第4話 放課後……瀬戸将隆

 須藤来海を怖がるクラスメイトはそこそこいるんじゃないかと思う。

 身だしなみ、化粧、香水……派手にというよりは優美に着飾る彼女は先生方から悪い意味で注目の的で、言い換えれば

 来海が特別悪いことをしているわけじゃない。

 彼女は見られ方をすごく意識している、というだけだ。

 現に勉強はできるほうで、この間の定期試験の結果もクラスで軒並み十位以内を取っていた。『作業』の時間に見せ合いをして、俺を含むほか四人はその意外性に驚きすぎて絶句したくらいだ。

 そして来海は自分を

 その見えなさに向き合い、距離を測り続けている坂木ののかと征矢野舞衣がいて、近づこうとしている下島純がいて――俺も遠くから気にかけている。



 俺が『ピーススペース』の鍵を開けて入ると、うしろで所在なさげだった四人はぞろぞろとついてきた。

 最前列の窓際にいつもの席がある俺以外は、各々がその日の気分で好きに座る。そしてだらだらと雑談を始めるのだ。

 一日の全ての授業が終わり、気ままな放課後だ。

 俺は窓を開けると、椅子の背もたれを窓側に向けてから腰かけて、スマホを眺め始める。

 これが俺のいつもの定位置で、このことを勧めたのは純だった。

「ふいー、お腹すいたー」

 来海が教室のうしろの席にすとんと座り、カバンに手を突っ込んであさり出した。

「なになに、お菓子とか……?」

 舞衣がすすすと近づいて来海の隣の席についた。ごそごそしている来海の手元をのぞき込む。

 来海は人差し指を唇に当てた。

「秘密にしてね。じゃーん、チーズおかき!」

「おおー!」

 机にがさっと置かれた緩いパッケージの菓子袋。中にぎっしり入っているのは、ドーナツ型のおかきの真ん中にチーズが収まっている例のお菓子だ。

 それをののかが上からのぞき見る。そしてぽつりと一言もらした。

「飲み物が欲しくなるね、それ」

 瞬間的に場が静まった。

「……ん? 何かな、この静寂」

「ののかちゃん、進んでるね……」

「ののか、この年でもうそんなの飲んでるんだー」

 舞衣はいけないものを見るような目をしていて、来海はからかいの種が見つかったとばかりにニヤッとしている。

 ののかは全く合点がいっていない様子で、はてなを頭上に浮かべた状態だ。

 開いた窓を背にして立って風にあたっている純は、苦笑をおさえられないようで咳き込んでいた。

 そして笑い混じりで、ジョッキをあおる動きをした。

「こんな感じで、大人が乾杯して飲んで酔うあれのことだね」

 ののかは眉を寄せて無言の間をあけたあと、「……あっ!」と激しく慌てだした。

「ちが、違うからね! 誤解だから!!」

「じゃ、どういう意図でそう言ったんだ?」

「チーズおかきって食べるとのどが渇くんだよ! おかきは水分を吸収するし、チーズは塩分が多いから、だからおいしく食べるには飲み物を用意すればよかったなって思ったのっ!」

「なるほど、さすが詳しいな」

「もう! みんなしてからかって……!」

 顔を真っ赤にするののかもどこか楽しそうだ。

「そ、そもそも来海ちゃんは、何でお菓子を持ってきてるの?」

 来海はふふーんと胸を張って、

「このお菓子は天からのお恵みかな。誰かさんの家族の方が、お昼頃に教室に持ってこられてね、席にいなかった本人の代わりに受け取っておいたものだよー」

「それ、あたしのお兄ちゃんじゃん! もう恥ずかしいよ」

「妹の好みをちゃんとご存知だなんて、ののかは愛されているね」

 来海はうんうんと満足げに頷く。

 そのそばで、ののかは両手で顔を覆って羞恥に沈んでいった。

 にやけたままの来海が、再びカバンに手を入れて新たに何かを取り出した。

 握られているそれはサイズ小さめの缶ジュースだ。

「そうだ、純くん。体育の時間にお世話になったお礼、遅れちゃったけど渡すねー」

「ああ、ジュースおごるとか言ってたっけ」

 来海はそれを無造作に下投げした。飛んでいくジュースは、見事な軌道を描いて純の手におさまった。

「わざわざありがとな。何のジュース……抹茶バナナイチゴミルク? なんというか、掛け合わせがよくばりセットみたいな」

「だよね、そう思うよね! この、おいしいものを混ぜてみました的なのがそそって買っちゃった」

「とりあえず甘ったるいのは間違いなさそうだな……。あとで飲んで感想を教えるよ」

「味がどんななのかは本当にすごく楽しみにしてるから感想ちゃんと忘れないでね」

「急に食い気味になられても」

 盛り上がる場。

 ひとしきり笑いあうみんなは、それぞれが気兼ねない友だちだ。

 空き教室『ピーススペース』には今日も笑顔があふれていた。

 舞衣が机に頬杖をついて、つぶやいていた。

「やっぱりこういうの、いいな……」


 純が微笑みを残して俺のほうを向いた。

「それじゃ将隆、今日の『作業』を教えてくれ。先生は何をしろって言ってたかな」

 俺はみんなの視線が集まっていることに緊張を覚えながら、黒板前に立った。

 教卓に両手をそっとついて、正面を向く。

「今日は、部活向けの学校改善に関するアンケートを書いて出してほしい、ということだ」

 俺は事前に先生から受け取っていたプリントを、カバンから出して教卓に乗せた。

「これに書かれている質問に答えて、まとめて提出すれば今日は終わり」

 少しの沈黙があって、それから、

「やった、楽だ!」

 とバンザイして喜ぶ来海と気を緩ませる面々がいた。

 今回の『作業』は、あちこちに行かなくていいので疲れないし、物を運んだりと力を使うものでもない。たまにある、楽な日なのだった。

 俺がプリント用紙を配り終えると、それぞれが内容を読み始める。

 ペンをくるくる回す純は、みんなが内心思っていることを口にした。

「この集まりって、部活の扱いなのか?」

 ののかが用紙に目をおとしながら、

「部活というよりは仲良しグループみたいな感じ」

 舞衣が顔を上げて、

「そんな明るいものじゃなくて、単なる落ちこぼれ集団じゃないかな……」

 書く音が一瞬止まり、教室が静まる。

 来海がチーズおかきをもぐもぐしながら、

「大切なさ行の友だち」

 その言葉に純が首を傾げていたけれど、すぐに思い当たったようだ。

「作業……さぎょう……ああ、名字のさ行もか」

 舞衣はプリントをそっちのけに「うーん」と腕組みして悩んでいた。そして、ぱっと俺のほうを見た。

「ね、将隆くんはどう思う……?」

 突然話を振られて、俺は頭の中が真っ白になった。ただ、会話は聞いていたし自分なりの回答も思い浮かんでいた。

「運命共同体、とか、どうかな」

 途端、舞衣の瞳が輝き出したのがわかった。

「それだ!! 運命ってすごくいい言葉……! ぴったりする!」

 俺としては特別な意味合いを含ませたわけじゃなかった。

 けれど、それは舞衣には関係ないようだった。

 瞳をキラキラさせたまま舞衣は立ち上がって、両手を胸の前で組み合わせ――祈るようにその目を閉じた。


「うん、そうだよ! このさ行で結ばれた私たちの絆は、奇跡や偶然じゃなくて運命なんだよ……!」


 まぶしいものを見ている、と俺は思った。

 は、俺の心のうちに火を灯した。

 俺たち四人は黙ったまま、舞衣の真っ直ぐに立つ姿を見つめていた。

 誰も言葉にはしなかった。けれど、みんな優しい目をしていた……それぞれきっと感じるものがあったのだ。

 しばらくして教室内のペンを動かす音は止まった。全員がプリントを書き終えたようだ。

 ほか四人が持ってきてくれたのを、俺はまとめてクリアファイルに入れた。あとは職員室に寄って先生に提出するだけだ。


 夏の空は夕方になってもまだまだ明るい。

 このまましばらくここ『ピーススペース』に残っていてもいいかなと思う。

 女子三人が寄り集まってお喋りに興じ始めたのを横目に見ていたら、純が近づいてきて隣に座った。

「将隆、今日はありがとな」

「何が……?」

「昼休みに三人がここに来てただろ。教室にいなかったから、もしやと思っていたんだ。将隆が鍵を持っているのを以前教えていたのは僕だから、その責任もあるかなって」

 申し訳なさそうに頭をかく純。

 俺は首を横に振った。

 俺としては、よかったと思っているくらいなのだ。

「全然いいよ。この場所をひとり占めしていることはずっと気になっていたし、。それが親しい人たちなら万々歳だよ」

「そっか、ならよかった」

 純は歯を見せて笑った。

 俺たち五人は、望まれて集まったわけじゃない。

 それでも、今目の前にいる純の笑顔と、教室の一角で楽しそうに話をしている舞衣とののかと来海を見ていると、俺は心が温かくなる。

 そして、思うのだ。

 こんな俺でも、ここにいていいんだと。

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