つがいを選べ!

「……朝ご飯を食べそこねちゃったね。歩きながら食べれそうなものを探そうか」

「うん。神の木はあっちなの」

 ジュンちゃんは元気に歩き出した。夜の間に雨が降ったらしく、草の上に落ちたしずくがキラキラと朝の光をあびている。しっとりとした雨上がりの朝は気持ちが良かった。

 僕たちが登山遠足の思い出を話しながら歩いていると、横道から馬が出てきた。

「えっ⁉ 何?」 

 馬の背にまたがった男が、僕の全身に目を走らせたと思った時には、僕は男にかかえ上げられて、走る馬の背に乗せられていた。

「な、何なんだ? 何するんだよ⁉ あんた誰?」

「俺は馬場ばばだよ。お姫様。これが俺の求婚さ。強引な男に女はかれるものだ」

 カウボーイみたいな恰好の馬場が白い歯を見せて笑う。ナルシストかよ! ぞわっとした。気色悪くて毛が逆立つ。僕がたとえ女でも、この男は選ばない。引くわ。顔が引きつるわ。馬に乗って女をさらう。これは求婚じゃなくて略奪婚りゃくだつこんだろ。

 僕のスカートのすそにつかまりよじ登ってきたジュンちゃんが、馬場にりをいれた!

「うわっ痛……」

「ユウちゃんを、はなせ!」

「危ねっ⁉ 何だこのガキ? 邪魔だっ!」

 馬場はジュンちゃんの足をつかむと、疾走しっそうする馬の上から投げ捨てた。う、嘘だろ⁉ 正気か? ふざけんな!

「ジュンちゃん!」

 ジュンちゃんの小さな体が後ろへ飛んでいき、あっと言う間に見えなくなった。

「何をするんだ⁉ 馬をとめろ! 引き返してジュンちゃんの所へ戻れ!」

「るっせーな。静かにしろ! 落馬して死にてーのか? じっとしてろ!」

 カウボーイ馬場は、れる馬の背に僕を押しつけて全身で押さえつけようとしてきたが、僕は暴れてあらがった。それでも落馬しなかったのは、馬場の乗馬技術がすごかったのだろう。それでも、これ以上はさすがに危険だと思ったらしく、馬場はチッと舌打ちすると馬をとめた。

 僕は馬場を押しのけ、馬の背からすべりおりると同時にけた。ジュンちゃん、無事でいて!

「待て、姫!」

 追いかけてきた馬場に、僕は蹴りをお見舞いした。

「ぐはっ!」

 馬場が地面に沈む。背中の軽くなった馬が、はずむような足取りで走り去るのが見えた。

 僕は今来た道を駆け戻る。ジュンちゃんが落ちた場所は、どのくらい前だろう? たしか直線一本道だったはず。ずっと同じような景色だった。

 ドン! 背後から馬場のタックルを受けて、僕は地面に転がった。そのまま仰向けに地面に押さえこまれた。馬場が上からがっちりと僕の両手を押さえつけている。ゲヘへと笑う馬場の首で、赤い玉が揺れていた。

「離せ。ジュンちゃんに何かあったら、おまえを殺す」

威勢いせいのいい女は嫌いじゃない。じゃじゃ馬馴らしは得意でね」

「ふざけるな! 僕は」

「おい! 何やってるんだ⁉」

 声がして、馬場の肩を誰かがつかんだ。馬場が後ろを振り返る。僕はその一瞬のすきを逃さず、馬場の首にかかった赤い玉をつかんだ。ひもがちぎれ僕の手の中で赤い玉がくだけて消えた。と同時に馬場の姿が消えた。


「……消えた? ……どうなってんだ?」

 男が呆然ぼうぜんとつぶやく。赤いチェックのシャツに紺のイージーパンツ、スニーカーという格好だ。歳は見た感じ、僕と同じぐらいか。シャツの襟元えりもとから、赤い玉がのぞいている……。この男もハンターか。

「……大丈夫ですか? ケガはないですか?」

 男はしゃがんで、心配そうに声をかけてきた。少し距離を取っているのは、男に襲われかけた僕を怖がらせないように、という気づかいらしい。危険な男ではなさそうで、少し安心した。

 手の中に、砕けた玉の感触が残っている。僕は震える手を、もう片方の手で押さえた。馬場は……。僕がこの手で馬場を消した。

「俺は田辺たなべ和輝かずき。二十四歳。ハイキング中に仲間とはぐれて、リュックもスマホも失くして道に迷っているところです。お姉さんの名前をうかがってもいいですか?」

 僕は立ち上がった。田辺も立ち上がる。イケメンでイケボの田辺は、僕より背が高かった。

「僕は中田雄一。二十四歳。田辺さん、おかげで助かりました。ありがとうございます。じゃあ、これで。急いでいるので失礼します」

「え? 男?」

 目を丸くする田辺。いい奴そうだけど、ハンターとは関わりたくない。

 僕はきびすを返して走り出した。ジュンちゃんを探さないと。ジュンちゃん、どうか無事でいて。

 田辺が追いついてきて、僕の横に並んで走る。

「田辺さん、ついてこないで下さい」

「カズでいいよ。同い年なんだから、ため口でな。そんな泣きそうな顔して、ついてくるなと言われても、気になるだろ。旅は道連れ世は情けと言うしな。ここはどこで、さっきの男がどうなって、今どこに向かっているのか、嫌でなければ教えてほしい」

 僕はカズを振り切れず、無視できず、やむなく今までの経緯いきさつを話した。そして僕はカズと一緒にジュンちゃんを探した。


「ジューンちゃーん!」

 けれどジュンちゃんは見つからなかった……。ジュンちゃんが消えていたらどうしよう。

 日が暮れて、僕とカズは狛兎を見つけた。けれど、結界の中にも木のうろの洞窟の中にも、ジュンちゃんはいなかった。外へ飛び出そうとする僕の腕を、カズがつかんで止めた。

「離せよ! ジュンちゃんを探しに行くんだ!」

「落ち着け! ユウ、外は真っ暗だ。あかりが無い中で探しようがないだろ。ジュンちゃんが、狛兎を見つけてここへ来るかもしれないだろ」

「でも、でもジュンちゃんは、走ってる馬の上から落とされたんだぞ。ケガして動けないかもしれないじゃないか」

「逆に、ケガしてなくて、ユウを探して動き回ってる可能性もあるだろ。お互い動き回ってすれ違って会えない、なんてよくあることだろ」

「気休めを言うな!」

 僕はカズの胸ぐらをつかんだ。

「ジュンちゃんは、五歳なんだ。体か小さいんだ。落馬して朝から飲まず食わずで、そんなんで、歩き回る体力があるかよ? 子供なんだぞ。僕の姉なんだ。ジュンちゃんは僕を助けようとして……。ジュンちゃん……」

 カズに抱きよせられ、僕はカズの肩に顔をうずめた。カズのたくましい体によりかかると、少し安心した。カズの大きな手が、なだめるように僕の背中をさする……。

 カズの言うとおりだ。暗がりの中でやみくもに探し回るよりも、今夜一晩休んで朝になってから探す方がいい。ジュンちゃんは無事だ。そう自分に言い聞かせて、心を落ち着かせる。……カズに背中をさすられてるうちに、体が熱くなってきた。なんだか変な気分になってきた……。

「カズ、もう大丈夫だから。ありがとう。少し休む」

 顔を上げたら、カズと目が合った。時が止まった気がした。

 カズの顔が近づいてきて、息が触れ、唇が重なった。思考が停止したまま、僕たちは舌をからめ夢中でキスをした。唾液が糸を引く。僕たちはベッドに倒れ込み、からみあい、熱を放った……。


「ん……」

 僕は目を覚ました。いつの間にか眠っていたらしい。

 洞窟の天井にランプの光がゆらめいている。

「起きたか?」

 低く色っぽい声が耳をくすぐり、カズの手が僕の髪をかき上げる。それだけで体の芯が熱くなる。

「ユウ、こっち見ろよ」

「やだ。今カズの顔を見たら、キスしたくなっちゃうだろ」

 カズの低い笑い声がうなじをくすぐる。

「ユウちゃーん!」

 僕はガバッと体を起こした。

「ジュンちゃん⁉ カズ、今の聞こえた? ジュンちゃんだ。ジュンちゃん! ジューンちゃーん!」

 僕は掛布団をはねのけて、ベッドから転がりおりた。そこへジュンちゃんが転がるように駆け込んできた。

「ユウちゃん!」

「ジュンちゃん!」

 ジュンちゃんが僕の腕の中へ飛び込んできた。よかった。無事だったんだ。僕はジュンちゃんの小さな体を抱きしめた。消えてなかった。心の底から安堵あんどの波が押しよせる。ジュンちゃんの小さな手が、僕の頭をなでていた。

 カズがジュンちゃんに、自己紹介と今までの経緯を話している。ジュンちゃんも自己紹介をした。

「なかたじゅん、です。ユウちゃんの、ふたごのおねえちゃんなの。みためは五さい。なかみは二十四さいのジュンちゃんです。カズ、ユウちゃんをたすけてくれて、ありがとう!」

 子供の舌足らずな話し方がかわいい。

「どういたしまして。ジュンちゃんは」

「ジュンでいいよ」

「ジュンは、馬から落ちてから、どうしたの? その後ろの犬は?」

 犬? 僕はハッと顔を上げた。ジュンちゃんの後ろに大きな黒い犬がいた。僕はサッとジュンちゃんを背中に隠した。

 三角の立ち耳。尻尾は背中に前のめりに倒れているけど、くるんと丸まってはいなかった。犬には詳しくないけれど、たぶん日本犬。その引きしまった筋肉質な体と雰囲気からすると、猟犬かもしれない。首輪は……犬の首には緑色の玉が光っていた。……こいつが、僕のつがい候補の犬かよ。ないな。僕は一瞬で却下した。

 犬は、やれやれと言わんばかりにため息をついた。

「あんたがその子の弟じゃなきゃ、五歳の女の子に裸で抱きつく変態だと思うところだぜ」

「犬もしゃべるのか⁉ おまえも、私は神だとか言うのか? そのうち、チェシャ猫とか出てくるんじゃないだろうな……」

 僕は思わず辺りを見回した。ランプの灯りがチラチラ踊る洞窟の部屋は、幻想を抱かせるには十分だ。

「知らねーよ。ここは不思議の国なのか? オレの説明をきく前に、まずは服を着たらどうだ?」

 犬がジト目で僕を見る。

「……あっ」

 僕は裸だった……。カズは、と見ると、ちゃんと着ていた。いつの間に? シャツのボタンはとめてないけど……。はだけたシャツからのぞく胸板や腹筋が、めちゃくちゃ色っぽい……って、僕は何をのぼせているんだ⁉ 服着なきゃ!

「ジュンちゃん、ちょっと待っててね。カズ、ジュンちゃんを頼む」

「いいよ。ジュン、おいで」

 ジュンちゃんを抱っこするカズから視線をはがし、服を……、フリフリワンピースを手に取った。……これはどうやって着るんだ? 上からかぶるのか? 下からはくのか? この紐みたいなリボンは、どうすればいいんだ? そもそも昨夜ゆうべはどうやってこれを脱いだんだ? 無我夢中だったとはいえ、全く記憶にございません……。

 僕は途方に暮れて、ジュンちゃんに助けを求めた。ジュンちゃんに教えてもらい、手伝ってもらって服を着る。リボンもジュンちゃんがむすんでくれた。女の子の服はかわいいけれど、つくりが複雑で、着るのも脱ぐのも難しい。

「なんでわざわざそんなフリフリを着るんだ?」

 犬が僕の恰好を見てドン引きしている。

「女装が好きなのか? それとも何かのコスプレか?」

「違う! 好きじゃない! これしか着る服がないんだよ! 犬、お前は何でジュンちゃんと一緒にいるんだよ?」

 ジュンちゃんは犬の首に抱きついて、なでなでした。犬は大喜びでブンブン尻尾を振り回している。……こいつ、オスだな。

「ウマからおちたジュンちゃんを、キャッチしてくれたんだよ」

 犬がジュンちゃんの顔をベロベロなめた。

「うわっ。ばっちい。なめんなよ、犬」

 僕はジュンちゃんを抱き上げてカズに渡すと、犬をにらみつけた。

「ジュンちゃんを助けてくれた事には礼を言う。けど、ジュンちゃんをなめるな。汚いだろ」

「なんだと。オレの唾液は、消毒液なみの殺菌力があるんだよ。水よりきれいな唾だ」

「嘘つけ! お前は誰だよ?」

「オレは川本かわもとつかさ。二十四歳だ」

「二十四⁉ 五歳のジュンちゃんをベロベロ舐め回しやがって、ロリコンかよ!」

「そんなわけあるかぁ! てめーこそ、シスコンだろ!」

「はぁ⁉」

 犬が僕に顔を近づけ、声をひそめうなるように言った。

「ここに来た時、洞窟の中から変な声が聞こえてきたから、入れなかったんだよ。しかたなく、五歳児を外で寝かせたんだ。声が止むのを待って、ジュンを起こしたんだよ」

「そ、それは……」

 ぐうのも出なかった。もう少しでジュンちゃんに現場を見られるところだったのか。それは恥ずい。恥ずかしすぎる。声を出しててよかった。

「おーい。そこの二人。先に食べてるぞ。早くしないと、なくなるぞ。全部食っちまうぞー」

 カズの声に振り向くと、テーブルの上においしそうな料理が並んでいた。犬が鼻をクンクンさせて、目を輝かせた。何はともあれ腹ごしらえだ。

 空腹の僕たちは、いそいそと席に着くと「いただきます」をして黙々と食事を平らげた。


「ごちそうさまでした」

 食べながら寝てしまったジュンちゃんをベッドに寝かせると、僕たちは情報交換をした。

「オレは、部屋でゲームをしてたんだ。そしたら急に揺れて、地震だと思ったら真っ暗になって、停電かと思ったら明るくなって、犬の姿で森の中にいたんだ。訳が分かんねーよ。どこだよ、ここ」

 黒い犬が天を仰ぐ。

「馬と人の声がしたと思ったら、子供が飛んできたんだ。マジか⁉ と思ったよ。ケガがなくて良かったよ。司だから、ツカちゃんだね! って首に抱きつかれたよ。かわいい子だな」

 ツカがベッドで眠るジュンちゃんを見て、目を細めた。こいつ……。

「やいっ、ロリコンのツカ。おまえにジュンちゃんはやらないからな」

「あのなぁ、シスコンのユウ。オレは、おまえやカズみたいに年中発情期じゃねーんだよ。ロリコンじゃねーし」

「なんだと?」

「やんのか?」

 にらみあう僕と犬の間に、カズが割って入った。

「やめろって、二人とも。それで? ツカ、続きがあるんだろう?」

「ん、あぁ。オレとジュンの前に白兎が出てきてさ。そいつ、ジュンになでられて、でろ~んと寝そべって、ありゃあオスだな。そいつが、私は神だ、とか言うんだぜ。男しか呼んでないのに、なぜかジュンが来ちゃって、なぜかオレは犬の姿になってしまった、だとよ。なぜか、で済ませんなよ! 俺が怒ったら、兎は何て答えたと思う? 神にもできない事や手違いはある。予想外は世の常だ。だとさ。ふざけんなよ! ジュンが止めなきゃ食ってたぜ。あの野郎、白い風のように逃げてった」

 ツカが喉の奥でグルルと唸った。ちょっと怖い。

 もう少しで、神が犬に食われるところだったのか? 逃げるなよ。しょぼい神だな。そんなんで、この世界は大丈夫なのかよ?

「で、ユウはカズをつがいに選んだんだろ? ……二人して赤くなって見つめ合うなよ。まったく。また始める気か? オレはジュンを連れて外に出た方がいいのか?」

 あきれ顔の犬に言われて、僕たちは慌てて首と手を振った。

「ここにいろ。出なくていい。しないから」

「そうだよ。僕たちを何だと思っているんだ? するわけないだろ。もうしない。今は何もしないよ」

 ツカは疑わしそうに僕たちを見た。そしてベッドに飛び乗ると、ジュンちゃんにくっついて寝そべった。……こいつ、ジュンちゃんを狙ってる。僕はツカをベッドから引きずりおろした。

「カズはこのロリコン犬と床で寝て。僕はジュンちゃんとベッドで寝るから」

「おい、カズ。おまえのシスコン姫をなんとかしろ」

 犬にめよられ、カズが「まぁ、まぁ」となだめにかかる。

「それは追い追い何とかするさ。それよりも、今は睡眠をとるのが最優先だろ」

 ヒュルルルル。突然、白い風が吹き荒れた。これは……まずい。

「なんだ?」

「二人とも、ここを出ろ! 急いで!」

「なんだよ? どうしたって言うんだよ?」

「いいから、早く!」

 僕はジュンちゃんを抱え、二人をせかして木の洞から外へ飛び出した。と同時にメキメキと音がして、洞がふさがった。洞窟が崩れ落ちる振動が、足の下から伝わってきた……。

 カズの顔が青ざめる。

 ツカが顔を引きつらせてつぶやいた。

「マジかよ? 狛兎の結界が一晩しか持たないって、こういう事かよ」

 狛兎は三体とも消えていた。


「神の木は、あっちなの」

 目を覚ましたジュンちゃんが、元気よく先頭を歩いて行く。

 僕は、ジュンちゃんにまとわりつくロリコン犬を、監視しながらついて行った。

 舗装ほそうも整備もされてない自然のままのでこぼこ道は、歩きにくかった。ヒラヒラワンピースという、およそ山歩きには不向きな恰好の僕を、カズがエスコートしてくれた。まるで本物のお姫様になった気がして、くすぐったくて嬉しかった。

 カズは紳士だ。容姿も中身も言動もいいなんて、そんな奴、男の僕でもれちゃいそうだ。僕はカズに目を奪われないように、ロリコン犬ツカの監視に意識を向けた。

 ツカの毛色はよく見ると、黒一色ではなかった。光の加減で褐色かっしょく縞模様しまもようが見える。

「ツカはシマ犬なんだな」

 僕が言うと、ツカはしかめっ面をした。

「おい、ユウ。シマウマみたいに言うな。これは虎毛とらげって言うんだよ」

「ツカはトライヌなんだね。きれいだね」

 ジュンちゃんがそう言って背中をなでる。ツカはとたんにデレデレ声になった。

「ジュン、トラ猫みたいに言うなよ。これは黒虎って言うんだぞ」

 こいつ、僕とジュンちゃんに対する態度が露骨ろこつに違うな。

 カズがクックと喉の奥で笑った。

「ユウもツカも、わかりやすいな」

「ロリコンと一緒にするな!」

「シスコンと一緒にするな!」

 僕とツカの声がかぶる。

 カズとジュンちゃんがはじけるように笑った。

「笑うなぁ」

 と言いつつ、つられて僕も笑い出し、ツカもこらえきれずに爆笑した。笑ってる姿がおかしくて、僕たちは身をよじって笑い転げた。本当に久しぶりに僕は、腹の底から笑った。


 太陽が真上に昇った頃、き水を見つけた僕たちは、ここでいったん休憩をとることにした。

 透明な水にそっと手をひたしてみると、ひんやりとして気持ち良かった。

 ツカが鼻先を水面に近づけフンフンとにおいをいで、舌の先でチロリとなめた。ふむ、という顔をしたかと思うと、ペチャペチャとおいしそうにがぶ飲みはじめた。

「ジュン、この水はきれいだから大丈夫だ。飲んでみろよ。うまいぞ」

 口のまわりをびちゃびちゃにらしたツカが言う。こいつ、水の飲み方が下手なんじゃね?

 その横では、カズが手で水をすくって飲んでいる。品があるなぁ。絵になるなぁ。僕とジュンちゃんは、カズにならって水を飲んだ。

 かわいた体に水がみわたる。おいしかった。僕はゴクゴクと水を飲んだ。

「あー、生き返った気分だな」

 僕は木の幹に背をもたれて座ると、足を投げ出した。

 太陽の光が木の葉を通ってさし込んでくる。日にけた緑の葉がきれいだ。僕の横に座ったジュンちゃんも、木漏こもれ日に目を細めている。

 ジュンちゃんは少し眠そうだ。お昼寝した方がいいのかな? そういえば、保育園では毎日お昼ご飯の後に、お昼寝の時間があったなぁ。子供用のちっちゃな布団を並べていて、みんなで雑魚寝をしていたことを思い出す……。

「ユウ」

 カズの声に視線を上げると、木漏れ日をバックにイケメンの笑顔がまぶしい。カズはちょいちょい不意打ふいうちで、僕の脈を乱してくる。

「俺とツカで昼飯をってくるわ。ユウはジュンと一緒にここで休んでろよ。行くぞ、ツカ」

「おう。そんじゃあ、ちょっくら行ってくるわ。丸々まるまるとした七面鳥とか、うまそうな鹿とかいねーかな」

 ハンターと猟犬が森の奥へ連れ立って行った。

 そよ風が心地いい。さわやかな天気だ。

「ねぇユウちゃん」

「うん?」

「カズは、とてもいいとおもう。いい人にであえたね」

 ジュンちゃんがニコッと笑う。いい人、というフレーズにドキッとした。

「あ、まぁ、うん。いい奴だけどさ。でもさ、えーと、いい人とか、そういうんじゃないんだ。うん。あのね、ジュンちゃん。カズは男だよ。ゆ、ゆうべはその……ちょっとおかしくなっただけ……」

 おかしくなってしまった事を思い出してしまい、僕の顔が熱くなる。

「あのね、ユウちゃん。ユウちゃんは、おとこの人を、すきになってもいいんだよ。カズとむすばれてもいいんだよ」

 僕は、まじまじとジュンちゃんを見た。ジュンちゃんの言葉がじんわりと僕の心におりてくる。

「……いいの?」

「うん。いいの」

 ジュンちゃんは力強くうなずいた。

「ジュンちゃんが、ユウちゃんとカズをしゅくふくする」

 僕の目がじんわりとうるんだ。


 そよそよと風が吹き、草むらでは虫が鳴いている……。青い空からやわらかなひざしが降りそそぐ……。

 僕たちは木の下でウトウトとまどろんでいた……。

 ジュンちゃんが僕の膝枕から頭を上げた。

「まだ寝てていいよ。……ジュンちゃん?」

 ジュンちゃんは立ち上がって……首をかしげた。

「うん? なんか……きのせいかな?」

 うららかな午後のひざしは平和そのものだ。

「なんか夢でも見たの?」

「うーん。なんかみてたけど……わかんない」

 ジュンちゃんは不安そうだ。そして眠そうだ。

「大丈夫だよ。ジュンちゃん」

 僕はジュンちゃんの小さな体を抱きよせた。

「僕がついているから、寝てていいよ」

「うん。ありがとう、ユウちゃん」

 ジュンちゃんは僕にもたれて目をつむり、スヤスヤと眠りに入った。僕もいつの間にか眠っていた……。それがまずかった。もしもこの時、ジュンちゃんの勘を気のせいや夢で片づけずに警戒していたら、僕たちは捕まらなかったもしれないのに……。僕は寝ずの番をしなければならなかったのに……。

 おろかな僕は、頭から布をかぶせられ自分の手足がしばられるまで、気づかなかった。ジュンちゃんと男たちの争う物音が聞こえるまで、男たちの会話を聞くまで僕は、何が起こったのかわからなかった。

「チッ。このクソガキが! 大人しくしろってんだ!」

「田所さん、何を手こずっているんですか。あ、殺さないで下さいよ。その子は地図なのですからね」

「うるせー! サバゲー、てめえも手伝っ、ぐえっ!」

「私はサバケーではありませんよ。井上です。サバイバルゲームの途中でこの世界に入り込んでしまっただけですよ。子供は嫌いです。言う事をきかなっ、かはっ」

 バッと頭にかぶせられた布が取りのぞかれた。

 ジュンちゃんが僕の顔をのぞき込み、すぐに後ろに回って手首の縄をほどきにかかかる。

「僕のことはいいから、逃げて」

 手前にうずくまっている迷彩服の男が、サバケー井上だろう。ジュンちゃんに急所をやられたらしい。ざまみろ。井上の向こうで、田所が鼻血をぬぐって起き上がるのが見えた。

 ぶつっ、と音がして、僕の両手が自由になった。

「にげて」

 ジュンちゃんは僕の耳にささやくと、田所に向かっていった。

「ジュンちゃん! あーっ、くそっ!」

 僕は足首を縛っている草のつるを、ほどきにかかかった。なかなかほどけない。あせればあせるほど、つるが肌に食い込んでゆく。

 ジュンちゃんは、田所の手をすり抜け足を踏みつけアキレス腱に蹴りをいれた。田所がひっくり返る。その後ろから井上がジュンちゃんに飛びかかり、田所が下からジュンちゃんの足をつかんだ。大の男が二人がかりで五歳児を押さえつけ縛り上げる。

 僕はつるを引きちぎった。両足が自由になる。それに気づいた井上が、僕につかみかかってきた。その首に赤い玉が光っている。井上が五人目のハンターか。僕は井上を投げ飛ばした。

「動くな! 姫、言うとおりにしねえと、このガキをぶちのめすぞ」

 田所がジュンちゃんの頭を地面に押さえつけている。ジュンちゃんの目が、僕に「にげろ」と言っている。僕は「嫌だ」と目で答える。逃げる時はジュンちゃんと一緒だ。

 井上が立ち上がって、迷彩服についた葉を払い落とした。

「はじめまして、姫。これから私と田所で、あなたを交互に抱きます。神の木についたら、私と彼のどちらかを選んで下さい」

「僕は男だ」

 僕は井上を見おろした。僕の方が背が高い。

「私は男が好きです。そしてあなたは私の好みです」

 井上が僕を見あげた。僕は寒気立さむけだった。

「抵抗したら、あの子の腕をへし折ります。あなたが大人しくしていれば、あの子を傷つけませんよ」

 井上が冷たく笑った。怒りを抑え込んだ僕の体が震えた。

「おいっ! さっさとやって交代しろ! それともこのガキを木にくくりつけて、三人で楽しむってのはどうだ?」

 田所が、なめるように僕の体に視線をわせた。僕の全身が粟立あわだった。

「二人が勝負して、勝った方に僕の体をあげるよ」

 僕は平静をよそおって言った。二人が争っているうちに、ジュンちゃんと逃げる。そして是非ぜひとも二人には刺し違えてもらいたい。

「最終的にはそうなるでしょうが。まずは、あなたの足腰が立たなくなるまでしてからですね」

 井上が手袋をはずした。

「その前に、ガキが逃げないように足を折っておくか」

「なっ⁉ やめろ! ジュンちゃんを傷つけるな!」

 田所に飛びかかろうとした僕は、井上に羽交はがめにされた。後ろから井上にガッチリと締め上げられて、身動きがとれなかった。

 田所はジュンちゃんを見おろすと、足を振り上げた。

「やめろ! 何でも言うことをきくから! ジュンちゃんには何もしないで!」

 僕の背中で井上が、息だけで笑う。田所は僕を見てニヤリと笑うと、ジュンちゃんの膝をめがけて足を振り下ろした。僕の全身の血が引いた。


 ドスッ!

 重いものがぶつかる音がして、田所の体が吹っ飛んだ。地面に倒れた田所に、黒い犬がのしかかる。

「ツカ⁉」

 僕とジュンちゃんの声が重なる。 

 牙をむき出したツカが、田所の首にかかった紐をみちぎった。赤い玉が砕け散る。田所が驚愕きょうがくに目を見開いて「あっ」と口を開けた瞬間に、赤い玉もろとも消えた。

 僕の背中で、ブチッと紐の切れる音がした。視界の端で赤い玉が砕けて消えた。と同時に井上も消えた。

「なっ……」

 それが井上が最後に発した声だった。


 振り返るとカズがいた。カズの顔を見たとたん、僕はホッとしてその場にへなへと崩れ落ちた。カズの力強い腕が、僕を抱きとめてくれた。

「ユウちゃん!」

 ジュンちゃんが僕に抱きついてきた。僕はその小さな体を抱きしめる。ツカが嚙みちぎった草のつるを、ぶんっと放り投げるのが見えた。ジュンちゃんを縛り上げていたつるだ。

「ジュンちゃん、足は? 膝は大丈夫?」

「うん。ほら」

 ジュンちゃんは、その場でピョンピョンとジャンプしてみせた。なんともなさそうだ。よかったぁ。一瞬ツカが早かったらしい。もしもあと少しでもツカが遅ければ、ジュンちゃんの膝は田所の足の下で砕けていた……。そう思うと、安堵と恐怖で体が震えた。

「ツカがたすけてくれたの。カズもありがとう。ユウちゃんはケガない?」

「ないよ。大丈夫。……ジュンちゃん、どうして逃げなかったんだよ⁉」

 安心したら腹が立った。僕は半泣きでジュンちゃんに怒鳴った。

「ユウちゃんがにげなきゃダメだったの!」

 ジュンちゃんもいつになく怒鳴り返してきた。

「ジュンちゃんを置いて逃げれるわけないだろ!」

「あいつらのねらいはユウちゃんなんだから、ユウちゃんがにげなきゃ! ジュンちゃんはいいの!」

「よくないっ!」

 喧嘩けんかになった。

「二人とも、落ち着けって。ユウは怒鳴るな。大人のおまえが、子供のジュンを怒鳴りつけるな」

 カズが僕の前に立って視界をさえぎる。それでも頭に血が上った僕は「でも、でも」と繰り返す。

「もう大丈夫だ。もうあいつらが現れることはない。ジュンにもケガはない。ユウもジュンも無事だったんだ。ユウがジュンを置いて一人だけ逃げることができなかったように、ジュンもユウを置いて逃げることはできなかった。そんな事は考えもしなかったんだろう。だから責めるな。ユウ。自分の事も、ジュンの事も、責めなくていいんだ」

 カズが僕の心を包み込むように抱きしめてくれた。それで少し落ち着いた。頭に上った血が元の場所へ下がってゆく。

「ありがとう、カズ。おかげで助かった」

 僕は手を伸ばしてカズの頭を抱きよせると、キスをした。一瞬の衝動的しょうどうてきなキスだった。驚いたカズの顔が赤くなる。僕もつられて顔が赤くなった。ドキドキする。カズの顔を見てると落ち着けない。すぐにのぼせてしまう。僕はカズから視線を引きはがして、ジュンちゃんの様子を見た。


 ジュンちゃんはツカにさとされていた。

「まったく……。あのなぁ普通は、なぜ一人で先に逃げた? って喧嘩になるんだ。それをおまえら姉弟は、なぜ逃げなかった? って喧嘩するんだから。まったくもってあきれるぜ。そこは非難するところじゃないだろ。助けようとしてくれてありがとう、だろ」

 ふくれっ面をするジュンちゃんを、ツカは「かわいくて食べちゃいたい!」と言わんばかりになめまわしている。

「なめるな、ツカ。ジュンちゃんはあめでもアイスでもないんだぞ」

「うるせー、ユウ。ほら、ジュン。手を広げて見せてみろ。やっばりな。すりむけてるじゃねーか。手首は? ……内出血して赤くなってんじゃねーか。足首も……だな。痛いだろ、これ。オレが今なめて治してやるからな」

 ツカがベロベロなめると、ジュンちゃんの手のひらが見る見るきれいになっていった。傷も内出血も消えて、むけた皮も元通り。手品か⁉

「わぉ。すごーい。ありがとう」

 ジュンちゃんに抱きつかれ、ツカは目尻を下げてパタパタと尻尾を振った。

「おい、ツカ。ジュンちゃんを助けてくれてありがとう。そこは本当に感謝する。でも、それ以上なめるな。つばをつけるな。ジュンちゃんがおまえのよだれでべとべとになるだろ。ジュンちゃん、あっちで顔と手と足を洗おうね」

「おい、ユウ。オレの唾液だえきはサラサラできれいなんだよ。化粧水やクリームなんかよりずっと肌がうるつやになるんだぜ」

 ほらふき犬がのたまった。化粧品会社に売ってやろうか? 犬の唾ではなく、犬印の美容液として売り出せば大儲おおもうけできそうだ。

「ツカ、ユウの手足もなめてやってくれないか? 縛られたところがアザになってる。手もひらもすりむけてるんだ」

 カズが僕の手をとって広げた。

「あぁ?」

 僕とカズは思いっきり顔をしかめた。

「ユウちゃん、てをだして。あしも。おねがい、ツカ」

 ジュンちゃんにお願いされたら断れなかった。

 僕はいやいやツカになめられ、ツカもいやいや俺をなめた。それでも、手足の傷が消えて痛みもなくなり楽になった事はいなめなかった。認めるのは悔しいけれど、やるじゃないかツカ。僕の中でちょっとだけ、ツカがランクアップした。

「昼飯になりそうなものが見つからなかった。すまない」

 カズが申し訳なさそうに言う。

「いいよ、カズ」

 カズなら許す。ツカはジュンちゃんに、クーンと哀れっぽく鳴いて甘えている。ツカは許さない。

「おひるなくても、へいきだよ」

 ジュンちゃんがツカをなでる。ジュンちゃんはツカを甘やかしすぎた。


 水を飲んで顔を洗うと、さっぱりした。もう大丈夫。ようやく息をついた。もう危険はない。

「そもそもさぁ、逃げろ逃げないの前に、オレとカズを呼ぼうとか思わなかったのか?」

 ツカがジュンちゃんの前に仰向けに寝転んで、腹をなでられながら言った。

「あ……」

 僕とジュンちゃんは顔を見合わせた。その手があったか!

「全く思いつかなかったね」

「うん。わすれてたね」

 ツカとカズがガックリとため息をついた。

「今度何かあったら、真っ先に俺とツカを呼べ。叫んでも、悲鳴でも、口笛でもいいから。忘れるな。いいな」

 カズにほっぺたを、むにゅっとつままれた。もしかして、忘れられたことを怒ってる?

「口笛じゃ小さくて聞こえないだろ。でも指笛なら聞こえるかもな」

 口笛を吹くジュンちゃんを見ながらツカが言う。さっそく指笛を試してみた。……鳴らなかった。

「姉弟そろって何を指しゃぶってるんだ?」

 指笛ができない僕たちを見て、犬が笑う。こいつ、ムカつく。

「オレがやって見せてやるから、よーく見てろよ」

 ツカは指をくわえた。その姿は、犬が自分の前足にキスしている、もしくは、投げキッスをしようしている犬、にしか見えなかった。キモい。当然、音は鳴らなかった。ざまみろってんだ。

「あれ? ……おかしいな。……まじかよ。犬は指笛できないのかよ。口笛は吹けるのにか。……オレ、人間の時は指笛できたんだ」

 しょげる犬を放置して、僕たち姉弟はカズに指笛を教えてもらった。

 指をくわえて息を吹く。それだけで、こんなにも大きな音が出るなんて。おもしろい! 唇と指の隙間を勢いよく飛び出した音が、空気を切り裂き遠くまで飛んでゆく……。僕たちは歩きながら指笛を吹き鳴らした。


 日が落ちて、互いの顔が見えなくなるころ、僕たちは狛兎を見つけた。

 今宵の宿も地下だった。岩と地面の隙間から中に入る。岩の下はちょっとした空洞になっていて、そこにテーブルとベッドが置いてあった。椅子が四つ。その内ひとつは子供用。ジュンちゃん用の椅子だ。テーブルの上にはランプと夕食がのっていた。

「いっただきまーす!」

 お腹をすかせた僕たちは、手当たり次第に腹いっぱい詰め込んだ。手も口も止まらない。

「食事もベッドもありがたいけど、どうして地下なんだ?」

 僕は洞窟の中を見回した。天井は岩で、壁と床はむき出しの土だ。土のにおいはするけど、湿度も室温もちょうどいい。虫もコウモリもいない。ランプのあたたかな光が、天井や壁に揺らめいてきれいだけど。

「崩れるのが怖いんだよ。山小屋とかないのかな?」

「ないんじゃない」

 ジュンちゃんがあっさりと僕の希望を却下した。

「ウサギはあなをほって、つちのなかでくらすから。だから、ちかなんじゃない?」

「それはあるな」

 カズがうんうんと納得している。

「あの自称神の白兎の奴がアナウサギだから、あいつが用意した寝床は土の中ってことか。なるほどなぁ、じゃねーんだよ。オレらは兎じゃねーってのに。まったく。あの神兎の奴、なんかぬけてるよな」

 そう言いながら、ツカは椅子に座って前足をテーブルの上にのせ、べちゃべちゃと音を立てて、皿からスープを舌ですくって飲んでいる。

「おい、ツカ。こぼしてるぞ。行儀悪いなー。犬らしく、テーブルの下で食えよ」

 そう注意したら、ツカはテーブルの上にこぼれたスープを、舌できれいになめ取った。いや、それはもっとダメだろう。布巾ふきんけ……布巾がなかった。ティッシュも何も拭く物がなかった。

「地面に直接皿を置いて食う方が、行儀悪くねーか? 衛生面も悪いだろ。それこそ、ばっちい、だろ。それにさ。オレだけ床で食うなんて、寂しいじゃねーか。みんなでワイワイ食べるのが、食事の楽しみってもんだろ」

 犬のくせに正論を説くな。反論できないじゃないか。

「うん。そだね」

 ジュンちゃんが犬の頭をよしよしなでる。犬が尻尾をパタパタ振った。犬はジュンちゃんにでろでろだ。

「ゆう、大目に見てやれ。犬の手じゃはしもスプーンも持てないんだ」

「わかったよ。しかたないなぁ」

「ジュン、どれを取ってほしい? これか? ほら」

 カズがジュンちゃんの皿に料理を取り分けてあげている。ジュンちゃんは嬉しそうに受け取った。

「ありがとう。カズ」

「カズ、オレにも取って。それそれ。あ、肉も。サンキュー。おっ、これ、うまっ。食ってみろよ。ジュンも。なっ、うまいだろ?」

 ジュンちゃんがもぐもぐしながら、おいしそうにうなずく。

「これって、どれ?」

 僕はキョロキョロと皿を見回した。大きなテーブルの上には、色とりどりの料理がのった皿が所狭ところせましと並んでいる。

「ユウ、ほら。口開けろ。アーン」

 カズが箸でつまんで僕の口のに入れてくれた。口の中に肉汁が、じゅわぁ~と広がる。

「うまっ!」

「だろ、だろ。作ってみてーな」

 ツカが匂いをかいで舌でなめて割って中身を調べている。

「ツカ、おまえ料理するのか?」

「ああ。中華料理屋と居酒屋でバイトしてたからな。カズは?」

「俺もする。イタリア系でバイトしてた。ユウとジュンは?」

「僕もバイトしてたけど、料理を作る方じゃなくて、運ぶ方だった。料理はできないよ」

「ジュンちゃんはバイトないの。ごはんはつくるよ。ツカとカズはバイトでどんな?」

 そこからバイトの話しで盛り上がった。謎のメニュー、変な客、癖のある先輩、失敗談で大爆笑した。こんなにしゃべって笑って食べたのは、いつ以来だろう? みんなでワイワイ食べるのが、こんなにも楽しいなんて。なんだかちょっと泣きそうになる僕だった。


「ごちそうさまでした」

「もう食えねー」

「寝るか」

 僕たちの笑い声を子守歌に寝ちゃったジュンちゃんを、ベッドに運んだ。

 ベッドはひとつしかなかった。大きなダブルベッドではあるけれど……。

「ソファもないしなぁ。うん。ちょっと狭いかもしれないけど、僕とジュンちゃんとカズの三人でベッドを使うしかないね」

「おい、ユウ。オレのことを忘れてないか?」

 ベッドの上に飛び乗ったツカを、僕はすぐに床におろした。

「犬は床に決まってるだろ」

「なんでだよ! オレに土の上で寝ろってのか? 犬の中身は人間なんだぞ!」

「だからだよ! 中身が人間のロリコン犬を、ジュンちゃんと一緒のベッドにできるか!」

「おまえ、シスコンが過ぎねーか?」

「過ぎねーよ! 僕は程好ほどよいシスコンだ」

「ユウ、おまえは重度だよ。ってか、シスコンの自覚はあるんだな」

「昔から周りに言われ続けてきたからね。中学の時のあだ名は、シスコン王子だ」

「うわぁ」

「そう言うツカは、ロリコンの自覚ないのかよ?」

「あるかぁ! オレはロリコンじゃねーよ!」

「おーい。二人とも。そのへんでやめておけ。キリがないだろ。ツカはジュンの足下に寝ろ。ユウ、それでいいだろ」

「カズかそう言うなら。まぁ、しかたないかな」

「いいぜ」

 ツカがジュンちゃんの足下に寝そべった。その両側に僕とカズ。川の字ってやつだな。ベッドに入ると、僕はスーッと眠りに引き込まれていった……。


 そのまま朝までぐっすり眠る……はずだったのに、なぜが途中で目が覚めた。

 体が熱い。ほてる。ムラムラする。体の奥で欲望がうねりまわる……。じっとしていられなかった。まずい。これはちょっと。いや、かなり。体がおかしい。

 なんでこんな……。そういえば、兎が「姫は欲情する」とか言ってたな。それが、これか⁉ 僕の隣で五歳児のジュンちゃんが寝ているのに、発情するのかよ⁉ それはダメだろ! アウトだろ! どんなに体に言い聞かせても、いっこうにおさまらない。逆にどんどんたかぶる体。もうダメだ。

 僕はそろそろとベッドから抜け出すと、よろめきながら外へ出た。

 体の奥でマグマが煮えたぎっているようだった。ふくれあがる熱が解放を訴えて拳を突き上げる。血管がドクドクと脈打ち、暗闇の中で息が揺れる。僕はひんやりとした岩に背をもたれ、もどかしくスカートをたくし上げると、下着の中に手を入れた。

「ユウ」

 カズの声がした。

 どっきーん! バンッ! 心臓が飛び上がり、肋骨にぶつかり跳ね返って元の位置に戻った。重い体は、ビクッとしただけだった。とっさに下着から手を引き抜いて、スカートを引っ張り戻す。心臓がドドドドドドドドと破裂しそうだ。

「どうした?」

 気づかわしげなカズの声。まさか、只今発情中! なんて言えるわけもなく……でも何か言わないと……何とか言葉をしぼり出す。

「えっと、あー、ちょっと暑くて……涼んでるだけ」

 頼む、カズ。これで納得して中に戻ってくれ!

「……手伝おうか?」

 うわあぁー! ばれたぁぁぁ……。

 男同士。説明なしで何となく察したらしいカズの声。めちゃくちゃ恥ずい。手伝うって何だよ? ……まずい。昨夜のことを思い出し、想像してしまった……。理性よ働け! 欲望と想像力を止めるんだ!

「い、いや。自分で、で、できるから。カズは戻ってて」

 両手てでスカートをにぎりしめてこらえる。我慢がまんだ我慢。耐えろ僕。……キツかった。

 ふわり。スカートがめくられた。

「えっ? なっ⁉ ちょっと、カズ? な、何やってんだよっ……」

 スカートの中にカズかもぐり込んできた⁉ おまえは変態かー! カズは僕の下着を引きずり下ろした。

「ひっ……⁉ ちょっ、待って。カズ?」

 カズの熱い息が僕にかかる。

「うあっ……」

 ヌルリとカズの口に包まれて、僕はたまらず熱を吐き出した……。

 めちゃくちゃ……気持ちよかったぁ。うはぁ~。

 でも、まだ足りない。全然足りない。もっと欲しい。欲しい。欲しい。欲しい。カズが欲しくてたまらない。体の奥から欲望がたぎるマグマとなって押しよせる。

 僕はカズに体を押しつけ、さらなる快楽をねだった。カズを草むらに押し倒しキスをして服をはぎとりまたがった。

 僕たちは飢えた獣のように互いをむさぼり熱を叩きつけ、快楽を解き放った……。

 カズの肩越しに満天の星が輝いていた……。なんてきれいなんだろう……。僕たちは、きらめく星の下で愛し合った。

 僕はこの夜、自分の意志でカズを選んだ。

















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