだ。
だから、次第に相手も、しびれを切らしてくる。
というのは、
「いつまで経っても、出版しようとしない人を相手にするのは、時間の無駄」
ということなのだろう。
だから、男がいうには、
「これが最後」
といって、最後通牒を、
「引導として渡してくる」
ということになるのだ。
作者の方も、最初から、
「一銭も出すつもりはない」
と思っている。
そもそも、売れるかどうか分からない。
いや、本屋に並ぶわけのない本が、売れるわけもないわけで、その理屈を分かっているから、作者の方も、
「これは詐欺だろう」
とウスウス感じているのだ。
だから、作者の方とすれば、
「自分の作品がどれほどのものなのかというのを評価してもらいたい」
ということで、
「この出版社を利用してやろう」
というくらいの気持ちなのだ、
「相手が、詐欺をしようとしているのであれば、こっちは、逆に利用してやれ」
というくらいのものである。
だから、最初から、企画出版しか目指していないわけで、いくら相手が、
「最後通牒」
というものを出してきても、
「それでも、企画出版を目指して送り続けるだけ」
というのだった。
すると、相手はそこでキレるのだ。
「本性を現した」
と言えばいいのだろうが、
「もう、あなたの作品を、これ以上、私の権限で出版会議にあげることはできないので、これを逃すと、出版するチャンスは、二度とありませんよ」
というのだ。
そして、さらに、
「出版をしなければ、何も起こりません、出版することで、人の目にも触れるので、本が売れる可能性もあるわけですよ」
というのだ。
「そのために、数百万も出せませんよ」
というと、
「他の方は、借金をしたり、家族に出してもらったりして、出版してますよ。それくらいのことをしないと」
と言い出したので、作者の方もさすがに苛立ってきて、
「そんなことできるわけはないじゃないですか」
といらだちを募らせる。
いくら、営業とはいえ、こちらの生活にまで立ち入ってこられるのは、失礼だと思ったのだ。
お互いに険悪なムードになると、あとは、
「売り言葉に買い言葉」
というもので、担当の方に、
「それでも、企画出版を目指します」
というと、相手も負けじと、
「そんなことできるはずないじゃないですか、私の推薦がないのに、出版会議に出るわけがない。そもそも、企画出版というのは、ありえないことなんですよ、もし、出版社が企画出版をしようとするなら、その作者が、有名人であることが絶対条件なんですよ。つまりは芸能人であるか、犯罪者であるかということです」
というのだ。
いくら、イライラしているといっても、
「これは、言ってはいけないことだろう」
と、作者の方も感じる。
自分たちで、3つの出版方法を提示しておいて、いかにも、
「企画出版もあり」
と思わせている中での、
「企画出版は、絶対にない」
という言い方は、ないのではないだろうか?
もうこれを聞いた時、
「これは詐欺なんだ」
と確信したということになる。
もっとも、最初から、
「詐欺に違いない」
と思っていたので、別にびっくりするわけではないが、さすがに、
「一縷の望み」
のようなものがあり、
「いずれは、チャンスがあるかも?」
という、本当に、砂漠で砂金を探すようなものではあるが、まったくゼロではないだけに、期待もしてしまう。
それでも、お金がかからないのだから、
「それもありだろうな」
ということであった。
ただ、その頃、似たような、
「自費出版社系」
の会社は、他にもいくつかあった。
前述のように、
「一時のブーム」
ということで、
「このブームにあやかる」
ということで、出版社は、同じようなシステムの会社がいくつかできていたのだ。
要するに、
「原稿を送ってください」
というお題目で、送ってこさせた原稿に批評を書いて、さらに、出版企画書を送り付け、そこで、
「協力出版」
で推薦という、まったく同じ形で、そして、同じように、
「担当者」
というものが就くということであった。
実際にその担当者というのが、前述の会社のような人間かどうかということであるが、さすがにあの営業ほどのことはなかったようだ、
「まぁ、どちらにしても、企画出版以外はありえない」
と思っているので、そこはどっちでもよかった。
要するに、自分の作品を批評だけでもしてくれればそれでいいということだけのことであった。
だから、その時点で、
「出版しよう」
という意識は失せていた。
その人は、そこまで考えてくると、完全に熱は冷めていて、冷静な目で見ると、
「出版し、プロになるとして、新人賞を取ったということを前提に考えた場合、その作品はウケたかも知れないが、次回作が、受賞作よりもいいものでないと、評論家の判断は厳しいものであり、そこで終わってしまう人がほとんどだという」
さらに、その次はというと、もうあとは、自費出版のような会社で、本を出版し、
「あわやくば、誰か、有名出版社の編集長の目に留まるかという程度のものしか、本を出す意味はない」
ということになるのだ。
そのために、罹る費用が、、
「数百万」
である、
こんな綱渡りのものに対して、普通のサラリーマンの半年分くらいの給料を持っていかれるというのは、実に大きな買い物としてもリスクが大きすぎるだろう、
車だと思えばいいのだろうが、車のように、買えば、10年以上という期間、利用できるものであれば、その価値は、
「値段並みの、費用対効果がある」
ということになるが、
「出版のような、ばくちに掛けるには、あまりにも高額すぎる」
となるわけだ。
それを、しかも、
「借金をしてまで」
というのは、あまりにもひどすぎる。
借金をするということは、それだけでリスクなのに、リスクを背負ってでもするのであれば、少なくとも、プロになれる確率が少しでもあればいいのだが、そんなことはない、
「よくこんなからくりに騙される人が多い」
と感じるのだが、言われてみれば、その人も、途中で、
「これは詐欺だ」
と思ったからこそ、諦めがつき、必要以上の期待をしなくなったから、冷静に、このっからくりを見ることができたのだが、普通の人は、出版社から、おだてられ、褒めちぎられると、舞い上がってしまうだろう、
特に小説というものが、そういう特徴があるというもので、
「小説というのは、書けるようになるまでに、一定の努力が必要だ」
ということだ。
マンガであれば、
「絵がうまい」
ということが前提となるが、
小説の場合は、
「文章なので、うまい下手はあっても、誰にでもできる」
という感覚があるのかも知れないが、実際にやってみると、なかなか最後まで書ききれないものである、
まず小説家への道の第一段階は、
「作品を書き上げる」
ということから始まるのであった。
というのは、
「小説を書き切る」
ということができないことで、
「小説家になりたい」
と思った人のほとんどが、諦めてしまうのが、このステップであった。
だから、
「文章塾」
などという、文章の書き方講座なる、
「ハウツー本」
というものを読んでいくと、必ず言われていることとして、
「作品を最後まで書き上げる」
ということであった。
実際に書いていると、
「自分の納得がいく作品に仕上げる自信がない」
ということで、途中で諦めてしまうという人がほとんどであろう。
そういうことが続いていく間、小説を一度も書き上げたこともないまま、
「俺には小説家としての素質がないんだ」
と考えてしまうだろう。
「素質のあるなし」
というのは、何ともいえないが、
「最後まで書き切ることができない」
ということは、それだけ、
「小説を書くということに向いていない」
と思わせるのであった、
実際に、書き上げることができないのだから、そう思うのも当たり前のことであろう。しかし、本当は、
「書き上げてしまうと、そこから見えてくるという違った景色があるであろうに」
と、一度でも小説を書き上げたことがある人は、そう思うのだ。
書き上げることで、それまでになかった自信を持つことができるわけで、
「どうして、今まで書き上げることができるということに、意義があるということに気づかなかったんだろう?」
と思うのだ、
何度も挑戦しながらも、途中で諦めていた自分の気持ちがどこにあるのか、それを考えさせられるというものであった。
小説を書き上げることができると、今度は、そこからが、自分の世界であり、一度書き上げてしまうと、それまでできなかったことが、まるでウソのように、たくさんの作品を生むことができるようになるだろう。
実際に、
「プロになる」
というところまでは目指すわけではないが、
「趣味」
として、
「小説を書き続けれればいい」
という考えの下、ひたすら書いている人もたくさんいるのだ。
実際に、
「プロになろう」
という思いはとっくの昔に捨てたけど、自分の中で、
「これだけは負けない」
というものを身に着けたいと思い、ひたすら書き続けている人もいる。
そこから生まれるものとして、
「書くスピード」
というものに、特化した、
「素人作家」
を目指したいというものであった。
「あくまでも、趣味で書いているのだから、そういう目標があってもいいのではないか?」
という考えである。
だから、まず考えたのは、
「他の作家、プロ、アマチュア問わずであるが、その人たちの生涯作品がどれだけあるか分からない中で、自分としては、誰にも負けないくらいの作品数を誇りたい」
という目標を持っているということであった。
小説家というものは、何もプロである必要はない。
だから、
「自費出版社に原稿を送って、その評価を得る」
という考えは、アマチュア作家であれば、それだけで十分だというころである。
そのことに気づくと、最初の会社が、
「とんでもないところだった」
というだけで、他の会社に対しては、そんなひどいことをいうところはなかった。
むしろ、
「どんどん作品をお送りください」
と、ひょっとすると、内心では、いら立っているのかも知れないが、
「来るものを拒む」
ということは、他の会社にはなかった。
それだけにありがたいもので、少し、
「悪いかな?」
とも思ったが、相手も、
「やっていることは、詐欺に他ならない」
ということなのだから、
「お互い様」
というところではないだろうか?
それを考えると、結局は、詐欺ということで、社会問題になって消えていった出版社であったが、結局は、
「他がやっているんだから、こっちも便乗して」
という考えに収まってしまったというのが、浅はかというか、これだけ大きなリスクになる可能性があるのが分からなかったのだろうか。
それとも、それだけ、作家になりたいという人が多く、騙し切れると思っていたのであろうか?
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