小説「セミノーマル・クライシス」
藤想
セミノーマル・クライシス
若い男女が喫茶店で向かい合って、アイスコーヒーをじっと眺めている。男女、ユウキとミサキは今、致命的なすれ違いを抱えており、二人の関係は危機に瀕している。
最初は些細な傷だったはずだが、修復しようとするほど泥沼にハマり、気が付くと二人はいつの間にか崖の上にいた。最初はそう、ミサキがユウキに「もっとお洒落な服を着て」と言った。それだけだった。だが今話し合われていることは「価値観の決定的違い」についてだ。二人とも不安に包まれているとはいえ、最初から別れ話をしに此処へ来たわけではなかった筈だ。もっと楽しい日曜日になるはずだった。
「別れ話をしに来たんじゃないよね」ユウキが言った。
「そうだね」ミサキは自分の指を揉みながら応える。「でもそう思っちゃったんだもん、仕方ないよ」爪を見る。今日のために綺麗にした爪。
ユウキはスマホで今日が日曜日であることを確認する。日曜日であることは分かっていたが、自分の認識を再確認したかった。
「明日って月曜日だよね。俺、今日をこんな気分で終わらせたくないよ」
「私だってそうだよ。でもやっぱり君って目先のことしか考えてないっていうか…そこが嫌。今将来のことを話してるのに」ミサキは俯いてしまった。
将来って言っても、将来は今日の連続の上にあるじゃないか。そう思ってもユウキは言わない。今何を言っても二人の関係は良くならない気がした。
ユウキは頭の方に手をやり頭を抱えそうになった所で、ここで本当にポーズとして頭を抱えてしまったらいよいよ破滅の色が濃くなってくることを察し、頭を少し掻いて手を下した。そそくさと一度下した手をコーヒーに運んで焦って一口飲む。少し咳き込む。
客観的に見たら、こんな別れ話みたいなことは日常的によくあることで、ユウキやミサキ本人にとっても人生レベルで考えたらすぐに過ぎ去るどうでもいい過去になっていくのかもしれない。
別れ話のような雰囲気だが、ミサキはまだ「別れる?」という決定的な一言は突き付けていない。ユウキはその一言を恐れていた。もしそうなったら、恐らく回避は出来ない。氷山に激突する船の如く。
二人とも、相手がどう思ってるかは知らないが、まだ全然相手のことが好きだった。出来れば別れたくないと思っていた。それでもこの駆け引きの中でミサキから切り出す危険性は十分にあった。
なにか状況を逆転する手札は無いのか。二人の機嫌が良くなるような出来事や、思わぬ幸運、打開、道を切り開くような何か。新たな危機。もっと大きい危機。
すると突然喫茶店に強盗が入ってきた。銃を持っている!咄嗟にユウキは席を立ちミサキの手を取り、どさくさに紛れて店から逃げ出した。非常時なので会計はしない。「今の何?」「強盗だよ」「そっか…じゃあ助かったの?残った人たち大丈夫?」「わからない、でも君が無事でよかった」「ユウキって、意外と頼れるんだね」「そんなことないよ、じゃあデートの続きしよ」
デートの、続き…。ユウキは喫茶店の出入り口を見た。入店待ちの人たちが3人ほど椅子に座って待っている。その前を店員が急ぎ足でパフェを運んでいる。強盗が現れる気配はない。当たり前だ。銀行でも宝石店でも無いのに強盗は何を奪うというのだ。
だがユウキは心から、とにかく今の二人の危機的状況を上回る、もっと凄い危機が訪れて欲しかった。この状況を破壊する神が現れてくれたら。
「今何考えてるの?」ミサキがユウキの顔を覗き込んだ。
「え、何も」
ユウキは、またワザとらしくアイスコーヒーを吸って、氷の隙間からずぞぞぞという枯渇音が聞こえたのを自分の合図にして、コーヒーをゆっくりとテーブルに置いた。
「今思ってることを、ハッキリ言うね。価値観の違いは、ある。それは仕方ないよ。付き合ってまだ半年だ。でも、でも俺はミサキのことが好きなんだよ。嫌なことがあっても、好きな気持ちの方が大きいんだよ」
ミサキは真剣な目でユウキの言葉を聞いていた。聞き終えたミサキの口の端が微弱にもごもごと動いたが、ミサキは何も言わず、意味もなく店内を見渡した。
ユウキは続けた。「全部言ってくれていい。何がダメだったのか。それについて俺は真剣に反省する。本気だ」
ミサキは困ったような考えているような表情でやや俯き、縮こまってコーヒーを飲んだ。急いで吸い込んだのか、咳き込んだ。
「口ばっかり。反省しないくせに。どうせ何がダメなのか分かんないでしょ。前にも言ったよね、その服似合わないから着ないでって。なんでわかんないの?そーゆーの学習能力無いっていうんだよ」そう言いながらも、ミサキは喫茶店に入ってから初めて見せる、微笑みに近い表情をしていた。緊張がほどけたような、そんな顔。
いつの間にかミサキもコーヒーを飲み終えていた。
「なにか追加で注文する?奢るよ」ユウキが尋ねた。
「じゃあ、シロノワール。ホイップ」
喫茶店を出ると、外はまだ蒸し暑さが残っていた。ミサキが着てきたお気に入りの服も汗で湿っている。
ユウキは振り返って喫茶店の外観を眺めた。二人の危機的状況に対して、ユウキはなにか特別なことをしただろうか。何もしていない。じゃあこの喫茶店に入ったことで勝手に関係は回復したのだろうか。そういうわけでもない。
「今日、俺と仲直りするだろうな、って思った?」
「うん、思った」ミサキは堂々と嘘をついた。
小説「セミノーマル・クライシス」 藤想 @fujisou
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