ハンターと犬と兎とジュンちゃんと
塩田千代子
狛兎
ざわざわガヤガヤ
おばあちゃん、薄情な孫でごめんなさい。僕は今すぐ帰りたい。読経、焼香、
「おっ、食べてるか? 若いんだから、どんどん食べろ」
陽気な伯父さんがやってきて、僕の肩をバンバン叩く。僕たちの顔をしげしげと見比べて、うーんと
「どっちが
伯父さんがガハハと笑う。僕も調子を合わせてアハハと笑う。
そこへ母親がやってきて、僕の背中をつついた。
「雄一、ちょっと」
親となるべく話したくなかったから、わざと離れて座ったのになぁ。向こうからやってきた。
しかたなく立ち上がって、母親の後について行く。ジュンちゃんが一緒についてきてくれた。心強い。ありがたい。
廊下に出ると、父親がいた。難しい顔をしている。……嫌な予感がする。
「雄一」
父親が声を抑えて聞いてきた。
「
あーあ。バレたか。……あの会社は父親の会社とも母親の会社とも取引があったからなぁ。まぁそのうち耳に入るかもとは思ってたけど……今かぁ。
「
いいところ? 僕にとっては地獄だったけどね。
息子が一流大学を出て一流企業に就職して
ジュンちゃんにそっと背中を押され、僕は勇気をふりしぼる。いつ言うの? 今でしょ!
「真弓さんとは別れた。会社も辞めた」
「辞めただと⁉」
「別れたの⁉」
両親が大声を出した。
「どういう事だ? 三年もたたずに辞めるなど。なぜなのか説明しなさい」
「何したの? 雄一の方から
親の言い方にカチンときた。僕は怒鳴りたいのを抑えて答える。
「会社を辞めたのは、シンプルに仕事ができなかったから」
そして上司がパワハラで、さらに同僚とも先輩ともうまくいかなかった。と心の中で付け加える。職場も仕事も僕には合わなかった。
何か言おうとする両親に僕は
「真弓さんと別れたのは、検査の結果、僕が不妊だとわかったから。彼女は子供を欲しがっていたからね」
シーンと静まり返った。
「ふ、不妊⁉ そ、それはつまり、雄一が……」
「種なしってことなの⁉」
響き渡る親の声。
「そういうこと」
親の顔に失望が広がってゆく……。真弓さんの時もそうだった。潮が引くように離れていった。すうーっと心が離れていった。恋人も親も、僕を見る目が変わった。
「それじゃあ、僕は帰るから」
僕はクルリと親に背を向けて、逃げるように寺を飛び出した。
運転席に飛び乗ると、助手席にジュンちゃんがすべり込んできた。僕は無言で車を出した。ジュンちゃんだけが、僕を見る目が変わらない。
車一台通らない人っ子一人いない田舎道。前方には真っ直ぐ伸びた車道、上には白い雲と青い空、左右には田んぼが広がっている。
「伯父さんたちに挨拶もなしで勝手に出てきちゃったけど、まずかったかな?」
「いいんじゃない」
ジュンちゃんはあっさりと言った。
「話は全部、
「あれで親戚中に知れ渡っちゃったね。僕は別にいいけど。言ってすっきりしたけど。親はどうだろうね? 後で何か言ってくるかな?」
「ユウちゃんがスッキリしたなら、それでいいんじゃない? 何か言ってきたら、その時に考えよう」
「そだね。……医者に不妊を告げられた時さ」
「うん?」
「僕は何とも思わなかったんだよね。あぁそうなんだって、あっさり受け入れた」
「うん」
「真弓さんに、子供が欲しいから結婚できないって言われた時も、あぁそうなんだって、あっさり別れた」
「そっか」
のどかな景色が視界を通り過ぎてゆく……。
「……ねぇ、ユウちゃん」
「うん?」
「今どこ走ってるかわかる?」
「え? えっと……」
いつのまにか車は山の中を走っていた。
「この車はカーナビないし、私のスマホは圏外になってる。この道に見おぼえある?」
ジュンちゃんが手にしたスマホをおろした。言われてみれば……来る時にこんな道を通ったっけ? こんな山道は記憶にないぞ。でもずっと一本道だった……。僕のスマホも圏外になっていた。現在地がわからない。ここ、どこだ?
「……迷った。ジュンちゃん、
行けども探せども何もない。どんなに目を凝らしても、標識も車も人も見当たらない。店も家も看板もない。
日が傾いてきた頃、細い階段を見つけた。車を止めておりてみる。……どうやら上に神社があるっぽい。
「行ってみよう。誰か人がいるかもしれない。道がわかるかも」
不安そうなジュンちゃんの手をつないで、僕たちは石の階段をのぼった。草むらで鳴く虫の声が、だんだんと小さくなってゆく。階段をのぼりきると、虫の声が止んだ。
「ねぇユウちゃん。これ、
僕も初めて見た。
「兎だね。
「
ジュンちゃんが指さす。
「……読めないや。ユウちゃん、読める?」
古い板に書かれた流れるような
「……無理。わかんない。……誰もいなさそうだし、案内図とかもないね」
「お
そう言ってジュンちゃんが手を合わせる。僕も隣に並んで手を合わせた。……何の願いも浮かばなかった。形だけまねておく。
足に何か
「ジュンちゃん! 兎だ!」
「えっ?」
僕はジュンちゃんの手を引っ張って、兎の後を追いかけた。白い兎が木の
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