目指せ! 神の木

「……ちゃん。ねぇ、おきて……。ねぇユウちゃん。……わあーー‼」

 耳元で絶叫されて、僕は飛び上がった。

「うわぁっ⁉」

「ユウちゃん、おきた」

 女の子が、クリっとした目で僕を見上げている。うわぁ、かわいい子だな。ジュンちゃんのちっちゃい頃に似てる。

 その子は青いジャージの胸元を指さして僕に見せた。

 黄色いチューリップの名札には、ジュン、と書かれている。僕とジュンちゃんは保育園の時に、こんな名札をつけていた……。僕は、女の子の顔を穴があくほど見つめた……。まさか……。

「ジュンちゃん?」

「うん。チューリップぐみだから、五さいのジュンちゃんなの。ユウちゃんは、お姫さまになってるよ」

「お姫様?」

 ジュンちゃんが、かわいい指で僕の胸元を指さした。

「え、えっ⁉ えーーっ‼」

 すっとんきょうな声が出た。

 僕は黄色いフリフリのかわいいワンピースを着ていた⁉ 何で何で何でだ? 僕は喪服もふくを着てたはず。胸元にはハートの名札がついてる。ピンクのハートの名札には、姫、と書かれている……。まさか。

「ジュンちゃん。ちょっと後ろを向いて目をつぶっててくれる?」

「うん?」

 ジュンちゃんは素直に後ろを向くと、しゃがんで目をギュッとつぶり、両手で耳をふさいだ。……いや、そこまでいなくてもいいんだけどね。ま、いっか。

 僕は、そ~っとスカートをめくると、おそる恐るパンツの中を確認した……。ついてる! よかったぁ~。服は女の子だけど、体は男のままだ。

「ジュンちゃん、もういいよ。目を開けてこっち向いていいよ」

 ジュンちゃんは僕を見てニコッと笑った。

「ワンピースにあってるよ。かわいい」

「ありがとう。じゅんちゃんもかわいいよ」

 僕はしゃがんでジュンちゃんの小さな体を抱きしめた。ジュンちゃんから子供特有のミルクみたいな匂いがした。僕がジュンちゃんを守らないと。

「……ここ、どこだろうね? 神社の近くかな? 車をとめた場所はどこだろう?」

「わかんない」

 僕たちは、うっそうと木々がおいしげる森の中にいた。


 ヒュルルと白い風が吹き、目の前に白い兎が現れた。僕はジュンちゃんと顔を見合わす。

「……何? 神社で見た兎?」

「そなの?」

「どうだろ? わかんないや」

 白い兎は、赤い目で僕たちをじっと見上げ、そして口を開いた。

「ジュンは、姫を神の木まで連れていけ。姫は、五人のハンターと一匹の犬の中から、つがいを選べ。ハンターは首に赤い玉をかけている。犬は緑だ。姫は男と愛し合い、姫の放ったものが、母なる大地や神の木にかかることによって、生命が生まれる」

 う、兎がしゃべってる⁉ しかも、なんかすごい事を言ってないか?

 訳がわからずフリーズする僕の横で、ジュンちゃんは兎をなでている。白い兎は気持ちよさそうに赤い目を細めながら、しゃべっている。

「姫は発情する。夜は狛兎こまうさぎの結界で寝るがいい。ただし、結界は一晩しかもたぬ。姫が愛を注がなければ神の木は枯れ、この世界は消滅する。わかったな。では、さらばだ」

 ヒュルルル。兎は白い風になって吹き去っていった。……今のは一体何だったんだ?


「神の木はあっちだよ。どしてかわかんないけど、ジュンちゃんのなかに、ナビがはいってるの。ジュンちゃんは、あるくカーナビなの」

 ジュンちゃんが僕の手を引いて歩き出す。僕は何だかわからないけどついて行く。

 木の枝で鳥がさえずり、草むらで虫が鳴き、道端では木漏こもがチラチラと踊っている。

「ねぇジュンちゃん。さっきの兎の話をどう思う? ……姫って、僕のことかなぁ?」

「うん。姫はユウちゃん」

「でも、僕は男だよ」

「うん。ユウちゃんがすきな人とあいしあうなら、それでいいんじゃない?」

 ジュンちゃんはあっさりと言った。

 青いスニーカーをはいてるジュンちゃんは、ごつごつした山道をしっかりとした足取りで進んで行く。僕は黄色いスニーカーだ。ちょうちょのリボンがついた、やたらとかわいいデザインだ。

 山道を、青いジャージの女の子に手を引かれ、黄色いワンピースの男が歩いている。……どう見てもおかしいだろ。逆だろ、逆。

 山道を、黄色いワンピースの女の子の手を引いて、青いジャージの男が歩いてる。……どう見ても誘拐だな。うん。逆にしたら犯罪のにおいがする……。どっちにしても、おかしな状況には変わりない。

 僕はスカートのすそをヒラヒラさせながら、子供のジュンちゃんと歩き続けた……。


 飲まず食わず休憩きゅうけいなしで山道を歩くこと丸一日。僕はとうとうを上げた。

「もう無理。歩けないよ。ジュンちゃん、少し休もうよ」

 僕はその場にへたり込んだ。お腹がいた。のどかわいた。この程度でへばる自分が情けなかった。

 ジュンちゃんが、小さな手で僕の頭をよしよしとなでる。

「ユウちゃん。もうすこしで、こまうさぎだから」

「狛兎? ……あの兎が言ってた結界のこと? 神社……」

「しぃー」

 ジュンちゃんが僕の話をさえぎり、人差し指を口にあてた。

 あたりは薄暗くなってきた。夜が近い。草むらで夜の虫が鳴きだした。風が吹いてさわさわと葉が揺れる。……風の音にまじって、人の声がした。何か争っているようだった。

 僕はジュンちゃんと顔を見合わせ、うなずくと、音のする方へ忍び足で近づいて行った。木の影からそっと様子をうかがう。

 ごつい男が、やせた男の胸ぐらをつかんでいた。

「ここはどこなんだ? きさまは何者だ? 知ってることを洗いざらい吐きやがれ!」

「ヒッ、ヒィー。ぼ、ぼくは只野ただのといいます。サラリーマンです。の、飲み会の帰りに、酔ってベンチに横になって、気がついたらここに……。スーツだったのに、こんな登山みたいな服になってて、訳が分からなくて……。そ、そしたら、白い兎が目の前に……」

 やせた男、サラリーマンの只野がしどろもどろに説明した。ごつい男の服装も只野と似たような格好の登山服だ。

「ふん。要するに、こういう事か? ここは異世界で、その白兎が神で、俺らは異世界転生したと。俺らがハンターで、姫をゲットして神の木でゴールインか。この首にかかった玉を奪われると、そいつは消滅する。要は、死ぬと」

「ぼ、ぼくは死んでません。酔いつぶれただけで、生きてます。転生じゃない。も、もういいですか? 知ってることは全部お話しました。は、離してください」

「そうだな。俺は田所たどころだ。いろいろ教えてくれてありがとよ、兄ちゃん。そんで、あばよ」

 ごつい男、田所はそう言うと、只野の首にかかったひもに手をかけ、引きちぎった。

「ヒッ……」

 ちぎれた紐から赤い玉が地面に落ちて、砕け散った。と同時に只野が、消えた⁉ この世界から、消えた……。


 僕は自分の首をさぐった。指に紐が触れる。首にかかった紐を引っぱり出すと、そこには黄色い玉がついていた。ジュンちゃんも紐を引っぱり出した。ジュンちゃんのは青い玉だ。日が沈み暗さ増す木の影で、黄色と青色の玉がかすかに光っていた。

 僕はジュンちゃんと顔を見合わせうなずくと、そろりそろりと後ずさる。

 僕の足が枝をパキリとんづけた。まずい……。

「誰だ⁉ 出てこい!」

 僕たちは走り出した。夜の暗がりの中へ一目散に逃げだした。

「あっ! 待て! この野郎!」

 待つわけないだろ! バカ野郎! 僕は心の中で捨て台詞を吐いた。

 外灯も何もない山奥で、日が落ちたら闇になる。ジュンちゃんの青いジャージは闇にとけ込みほとんど見えない。それでも小さな足音で、僕のすぐ横をジュンちゃんが走っているのがわかる。

「こまうさぎ」

 ジュンちゃんが言った。木々の黒い影の向こうに、白いかすかな光が見えた。

「待てって言ってんだろ! きさま、そのヒラヒラしているのは、スカートか? スカートだな! さては、きさまは姫か? 姫だな! 待てこらぁ! 大人しく止まりやがれぇ!」

 田所の声が追いかけてくる。

 僕の黄色いワンピースは闇の中にとけ込んでないらしい。

 田所の足音が迫ってくる!

 ジュンちゃんが僕の手を引っぱって、白い狛兎の後ろへ転がるようにけ込んだ。

「ちっ。どこに行きやがった?」

 田所の声と足音が遠ざかって行く……。

 ふぅ~。助かったぁ~。今になって汗が噴き出てきた。心臓がバクバクしてる。

 ジュンちゃんがころんと草むらに寝転がった。僕も隣に大の字に転がると、高く澄んだ虫の音に包まれた。頭上には宇宙が広がり、白い天の川が流れている。それは吸い込まれるような星空だった……。


「ねぇジュンちゃん。ここは異世界だと思う? あの神社で見た兎が神様で、あの木のうろが異世界につながっていた。そんな事があると思う?」

 ……答えが返ってこなかった。

 ジュンちゃんは眠っていた……。うん。そうだよね。大人のぼくでさえヘトヘトなんだから。こんな小さな体では疲れたよね。

 五歳か……。今でこそ、平均身長より大きな僕たちだけど、子供のころは小柄だった。小学校では背の順で、いつも一番前だった。こんなにちっちゃかったんだなぁ。

 うとうとしかけてハッと頭を起こした。まずい、まずい。こんなところで寝てたら風邪をひく。少し肌寒かった。食べ物と飲み物が欲しかった。このまま飲まず食わずでは、ジュンちゃんの体がもたない。

 狛兎がぼんやり光っている。白い狛兎の目だけが赤い。神社で見たものよりも小さかった。

 狛兎は三体あった。ここにひとつ、あっちにひとつ、向こうにひとつ。白くぼんやり光っている。その三体に囲まれた三角形の中は、外よりほのかに明るかった。これが白兎の言っていた結界なのかな。

 僕はジュンちゃんを抱っこして結界の中を歩き回り、寝る場所を探した。 

 木の株を見つけた。暴風か雪で倒れたのだろう。ちた木の根元か空洞になっている……。

「ジュンちゃん。ほら見て、ここ」

「なあに? ……あな?」

 ジュンちゃんは僕の腕からおりると、穴の中をのぞき込んだ。

「トンネルみたいだよ」

「入ってみようよ。ここから元の場所に戻れるかもしれない」


 穴の中はゆるやかな下り坂で、その先は洞窟どうくつになっていた。

 天井は僕が手を伸ばしても届かないくらいの高さがある。テーブルとベッドがひとつ。テーブルの上にはランプがともり、料理がずらりと並んでいる。椅子は七つ。その内ひとつは子供用。ジュンちゃん用だ。じゃあ、残りは僕と……予備かな?

 お腹が鳴った。食べよう!

「いただきます!」

 僕たちはありがたく食事を頂戴ちょうだいして、お腹いっぱい食べた。

「ごちそうさまでした。……おやすみ、ジュンちゃん」

 食べながら寝てしまったジュンちゃんを抱っこして、ベッドに寝かせた。隣に僕も寝転がる。

 首にかかった黄色い玉を取り出した。ビー玉みたい。きれいだなぁ。

 あのサラリーマン只野は死んだのだろうか? 赤い玉が砕けると同時に、只野の存在が消えるのを感じたのは確かだけれど。

 僕らを追いかけてきた田所という男も、ハンターだと言ってたな。ということは、あの男が僕のつがい候補ということなのか⁉ いや、ないわ。田所の声とか怒鳴り方が、取引先の嫌な奴を思い出す。嫌だ。絶対に関わりたくない。

 ハンターは他に三人いるのか。それと、犬? うん。犬はない。八犬伝の伏姫じゃあるまいし、って僕は何を真面目に選ぼうとしてるんだ⁉

 相手は男だぞ! 男とつがうのは却下きゃっかだ。

 とりあえず、神の木まで行ってみて、ジュンちゃんと元の世界に戻る方法を探そう。

 僕は玉を服の中に戻すと、目を閉じた。体がベッドに沈んでゆく……。僕は眠りに落ちていった……。


 ……どれぐらい眠ったんだろう? 一瞬のような気もするし、何時間も眠っていたような気もする……。僕は風の音と寒さで目が覚めた。洞窟の中で白い風がビュウビュウと吹き荒れている。

「何だ⁉」

 僕は寝ているジュンちゃんを抱えて洞窟を飛び出した!

 木の穴から地上へ出たところで振り返ると、木の株がぐしゃりとつぶれた。地面の下で、今さっきまで僕たちが寝ていた洞窟が、くずれて埋まるのを感じて、僕の体が震えた。

「あれ? こまうさぎが、いなくなっちゃった」

 ジュンちゃんの言うとおり、狛兎は三体とも無くなっていた。跡形あとかたもなく消えていた。




 



 









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る