第5話 夜……征矢野舞衣

 瀬戸将隆くんが空き教室の鍵を持っていてよかったです。

 春に始まったこの集まりが、夏へとたどって、あそこがみんなの場所になることが、私は嬉しくてなりません。

 きっと将隆くんは周りをよく見ているから。

 だから先生から信用されて鍵を託されて、その流れでいつも『作業』をお知らせしてくれて……。

 でも。

 それは一面的な見方なのです。

 将隆くんは、本当はとても引っ込み思案。誰かとすぐには馴染めない人。将隆くんがいつも控えめで静かにしているのは、もともと静けさが好きであること以上に、周りのみんなとの交流がのだと、私は思っています。

 そしてそれは、私にとっては心から共感できること。

 かたちは違えど、私もそちら側だからです。


 将隆くんの未来を願うことは、ひるがえって私自身の勇気のためなのかもしれません。



 リビングでテレビを見ている両親におやすみを伝えて部屋に戻ると、時刻は夜の十時を回ったところ。

 私は片手に持ったジャスミンティーのペットボトルを丸テーブルに乗せて、ベッドにあおむけになりました。

 今日も楽しいことがいっぱいでした。

 朝はののかちゃんと一緒に登校して、お昼は来海ちゃんも交えて空き教室で食事して、そこで将隆くんのことも知れて、放課後は純くんもあわせて五人みんなでお喋りして……。

 私はよくを感じます。

 今歩いているこの道は、本当は正しいルートを大きく外れていて、気づかずに進むうちに取り返しのつかない場所にたどり着いてしまうんじゃないかって。

 途中から道がなくなって、突然終わりがやってくるんじゃないかって。

 不安はいつも私のそばにあって、追いつめられるような恐怖もあって――だから私はみんなの存在に救われているのです。

 将隆くんが言う『ピーススペース』で集まるみんなに。

「よし、今日もやるぞ……」

 私は体を起こすと、丸テーブルに置いてあるペットボトルと手芸道具を抱えてベッドに戻ります。そして掛け布団の上であぐらをかき、縫い針と待ち針とはさみと、あとはさまざまな柄の布切れを目の前に広げます。

 今日も眠たくなるまでお裁縫に勤しむつもりでした。


 パッチワークのことを教えてくれたのは、純くんでした。

 あれは春先で、私がまだ頃のこと。

 先生に言われてみんなで集まるようになって、それぞれが顔色を窺ってばかりだった時期でした。

 自己紹介が済んで数日、お互いが気まずいだけの時間に、純くんが少しぎこちない笑顔で、何も趣味がなくてと言った私に勧めてくれたのです。

 たぶんあれはほとんど社交辞令で、純くん自身も本心からのアドバイスではなかったはずです。

 でも、私は教えてくれたそのこと自体が嬉しくて、心の中で舞い上がってしまって、その夜にネットで調べてみたら思いのほか楽しそうで。

 お母さんにお願いして要らない布をたくさんもらったりして、そんな経緯で始めてから今に至るのでした。

 パッチワークとは手芸のジャンルの一つで、つぎはぎをいくつも合わせること。私は布をちょうどいいサイズに切って形を整えて、縫い合わせて一枚の作品を作ることに夜ごと夢中になっていました。

 いつかみんなにプレゼントできたらいいなと思うけれど、まだそこまでの自信作を作れるようになっていないので、みんなには秘密にしています。

 布にはさみを入れていたら枕もとのスマホが鳴りました。

 手に取って確認すると、来海ちゃんからです。


〈来海〉まだ起きてる?

〈舞衣〉うん

〈来海〉訊きたいんだけど、わたしと将隆くんってワンチャンあると思う?

〈舞衣〉うーん。私の感覚になっちゃうけど将隆くんにだったらもっとアピールしていかないと伝わらないかも……?

〈来海〉そっかーありがと!じゃおやすみー!

〈舞衣〉おやすみ!


 私はスマホを布団の上に置き、ジャスミンティーを一口二口飲みます。

 来海ちゃんの好きな相手は将隆くん。

 自分と反対側にいる存在って気になるみたいです。

 恋の相談は、なにぶん自分の経験がないので、上手くできていないだろうなと思いながら考え考えして答えます。

 来海ちゃんの想いが無事届けばいいなと、思うけれど……。

 と、またスマホが鳴りました。

 純くんからです。


〈純〉まだ手芸中かな

〈舞衣〉うん楽しいよ。教えてくれてありがとね!

〈純〉楽しいなら何よりだよ。あのちょっと訊きづらいことを訊くんだけど、来海って好きな人はいるのかな

〈舞衣〉うーん。私からはなんとも言えないかな……イエスとも言えないしノーとも言えないこの気持ちわかってほしい……

〈純〉わかった……友だち同士だもんな。それだけだ。あまり夜更かしせずに寝るんだよ、おやすみ!

〈舞衣〉ごめんね><おやすみ!


 と、こういうわけなのです。

 まさかの三角関係。そして二人の相談相手にされている私……。

 丸く収まればいいけれど、この三者の三角状態の角が丸くなる日は来ないんじゃないかって思ったりもして。

 で、問題の将隆くんなんだけど。

 スマホが鳴って、その将隆くんからです。


〈将隆〉夜遅くにごめん

〈舞衣〉いいよー何かあったかな

〈将隆〉今日はありがとうって伝えたくて。俺の言った運命共同体って言葉に反応してくれてすごく嬉しかったから

〈舞衣〉運命って好きな言葉だからテンション上がっちゃったんだ!

〈将隆〉うん。それだけ。おやすみ

〈舞衣〉おやすみ!


 将隆くん、恋愛に関心がないのかもってくらいそういう話にならないのです。

 といっても私が知らないだけなのかもしれなくて、実際の将隆くんの心はわからないです。そもそもこんな私に相談してくる来海ちゃんと純くんが奇特なだけなのですけど……。

 そんなこんなで手芸の手を止めたまま時刻は早くも十一時すぎです。

 まだまだ眠たくありません。私はもともと夜型なので、少しくらい寝不足でも深夜まで起きていられますし、それに関係なく朝は無限に眠たいのです。

 スマホが鳴って、まただと苦笑いしながら確認したら、ののかちゃんからです。


〈ののか〉遅くまで起きてちゃだめだよ!

〈舞衣〉夜のこの時間が今日一日の本番なので……

〈ののか〉もう!あとこれから長文メールするからよかったら読んでね!おやすみ!!

〈舞衣〉ん……?おやすみ!


 どうやらののかからメールが届くみたいです。メッセージアプリではないってどれだけ長い文章が送られてくるのか緊張します……。

 さすがにパッチワークをするにも集中できなそうなので、手を完全に止めてジャスミンティーを一飲みします。スマホを握ってののかちゃんからのメールを待つばかりです。

 メールの着信音が鳴って画面を見れば、ののかちゃんからでした。


『ごめんね、長文なんだけどどうしても伝えたかったんだ。実は、怒らないでほしいんだけど、舞衣ちゃんが朝弱くてあたしはよかったって思っているの。そのおかげで舞衣ちゃんとの繋がりができて、毎日がすごく楽しいんだ。お喋りするのも、迎えに行って家の前で待つのだってあたしにとっては幸せなひと時なの(変なこと言っているようだけど)。舞衣ちゃんが家にこもりがちだった去年のことは、全然詳しくないけれど、それがあたしと舞衣ちゃんを引き合わせたなら、それは運命だったのかもって思った。放課後に将隆くんが言って、舞衣ちゃんが喜んで、あのときあたしも心が熱くなるような感動があったんだ。その熱がずっと収まらなくて、それで伝えたくて仕方なくなって、メールしちゃった!ごめんそれだけ!じゃおやすみ!夜更かしはほどほどにね!!』


 私はそのメールの文面を五度読みくらいして、深く息を吐くと体をうしろに倒して布団にゆだねました。足はあぐらのままなのでとても不格好なのですが、誰にも見られていないので関係ありません。

 

 私、今すごく生きているって感じがします。


 去年までの私は、引きこもり予備軍みたいな生活をしていました。に馴染めなくて遅刻や早退ばかりで、単位ぎりぎりで進級して、それで迎えた春に先生から指示されて五人組の一員になったのでした。

 私の今があるのは、ひとえにみんなのおかげです。

 こうしてメッセージを送ってくれて、メールで思いを伝えてくれて、その通知音の一つ一つに私がどれだけはしゃぎ、内容を読むごとに幸せになっているか。

 ありがとうの気持ちが、いずれ完成するパッチワークで伝わったらいいなって、心から思います。

 天井を眺めていて、ふと思ったのは、最初はぎくしゃくしていたみんなの壁がなくなったきっかけのことです。

 ……思い出せません。


〈舞衣〉寝てたらごめん……ちょっと訊きたいんだけど、みんなが仲良くなったきっかけってなんだったっけ


 返事はすぐでした。


〈ののか〉あれは舞衣ちゃんが書いた抱負的なやつが全ての始まりだったよ

〈舞衣〉抱負?

〈ののか〉うん。「私はみんなと一緒にいて邪魔にならない存在になりたいし、みんなのことも一緒にいて全然邪魔だと思わない、そういういい感じが生まれる仲良しな友だちになりたいです」って

〈ののか〉あれでみんな肩の荷が下りたというかつきものが落ちた感じになったの

〈舞衣〉思い出した……!ありがとう!!


 そうでした。

 集まりの当初の流れに、みんなでこれからどうしていきたいかを書いて提出するという厄介な『作業』があったのでした。

 そして、書いたそれを提出する前にみんなの前で発表することにもなっていて。

 みんなが短文でかしこまったことを書いた中で、私のふわっとしていて長い抱負は異彩を放っていて、言い終えた私は赤面して俯いていたのです。

 ずっと嫌な静寂が漂っていた教室。

 そこで、ののかちゃんが口を開いたのでした。


『それって、なんだか上手いというか』


 私はおそるおそる顔を上げて、ののかちゃんを見ました。

 ののかちゃんはこらえきれないというふうに楽しそうに笑っていて――こう言ってくれたのでした。


『つまりは「作業のお供」ってことだよね! 舞衣ちゃん天才じゃん!』


 って。

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