晃一……1

 田舎育ちの村長で、おれの叔父にあたる吉川満にとっては少々刺激が強すぎたかもしれない。彼の目は文字通りまん丸になって、目の前で動く物体を見ていた。


 それは、うねうねと体をくねらせながら、村長室の地べたを右へ左へ前へ後ろへ。

 頭だけを見れば、それはヘビに見えるかもしれない。しかし、そこから続く体は突然太く膨らみ、頭二つ分ほど大きくなる。それが缶ビール一本ほどあって、今度は急に細くなり、やっぱりヘビのような尻尾がついている。全身は薄暗く、よく見ると鱗があるのが分かる。さらによく見ると、模様もついている。


 全く知識が無い者は、それを見て奇形のヘビと思うかもしれない。しかし、オカルトに少しでも興味がある者が見れば、それが何だかすぐに分かるだろう。


 つまり、ツチノコである。


 叔父は、でっぷりと肥えた腹を小さめのスーツで包み込み、とても似合わないピカピカの革靴を履いていた。整髪料でぺったりと撫でつけられた髪は、生え際がとても怪しい。でかい口はあんぐりとしたままで、これまた大きな目がギョロリとしていた。


 ツチノコという未知の物体を初めて目にしたときの、人間の反応といったらこれが正解かもしれない。

 しかし隣にいる母は、そんな叔父を見て薄笑いを浮かべていた。目の前のツチノコには目もくれず、叔父の反応を楽しんでいるようだった。なぜなら、このツチノコが偽物だと知っているからだ。


 ツチノコの正体はおれが作った掃除機だ。いわゆる自律式掃除機というやつで、ゴミを求めて勝手にあっちこっちに動くというものだ。外見だけをツチノコそっくりに似せたもので、厳密に言えば、まだ掃除機の機能は搭載しておらず、自律式掃除機の動きだけをする。


「こりゃ、ツ、ツチノコってやつか。はあ……、本当にこんなものがいるんだな」叔父が言った。


 叔父は胸ポケットにさしてあった老眼鏡をかけ、近づいて観察を始めた。


 掃除機は明らかに掃除機の動きをしており、突然、体の中心を軸に九〇度の方向転換をしたりする。そのたびに母が吹き出しそうな笑いをこらえているのだが、叔父は完全にツチノコだと信じ込んでいるようで疑う様子も無い。


 ツチノコ型掃除機を観察し続ける叔父を観察し続ける母は、いよいよ我慢できなくなって笑いだした。母もついさっきおれに騙されたばかりなので、余計に可笑しいのだろう。腹をかかえてゲラゲラ笑う母につられて、おれも笑い出した。


 何事かとこちらを見ていた叔父だったが、ついに一緒になって笑い出した。それがまた面白く、おれと母はさらに笑った。母は床に突っ伏して、腹を押さえながら全身を震わせていたし、おれは床の上を転げ回り、両手両足をバタつかせて笑い続けた。まともに呼吸もできず、腹筋がつりそうだ。


 おれがひいひい言って笑っていると、叔父は突然真顔になり、こう言った。

「何がそんなに可笑しいんだ」


 一瞬の静けさがあり、すぐにまた爆発した。おれと母はしばらく口がきけなくなる程笑った。


 ようやく笑いも収まったところで、母は叔父に言った。


「実はね、兄さん。このツチノコなんだけどね……」


 かいつまんで話すと、叔父はやっぱりなと笑っていた。もし本物だったら、マスコミに連絡して大々的に村おこしに利用するつもりだったらしい。それを聞いて、またおれたちは笑った。


 外からは相変わらず、セミの鳴き声が絶え間なく聞こえてくる。いろいろな鳴き声に、アブラゼミとミンミンゼミは思い出せたが、他の有名どころのセミが思い出せない。夕方になるとさらにまた別のセミが鳴き出すのだろうが、大人になってしまったおれには思い出せないかもしれない。


 叔父はおれのつくったツチノコ型掃除機を観察するが、手に取ることはしなかった。偽物だと分かっても、一度本物と思ってしまった体が拒否反応を示しているのかもしれない。それは母も同じで、これが間違いなく偽物だと思っているから叔父を騙しに役場までやってきたにも関わらず、決して手に触れようとはしなかった。


 しかし、そこまで精巧に作ってあるのかと言われれば、そうではない。ひっくり返せば移動するための小さなローラーが丸見えになっているし、ツチノコの外見を成しているシリコンだって、ネットの通販で売っていた安物のおもちゃから代用したものだ。


 おれはふたりを見ていると、作り手としては嬉しいが、身内としては申し訳ない気分だった。


 それからしばらく談笑していると「ずいぶん賑やかだな」という声がして、白髪頭の老人が入ってきた。


「あら、長老。今日は体の調子が良いのね」すぐに気づいて、母が言った。


 長老はニコニコしてうなずいた。白いステテコの上下を着て、夏だというのに腹巻きをしている。長老と言われているが、村の権力者というわけではなく、単純に村一番の長生き老人ということである。


 長老の名前は、なんて言ったかな。思い出せない。おれが小さい頃から、長老と呼ばれ、本名で呼ばれているのを見た記憶がない。にかっと笑うと、歯の無い黒ずんだ歯茎が不気味だった。


「長老、良いところに来たな。ほれ、そこ見て見ろ。びっくりして心臓止めるなよ」


 叔父も騙したいらしいのだが、もうすでに顔には笑いが漏れ出ている。それでも何とか耐えながら、動き回るツチノコ型掃除機を指さした。


 おれも母も笑う準備は整っていた。あとは長老が驚くのを待つばかりだったのだが、どうも様子がおかしい。長老はツチノコを凝視したまま動かなくなってしまった。そこまでなら母も叔父も同じだったのだが、長老は体をブルブル震わせ、目玉をこれでもかとひんむいている。


 これまた、純度の高い田舎者である長老には刺激的過ぎたのかもしれない。下手をすると、本当に心臓が止まりかねない。

 不安になってきたおれは、ネタばらしをするためにツチノコ型掃除機を手に取って見せようと思った。その瞬間、長老が叫んだ。

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