小説「確定している三つの未来」
藤想
確定している三つの未来
クリアファイルが無い会社なんかあり得ない。何処かにあるはずだ。
しかし何処にも空いているクリアファイルは無いと総務の藤原さんは言う。
馬鹿な話だ。会社内、何処を探しても現在未使用のクリアファイルは無いのだそうだ。おいおいだったら要らない書類に使ってるやつを中身捨てて用意したら良いじゃないか。でもダメらしい。どうやらこの問題は物理的に空きのクリアファイルが存在しないという意味ではなく、現在この会社は『空いているクリアファイルは無い』ということになっているらしい。会社とはよく分からないもので、実態とは異なる仮想的な袋小路に陥ることがある。
「もういい、分かりました。私がクリアファイルをローソンで買ってきますから、」と言いかけた私を遮り「それは助かります!後で精算しますからレシートを持ち帰ってください」と早口で藤原さんが言う。この人は人が喋っている時に話し始める癖がある。
なにが「助かります」だ。だがこれで業務はようやく前に進むので適当に流し、私は上着を持って事務所を出た。兎にも角にもクリアファイルだ。
会社から出て徒歩五分ほど歩き、更に横断歩道を渡って右に進むと、ビルの1階にローソンが埋め込まれている。死角にあるのでこの辺の立地に詳しくない人は発見が難しいと思われる。先々週まではこのビル街にも何処からか蝉の声が聞こえたが、いつの間にかしなくなっていた。
ローソンでクリアファイル10枚セット130円を3セットほど手に取り、レジに持っていくとレジは昼時でもないのに混んでいた。4人ほどレジ待ちに並んでいる。見えないがレジ打ちの店員が研修生なのかもしれない。
クリアファイルを持ちながらボケっと新発売のチョコレートを眺めていると、「ちょっと良いですか」と後ろの人に話しかけられた。
「はい」
見るとスーツを着た三十代くらいの男。
「あなた、国森高広さんですよね」
「え」
ちょっと動揺する。「何故知ってるんですか」
「はい、私、こういう者で」
名刺を後ろから手渡される。名刺を見る前にその渡し方が気になった。
まるでフランクに缶ジュースでも渡すような手付きで、それはビジネスパーソンが社外の人間に自己開示するような渡し方ではないのだ。名刺の常識的な扱い方ではなかった。私は変な汗をかきながら名刺を見た。
死神 田崎ひろみ
「死神て」
「はい、死神です」
「えっと、何ですか?」笑ってるような怒ってるような表情を作りながら私はやや咎め気味に言った。
「私、本当に死神なので死神としか名乗れず、すみません」
「謝らなくてもいいんですが、ちょっと意味が分かんないです」
レジは自分の番になっていたのでさっさとクリアファイルの会計をPayPayで済ませて立ち去った。立ち去ったが、自動ドアの外に田崎がいる。
「ちょっとお話があるんですよ」
気持ち悪いというか不条理というか、とりあえずこいつが本当に人間では無いらしいことを今までの状況の全体像からなんとなく察したので、話を聞くことにした。
「手短にお願いします。何分くらいで終わりますか」
「そうですね、5分掛からないので、ここでお話しします。まず、あなたの未来に……」
本当に田崎が自動ドアの前でいきなり喋り始めたので流石に道路の脇に田崎を誘導した。控え目な態度だが、こいつにとって人間界の常識など本当にどうでもいいことが伝わってきて恐ろしくなる。
「未来についてお話したく……」
「未来」
「これからあなたに三つの出来事が起こります」
今までの田崎の態度からなんとなく察する。
私はもうすぐ死ぬのだ。
「いえ、告げるのはあなたの死ではありません」
「あ、そうなんですね……」
「死神なのに、変なの。と思ったでしょう。まあこういう仕事もあるんですよ」私は終始半笑いで田崎の話を聞いていた。そもそも未来のことについて何を言われようが、未来は変えようが無いんだから聞いても聞かなくても同じことだ。ただただ田崎が気味悪いから仕方なく聞いているだけだ。
「それでじゃあ、何なんですか」
「一つ目は、ペットのワンちゃん。みのるくんが死にます。二つ目は、あなたは今年中に詐欺に遭います。三つ目は、あなたはうんちを踏みます。その臭いは洗っても取れません。」
なるほど、死神故に私にとってどの事実がどれ程ショックなのかとか全然分からないわけだ。恐らく起きる順番に適当に未来を告げているだけなのだろう。しかし……みのるくんが……。そうか……最近具合が良くないとは思っていたが……。
「分かったよ田崎さん。聞きたいんだけど、みのるくんはいつ死んじゃうんだ?」
「明日かも知れないし、来年かも」田崎は無感情極まった声で言う。
「それは無いよ田崎さん。あなた未来が分かるんでしょ?時期くらい教えてくれても……」
「時期は聞いていないので……」心底全てのことがどうでも良さそうに、田崎は喋っていた。例えるなら、もう人生が終わっていて、何に対しても喜びを感じないし、何に対しても責任やストレスを感じない、それに命さえも無い、自らの存在に何の重みも感じていない、そんな空虚さ。
「ただのメッセンジャーってわけか……はい、分かりましたよ。でもなんで未来をいきなり告げに来たんですか。今まで私の人生で一度も姿を現さなかったのに、いきなり」
「あ、そうなんですね。初めてですか。そうですよね、死神って言った時もそんな風でしたもんね。実はね、あなた以外の人たちは結構死神に会ってるんですよ。ちょくちょく。で、時々未来を断片的に知るんです。その死神の言っていることをベースに行動計画を立てている。じゃあ国森さんて、今まで生きてきてすごいハンデを背負ってたんじゃないですか?」
なんだかいきなり信じられない世界の秘密を告げられている気がするが、とりあえず呑み込む。
「そうなのかな……私だけなんですか?この歳まで死神に会ったことが無かったの」
「はい、少し驚きました」田崎は全く驚いた顔をしていない。「では私はこれで……」
「え、ちょっと待ってくれよ」田崎の肩を掴もうとしたが、田崎の姿がビルの輪郭に重なった瞬間に、そのスーツ姿がビルに溶けてしまった。
取り残された私は、クリアファイルを手に持ったまま、ぼーっと立っていた。風が吹いて、髪を撫でた。
私の前を親子が通りかかった。死神……?私以外の人間は皆、時々死神に会っている?何歳の頃から?誰でも、当たり前なのか?今日起きたことを、どう受け止めればいいのか。まだ判断できない。事務所に引き返しながら、考える。
それぞれの死神が、どんな未来を告げて……皆はそれを、どう受け止めて……今の私のように……生きて……。
みのるくんが死ぬ時期は結局不明。結局、何も告げられていないのと同じだと気付いた。
その夜、帰宅途中にうんこを踏んだ。臭いは取れなかったので、靴は捨てた。
小説「確定している三つの未来」 藤想 @fujisou
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