第12話 頑張って、セト


僕の村にはある伝統儀式があった。


それは『転生の儀式』と呼ばれた。

精霊の最上位体である『大精霊セレスサクス』を、一人の人間に憑依させるという儀式。

『大精霊セレスサクス』がなんなのかは聞かれても分からない。

探ることは村の禁忌となっている。

掟で、セレスサクスについては一部のものしか知らされない。


僕のような平凡村人Aは『大精霊セレスサクス』という上位存在がいてその『セレスサクス』は通常の精霊とは違い、巫女と呼ばれる人の中に宿り暮らすという。そんなイコルの村人なら誰でも知っていることしかしらない。


最近、現代の巫女であった老婆が危篤状態になり、村の中で次の巫女の選定が始まった。


選ばれたのは妹のソフィアだった。


ソフィアは僕とは違って、生まれた瞬間からその身に膨大な魔力を宿していた。

両親や村の人間はソフィアを古代のソフィア・ソフィールの生まれ変わりだと信じて同じ名前を付けた。


だからソフィアが栄えある巫女の座に就くのは予め決められていたことだった。


僕も双子の妹が村の中で認められたということに誇らしい気持ちにもなったし、

ソフィアもこれからの巫女として責任と覚悟持っているようだった。

僕はそんなソフィアを応援していた。

まぁ、そうは言っても巫女が具体的に何をするのかとかは分からないんだけど。

前の巫女の老婆は150歳を超えてたから常に寝たきりだったし、まあけど、ソフィアならなんでも上手くやるだろう。

アイツは僕と違って天才なのだから。


だから一つ気になったことがあるとしたら、

儀式の日の前日のことだ。

母が泣いていた。

滅多に泣かない母が。

夜中に一人隠れて泣いていた、何かに謝っていた。

それだけが唯一、不安だった。

怖かった。


それでも予定通り、儀式の日がやってくる。

その日は晴天。

『転生の儀式』を行う転生祭りの日、

村の平場には屋台が並び、人が遊び、笑い、笑顔を撒き散らす。

そんなめでたい日。

手を叩いて素晴らしいといえる日。みんなが新しい巫女の誕生に期待と興奮で胸を膨らませていたそんな日。


まだ日が上る明るい時間帯から僕とエリサは2人で屋台を回っていた。

140年ぶりだという転生祭は店の方もだいぶ気合が入っていて、弓矢射的や輪投げ、精霊決闘など遊びも景品もそりゃ豪華だった。

もちろんご飯も。

あの時、エリサと食べた鮎の串焼きは美味しかった。

僕らはこれから始まる転生の儀式のことすら忘れ遊び続けた。


夕暮れにさしかかり、そろそろ遊び疲れてきたなと思ってきたところでエリサが

「あっ、ソフィアちゃんじゃない!あれ?」

そう指を指した。


そこには父を含めた数人の大人に囲まれたソフィアが歩いてた。

白をベースとした特殊な礼装を纏い、珍しく化粧をしたソフィア。ゴクリと隣のエリサの唾を飲む音が聞こえるほどに美しい姿だった。


「…綺麗だね、ソフィアちゃん」


胸の前に手を結びぼーっとソフィアの姿を眺めていたエリサ。

ソフィアとエリサの仲は悪いわけじゃないと思う。

たいして広かもない村だお互い顔見知りだろうし僕経由で遊んだこともあるから、多分友達だろう。…であってほしいという願望。


それなのにエリサがすこしソフィアに対して他人行儀なのは見当がつく、

ソフィアは次代の巫女ということで、村の中でも特別な扱いを受けていた。遊ぶ時間なんてほとんどない、多忙な毎日を過ごしていた。

だから、友達だけど、少し関係が薄い。

よそよそしいのだろう。


「…ごめん、エリサ。

ちょっとソフィアのとこ行ってくる」


僕はエリサに断る。

どうしても今、ここでソフィアと話したかった。

昨日のことを思い出して。

母の泣き姿を思い出して、嫌な予感がした。こんなにも綺麗なソフィアを見て喜びよりも不安が勝ってしまった。


「あ、うん…全然いいよ!」


僕はソフィアの元に走り、


「ソフィア!!」


そのままソフィアの名を呼んだ。


「お兄ちゃん?」


数人の大人に囲まれたソフィアは意外そうな表情で僕を見た。

僕はその大人達に強く睨まれるが、気にせずソフィアに近づいた。


「一緒に遊ばないか?

屋台の飯はちょー美味しいし!

ゲームもたくさんあってすげぇ楽しんだ…!

ソフィアもやろう!絶対に楽しい!決まってる!」


ソフィアは一瞬はっと笑顔を見せたものの、横に立つ父の横顔を見てすぐに諦めたように視線を落とした。


「ごめんなさい…おに…」


「行ってもいいよ、ソフィア」


父が躊躇うソフィアの背中を押した。


「儀式までは1時間ほど時間がある。

それまでに、戻ってくること、いいね?」


「けど…パパ。それじゃ他の人に迷惑が…」


「かけてもいいんだ、今日くらいかけてもいいんだよ、ソフィア」


ナイスマイファザー。

他の取り巻きは良い顔はしなかったが、父だけは僕の味方なようだった。

せっかく父が作ってくれた流れだ。それに続くようにソフィアの腕を掴んで走る。


「ほら!行こうソフィア!」


「…あ、はいっ!」


ソフィアは何かが吹っ切れたのだろう。

僕と一緒に駆け出した。


「エリサ…ってことでソフィアも追加ね」


僕はエリサの元にソフィアを連れて行った。

合流し、人差し指を一本立てる。

やっぱり遊びごとには人数がいた方がいいってそう思ったから。


「あ、あはは。

すごいね…セト、脱帽だよ。

流石、あそこから連れてこれちゃうんだ」


「えっと、

はい、あの、連れてこられちゃいました、はは」


うん。

お互い仲良くやれてそうだ。

やっぱ二人は友達なんだな。

女同士だしな、うんうん、仲がいいのが一番。


「よし、一時間しか時間ないし、急いで遊ぼう!

今までのもう一周!」


僕ら3人は遊んだ。

時間がなかったからすごい急ピッチだったけど、それでも精一杯楽しんだ。

途中、なにかの都合があると言ってエリサは抜けてしまったが、まだ時間はあったので僕とソフィアはそのまま遊び続けた。


そして約束の1時間が経過しようとしていた。


「お兄ちゃん、そろそろ…時間」


ソフィアは立ち止まった。

そこは都合よく、一目につかない場所。

木々の影裏。


「ああ、もう時間か…」


「うん…」


すこし名残惜しそうなソフィア。

僕も同様だった。


「なぁ、ソフィア、このまま逃げちゃおうか?」


「…え?」


戸惑うソフィアの声。


「どっか遠くの国まで走って二人で暮らすんだ。

…僕にはさ、そのよく分かんないけど…。

でも人間って嫌なことから逃げてもいいと思うんだ、それが本当に幸せになれる道なら…意地ばかり張るより絶対いい」


「いっ、嫌じゃないよ!

巫女になることは嫌じゃない!」


「はは!なんだよ、今自分から言ったな!

やっぱ巫女になりたくないんじゃないか!」


「あっ!」


ソフィアは失言したと口を抑えた。


「…それは、無理だよ」


「無理じゃない。

今、ソフィアが一言。

助けてって言ってくれるだけでいい。

そしたら僕が今すぐここからお前を連れ出してやる。

あとのことは全部お兄ちゃんに任せればいいんだ」


「…」


ソフィアは黙って涙を流しただけだった。

それは昨日見た母と同じ種類の涙。

つらりと頬を伝う声のない涙。

短くはないその間、ソフィアの心中では様々な思い、葛藤があったのだとは思う。

ただ最後、

ソフィアは自ら口に出して決断した。


「…ありがとう。

でも、本当に大丈夫…だから。

私は巫女になる、なりたいの。望んでる」


「本当にそれでいいんだな?」


「うん。

それにね私、お兄ちゃんが思うほど弱くない。

守られてばかりじゃいられない。

私にだって矜持はあるんだよ。お兄ちゃん。

だから…ね、えっと…これ以上、この話をするのは禁止!禁止だから!

怒るからね!」


「ふっ、そっか、それも、そうだな。

分かったよ、

ごめん、考えすぎだった」


ソフィアが嘘をついているってことは見抜いていた。

巫女になることが嫌なのは間違いないだろう。

だけど、その上で、ソフィアが決めたのならこれ以上僕に出来ることはそれを邪魔することではなく、尊重することだけだ。


「もう!まったく!本当だよ!

あーあー!シスコンな兄を持つと妹は大変だなぁー!

心配性で、アレコレ口出してあー大変大変!」


ちょっと嬉しそうに言いながらソフィアは僕から軽いステップで離れて行った。


「ってことでじゃあね!お兄ちゃん!さんきゅー!楽しかったぜ!!ベイビー!」


「おう!頑張れよ!」


「りょーーーかいっ!」



ーーー


この転生祭の大きな種目。

転生の儀式がたった今始まろうとしていた。


村の広場中心部。

皆の注目が集まるその儀礼台には

死装束の老婆とソフィアの二人だけがいた。


意識なく横たわる老婆と、立つソフィア。

受け渡す側、受け継ぐ側両者がそこに揃う。

ソフィアは老婆の心臓部に手を触れた。


瞬間。

高密度の魔力を含んだ光の柱が老婆とソフィアの二人を包み込む。

あまりの眩しさに目を細めていれば次に衝撃に襲われた。

立つことも難しい、風と音の衝撃波。

近くにいた大抵の人が吹き飛ばされた。

僕も同じく飛ばされたが、たまたま近くの木枝に捕まれ、すぐに体制を立て直すことができた。

光の濃度が時間と共に少しずつ薄れ、その中の物体が映り出す。


ここに、大精霊セレスサクスが降臨した。


セレスサクスは女形の精霊だった。

山のように大きな身体を持ち、多数の眼と複数の顔を有する精霊。

数え切れないほどの腕を持ち、輝くその黒髪は、悪魔的なまでの美しさを放つ。


やはりそうだ。

村の話ではセレスサクスは神聖なものとされていた。それこそ神と同じよう敬われていた。

僕も幼い頃からずっとそう聞かされていたからそれを信じていた。


…しかし実際出てきたアレはなんだ?


禍禍しさばかりだ。

アレからは悪意しか感じない。

いいのか?

アレをソフィアの中に入れてしまってもいいのか?


セレスサクスはソフィアの身体を宙に浮かせた。

宙に浮く間もソフィアは両手を胸に当て一心に祈っていた。


村は緊張に静まり返る。


大精霊セレスサクスの姿は身体の細部から光の粒に代わり、その粒が宙のソフィアにまとわりつき光り輝くと、入り込む。

口から、鼻から、身体全ての穴から、大精霊セレスサクスがソフィアの中に入り込む。

やがて、全ての光が消え失せ。

セレスサクスは消滅した。ソフィアの身体は支えを無くしたように空中から降りおちる。

それを支えたのは父だった。


「ここに転生の儀式を終了とする!!」


父がソフィアを抱いたまま叫んだ。

そしてそのまま意識のないソフィアをどこかへ連れ去ってしまった。


終わった。

案外と、想像よりもあっけなく儀式が終わってしまった。それは僕以外の村人も感じたようで、ただ広場には不自然な静寂が続いていた。

妹が巫女になったことに僕は誇らしさというよりは不安ばかりを感じた。


生まれた時から大精霊セレスサクスを宿すのは誇りあることだと教えられてきた、僕もそれを疑っていなかった。

けど、なんだろうこの感覚は。

胸がざわめくこの感触は。

きっとこれから悪いことが起こる。

そんな予感が現実になるのは、遠くはなかった。


突然、遠くの方から女性の甲高い悲鳴が聞こえた。

それは村の入り口の方角。悲鳴を聞いた数人の大人が直ぐに駆け向かい、僕もそれに続くように駆け出した。

野次馬しに行ったわけじゃない。

…いや、野次馬しに行った。

不安で仕方なかったから、なにか行動でかき消したかった。

危ないし邪魔だから来るなと言われても無視してしかがみつき着いて行った。


村の入り口に大人達と共に着くと、そこには信じられない光景が広がっていた。

一面が血の海とかしていた。

ある一人の男が村人を切り殺していた。

黒い仮面の中に潜む赤い瞳と黒い剣を持つ男だ。

家族を守ろうとする父親は腹を一刀両断にされ、母親は逃げる途中で後頭部を斬られ、即死した。

母の死骸に纏わりつく幼い子供たちも容赦なく斬り伏せられ、死体の山がずらりと出来上がっていた。


あまりの残酷な光景に立ちすくんでいると、僕より大人達の適応は早かった。

大人達はその男に攻撃を仕掛けた。

30を超える精霊達がその仮面の男に向かい襲うが、相手にならない。

一体ずつ確実に、殺されていく。

こちらの攻撃は当たることはなく、男の刃だけが肉を割く。


「なんだ…あいつ…なんなんだよ」


無慈悲に人が殺されていた。

たくさんの人と精霊が目の前で殺されていた。

僕は少し遠くの場所からそれを眺めることしかできなかった。


恐怖で足が動かなかった。


そこには、なぜかエリサの姿もあった。

エリサは大人達の中に紛れ男と対峙していた。

なぜ、エリサがそこにいるのかは分からない。


けど、事実としてエリサは戦っていた。


「まてよ、まて。エリサ、ダメだ、殺される…そこにいちゃダメだ、戦うな…」


声がエリサに届くはずもない距離に僕はいた。

エリサの目には恐怖と決意が混じり合っていた。

男に向かった大人全てが死に、意を決して短剣を握り締め、男に立ち向かっていったが、反撃は凄まじかった。


男の剣がエリサの腹部を深々と突き刺した。

エリサの口からは血が噴き出し、膝から崩れ落ちた。しかし、エリサは戦うことを諦めなかった。

震える手で短剣を逆手に持ち直し、再び立ち上がろうとした。男はその様子を嘲笑うかのように見下ろし、エリサの髪を掴み、無理やり立ち上がらせた。


僕はその光景を目の当たりにしながらも震えていた。

何もできない自分に苛立ちを感じる。

けどこの足は動かない、ブルブルと震え立ちすくむことしかできない。

男はエリサの体を持ち上げ、剣を振りかざした。


「…や、やめろ」


剣がエリサの腕を切り落とした。

彼女の痛烈な悲鳴が響き渡り、血が飛び散った。

エリサは倒れ込むように地面に崩れ落ち、激しい痛みと失血で血を転がった。


「…もう、やめてくれ」


男は止まらなかった。

何が楽しいのだろう。

人を殺して何が楽しいのだろう。

人を痛ぶって、何がそんなに楽しいんだろう。


男はそのままエリサのもう一方の腕も切り落とした。

エリサには抵抗する力も残っていなかった。エリサの体は血まみれで、息も絶え絶えだった。

エリサは僕の存在に気がついていたのだろう。

僕の方向へ向かって口を動かした。


『セト…逃げて…』


瞬間、剣がエリサの首を斬り落とした。

頭が不自然な角度で傾き、身体は力を失って地面に崩れ落ちる。

転がる頭蓋、

エリサの目はもう僕を見てはいなかった。


僕はその場に立ち尽くし、エリサの無残な死を見つめるしかなかった。


「あ。ああ…」


死んだ。

エリサが死んだ。

殺された。


「ああああああああああああああああああああああああ!!!!」


その時の僕はおかしくなっていたのだろう。

保身なんて考えられずに走っていた。

エリサを殺したあの男を殺さなきゃいけない、それだけの憎しみで動いていた。


「ゲイリ(我)・ゴウ(この場所)・ガルス(魔物)・ザン(召喚する)・ドュウス(二体)!!!」


絶望の中、僕は走りながら精霊を召喚した。

精霊の二体同時召喚。

密かに練習していたものだった。

エリサに見せ、驚いて貰おうと思ってたものだった。


「こい!青蛇せいじゃ!!丸狸まるだぬき!!」


蛇の精霊、青蛇せいじゃと狸の精霊、丸狸を召喚した。

青蛇は召喚されるや否や状況を把握したようでいち早く男に襲いかかった。

が、しかし、男はその動きを見切っていた。

そこらで拾った剣を使い青蛇の身体を貫き地面に釘打ちする。それでも青蛇は諦めずに何度も攻撃を仕掛けた。

青蛇の牙には協力な麻痺性の毒が付着してある。

だから少しでもかすり傷を付けられれば勝てるとそんな期待から、無謀の特攻を続けた。

しかし、男の剣は速く、鋭く、すべての攻撃を防いでいた。


丸狸は召喚された瞬間に、煙と共に男の視界から姿を消した。青蛇とのタイミングをはかり男の背後からその巨体を丸め回転攻撃を仕掛け、男の一瞬の隙を作り出した。


青蛇がその隙をついて再び男に襲いかかる。

2体の精霊の後に続いて僕も男の眼前に辿り着く。


殺す、この男は殺さなくてはならない。

ここで今、殺す。

必ず殺す。


男の剣は2体の精霊たちの攻撃を次々と防いでいた。

やがて青蛇は胴を切断、丸狸も頭がかち割れる重症を負っていた。

「セト、逃げろ…」


その声はかすれ、希望を失っていた。


「アイツには勝てねえ」


丸狸がそう言い終わる前に、狸の首は地面についていた。青蛇の方も、すでに3枚におろされ死んでいた。


「…あ」


男の剣の先が僕に向いた。


「巫女はどこだ?」


巫女…。

男が唯一放った言葉がそれだった。

けど、その一言で男の狙いが分かった。

ソフィアだ。

この男はソフィアを狙っている。

理由は分からないけど、この男はソフィアを狙ってる。


「いわんか」


殺されるとそう思った。

男の刃が僕に辿り着く寸前。

僕を庇ったのは新手の精霊だった。


「紅竜!!」


赤い竜の上に乗っていたのは父だった。

父の操る竜の爪が男の剣を受け止める。


「ほう」


男は少し興味深げに竜を眺めた。

その間に父の仲間である村の援軍が父の後に駆けつける。

男は完全に包囲されていた。

父は一旦戦場を仲間に任せ竜から降り僕を抱きしめた、


「父さん…、あ…ああ。

みんなが、みんなアイツに殺された…。

エリサが、エリサが、

僕の目の前で、し、死んだ、殺された。何もできなかった、動けなかった、僕のせいだ、僕が…」


「…セト、あの男は父さん達に任せなさい」


「で、でも、アイツは、強くて…。

し…死んじゃうよ父さん」


「大丈夫、父さんの方が強い。

父さんは死なないさ」


父に任せる。

それはつまり逃げろということ。

殺されたエリサも僕に逃げろと言った。

精霊達も逃げろと言った。

そして父も僕にそう言っている。


「な、なんで、父さんは死なないんじゃないの?

アイツを必ず殺してくれるんじゃないの?」


「何事にも必ずはないんだ」


「いっ、嫌だ!嫌だよ!じゃあ逃げたくない!

僕も戦う!父さんと一緒に戦う!

エリサの仇を取らなきゃ、アイツを殺さなきゃ!僕だって戦える!」


「セトッ!!」


父の恫喝。

普段は温厚な父がこんなに大きな声を出すのは初めてだった。

そして父はすぐにいつもの優しい声色に戻った。


「セトには一つ仕事を任せたい」


「仕事…」


「そう、大切な仕事だ。

ソフィアを連れて逃げなさい」


父は男の狙いに気がついているようだった。

ソフィアを連れて逃げろと一点を指差した。


「…ソフィアまで殺されたいか。

いいか、お前がエリサの仇を伐ちたい気持ちはよく分かる。分かるがそれを堪えろ。

今は生きてる人間のことを一番に考えろ」


「…生きてる人間を…かんがえる」


「そうだ。

死んだ人間はどうしようもないが、生きてる人間なら助けられる」


…ソフィア。

そうだ、ソフィアがまだ生きてる。


嫌だった。

エリサの殺され方がフラッシュバック。

頭の中にぐるぐると回る。

あんな無惨な殺され方をソフィアにまでされてたまるか。

僕は走った。

ソフィアのいる方角に向けて走った。


「逃すと思うか?」


「悪いが、お前の相手は僕らだよ」


背中ごしに父と男の声が聞こえる。

竜爪と剣がぶつかり合う音が聞こえる。


村はもはや混乱の渦だった。

誰もが逃げようとするか、戦おうとするかで、統率なんて取れてない。

僕はそんな中でも妹も見つけ出すために走った。

ソフィアの場所は恐らく家だろう。

父が指を向けた方向が家だった。


家に帰れば、そこには母が座っていた。


母は昔から足が悪い人だった。

だから椅子の上に座って僕を待っていた。


「母さん!!

ソフィアは!ソフィアを知らない!?」


「セト…」


母は冷静だった。

冷静にこの状況を理解していた。


「ソフィアは一足先に逃したわ」


「逃した?」


「ええ、実はこの家には秘密の地下道があるのよ」


ある一点を示す母。

そこには地面上の開口部。

地下へと続く隠された地下扉があった。

家にそんな場所があるだなんて知らなかった、だから秘密の地下道なのだろうけど。


「あそこから村の外へと繋がってるの、ほら、セトも早く逃げて。

ソフィア一人だと道に迷ってしまうわ」


「…そ、そっか。ソフィアはもう逃げたんだね。

よかった、じゃあ母さんも行こう。

母さんは足が悪いから、僕が担いで行くよ」


「そうね、ありがとう。

でも大丈夫よ。母さん一人で入れるわ。

まずはセトから…ね?」


母は僕の顔を見て優しく微笑んだ。

母さんは嘘をつくとき必ず笑う人だった、僕もそれを分かっていた、分かっていた筈だったのに騙された。


「そ、そうなんだ。

うん、分かった、でも、必ず来てよ。

絶対に一緒に逃げよう」


「ええ、必ず二人と一緒に逃げるわ」


僕は母から渡されたランタンを腰にかけ、地下道の梯子を降っていく。

地面に降りて気がついた。

梯子の近くに、ソフィアが眠っていた。

柔らかな羽毛に包まれ、眠っていた。


「え?」


ソフィアは逃げたと、母からはそう聞いていた。

僕もそれを信じていた。


ドサリと地上から何かが降ってきた。

母が落としたそれは布袋に包まれた一週間分の食料だった。


「な、なにをしてるの?母さん」


「ごめんね、セト。

…ソフィアをどうか、お願いね」


バタンと天井は閉じた。

僕は梯子を駆け上がり、

ダンダンと扉を叩くけど、うんともすんとも言わない。

上から何かに押さえつけられているようだった。


「まさか、そんな…」


母の話だとここは外に通じる地下道と言うことだった。けどどうだろう、明らかに狭いこの部屋に抜け道なんか存在しなかった。

僕とソフィアはこの地下に閉じ込められたのだと気がついた。


「どうして…」


そんなことは、

分かってる、母は僕らを隠したのだ。

僕とソフィアをあの男から隠すために、わざわざ僕に嘘をついて…。


「なんで!

なんでだよ…!なんで…。

母さん…なんでなんだよ…」


涙と嗚咽。

絶望と怒り。

ぐちゃぐちゃの感情を抱えたまま、

丸一日が経過した。

まだ、僕らは地下にいた。

もう鎌鼬を呼び出せる。

鎌鼬の力ならここから簡単に脱出できるだろう。

けどしなかったのは、諦めていたから。

丸一日経過してもまだ扉が開かないということは、つまり地上の人間は全滅したということ。


そんな分かりきった絶望を確認するのが嫌だった。

だから閉じこもっていた。


「お…にいちゃん…?」


ついにソフィアが起きた。


「え?暗っ…え?ここどこ…?」


ソフィアは何も知らなかった。

当たり前だ、ずっと寝てたんだから。

あの地獄の中で一人だけお気楽に寝てたんだから。


「お兄ちゃん…なんで、泣いてるの?」


「…」


「なにかあったの…?」


僕はソフィアの質問に答えなかった。

答える気もさらさらなかった。


「ねぇ、お兄ちゃん!

なにかあったの!?ねぇ!

ねえってば!!」


僕の体をしつこく譲るソフィア。


「黙ってろよッ!!」


僕はソフィアを強く振り払った。

ソフィアの身体は軽くて、簡単に飛ばされて尻餅をついた。


「お、お兄ちゃん…?」


ソフィアはひどく困惑していた。

僕がソフィアに強い言葉を使ったのも暴力を振るったのはこれが初めてだったから。


「なにも知らないなら…黙ってろよ…」


「黙ってろって…。

な、なんで、そんな酷いこと言うの…?」


「分からねぇか!?その汚え口を閉じろってんだよ!!」


ソフィアの目尻には涙が溜まっていた。

それが僕の苛立ちを加速させた。


「なんだよ!?

泣けばいいのか!!泣けば全て許されるのか!?

被害者ぶりすんなよ!

知らないなら教えてやるよ!いいか!お前のせ…」


そこで口を抑え言葉を無理矢理止めた。


僕は今、何を言おうとした?

そうだ。

お前のせいで村が襲われたと、そう言おうとした。


お前のせいで人が殺された、

エリサが殺されたって言おうとした。


なんだよそれ?

なんでソフィアのせいなんだよ?

たとえ本当にあの男がソフィアを狙って村を襲ったとして、それがなんでソフィアのせいになるんだ?


違うだろ、そんなわけはない。

悪いのは襲ってきたあの男の筈だ。

なんでソフィアに罪を押し付けようとしてんだよ…僕は…。



「ご…ごめんなさい。お兄ちゃん」


僕が泣くなと言ったからソフィアは涙を堪えていた。

涙を堪えて僕に誤った。


泣くなよ。

やめてくれ。

謝らないでくれ、僕が悪いんだ。

全部僕が、逃げた僕が悪いんだ。


「ご、ごめん…ソフィア。

違うんだ、そんなつもりじゃなかった…。

ごめん…。ごめん…ソフィアはなにも悪くない。

僕が悪いんだ…」


「お兄ちゃん…」


ソフィアは僕を抱きしめた。

項垂れ力を抜いた僕を抱きしめた。


「なにか…辛いことがあったの?」


「…辛かった。

今も…辛い。

辛くて苦しくてどうしようもなくて。

ソフィアに当たってしまった。

ソフィアを傷つけてしまった。

ソフィアに逃げてしまった。

全部、僕の心の弱さのせいだ。ごめん」


「…うん、大丈夫、いいよ。…いいんだよ。

全部私のせいにしていいよ」


「ダメだよ、よくない、いいわけない。

ソフィアは大事な妹だ…家族なのに」


「それを言うならお兄ちゃんも大事な兄だよ。

それに、私達は双子だよ?

兄でもあり弟でもあり、

姉でもあり妹でもあるの。

そうでしょ?」


「…産まれた順番は僕の方が少し早い」


「そうだね、でも今は私の方がお姉ちゃんみたい。

泣き虫な弟をあやすお姉ちゃんみたい」


「…ああ、そうかも」


「あ、笑った、やっと笑った」


「…じゃあ…姉ちゃん、聞いてくれ」


僕はソフィアに抱きつく。

今は誰かに無性に甘えたかった。


「…うん。どうしたのセト?」


ソフィアは僕の頭を撫でた、母さんみたいに撫でてくれた。


「みんな死んだんだ」


「…そっか」


ソフィアの声は震えていた、けど、それを表に出そうとせず頑張っていた。

だから僕はその頑張りに答え、全てを話した。

ソフィアに村で起こったことを包み隠さず話した。


「セト…」


「なに?姉ちゃん…」


「もう、お姉ちゃんは無理かもしれない」


「変わる?」


「…うん」


ソフィアは泣いた、僕も泣いた

泣き喚いて、僕らはまた一日を過ごした。

そして次の日、僕らは外に出る決心をした。

 

外に出たら、まず初めに見つけたのは両親の死体だった。

首から上だけがなくなった母の死体。

胴体を切断され上半身だけの父の死体。

死んだ母は何故かソフィアの服を着ていた。

それにどういう理由があったのかは、冷静じゃなかったその時は気づかなかったが、今になれば分かる。

母は、ソフィアの身代わりになったのだ。

ソフィアを演じて殺された。


村の入り口で戦っていた父の遺体が何故そこにいたのかは分からない。けど、胴体から引きずれた血痕が遠くから伸びていた。

多分、父はあそこで負けた。

胴体を切断されても、最後の力でここまではって来たんだ。

母さんと同じ場所で死ぬために。


ソフィアはそんな二人を見て卒倒した。

予想はしていた。だから地面に倒れる前に抱えることが出来た。

僕は倒れたソフィア壁沿いに寝かせ、村を巡った。


村は壊滅していた。

大半の建物は燃やされるか壊されていた。

途中、バラバラにされたエリサの死体も確認した。

エリサだけはその場で埋めた。

他の死体の処理についてを考えながら、ソフィアの元に戻ったら、

人攫いの集団が意識のないソフィアを捉えていた。

ソフィアを人質に取られた僕は何もできなかった。

そうして僕ら二人は奴隷島に売られ流された。



「思い出した?」


エリサは手を腰に回し僕の顔を覗き込む。


「…忘れてたわけじゃない」


「そっか、よかった。

最近楽しそうだったから忘れてるんじゃないかって心配になったの。

ちゃんと私達の仇を取ってね?セト

復讐してね?」


「分かってるよ、

分かってる」


「だよね、私達を犠牲にして逃げたんだから、セトは…」


僕はエリサの頭を掴み上げ、この人形を壊した。

もう夢を見るのもいい加減疲れた、長いんだよ。



ーーー


「起きたな」


まだ日の出ていない夜中に目が覚めたようだった。

今日は脱出作戦の実行日。

なるほど、緊張から来た悪夢だったのだろう。


「はー頭痛いな。

気持ち悪いし、マジで最低な気分だ。

誰だよ夢とか考えたヤツ」


…それにしても、復讐か。

そりゃするけどさ。

するにしても、まずここから出てからだな。

自由になってから。


もし全てが上手くいって脱出して自由になったら、

ソフィアは僕に着いてきてくれるだろうか。

復讐の中に生きる僕についてきてくれるだろうか。

多分、ついてくるだろう。ついてくんなと突き放しても泣きながらついてくる。


けど、それは嫌だな。

復讐なんかに付き合わせたくない。

ソフィアはそういう暴力とか好きじゃないだろうし、殺し合いなんてもってのほかだ。

僕だってソフィアには何のしがらみもなく自由に生きて欲しい。できることなら一生その手を汚さずいて欲しい。


って、そんなこと今考えたって仕方ないか。

明日の作戦を成功させなければその先はないのだから。

先のことは全てが終わってから決めればいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る