第7話 恋は好きでLOVE
セトとイズナが対峙する、円形の観客席が何層も重なった巨大なその闘技場には一際目立つ貴賓室が存在した。
そこにいたイシェトは黄金の椅子に座りながら眼下の光景を眺める。
視線は白髪の少年セトに向いていた。
グレーディアの名産品であるレッドワインを口に含み、イシェトの口は微かな微笑みを浮かべていた。
唇についたワインを取り払う舌なめずりを見せ、イシェトは貴賓室にいる、ある男に声をかける。
「さてカレン…お前はこの勝負、
どちらに転ぶと思うさね?」
貴賓室に立ち並ぶ4人の男女、その中の1人、
イシェトに声をかけられたカレンはイシェトの視界に入らない部屋の隅でジッと2人の戦いが始まるのを待っていた。
同じ房の友人。
それも歳は離れているが親友とも言える男の戦い振りをこの目でしっかりと見届けるために。
あまりに夢中になっていたため、イシェトの声が全く耳に入らない。
「…むぅ」
イシェトはカレンに無視されたと思い頬が膨れた。
「か、れ、ん!」
「はっ、はい!
はいはい!
なんすか!?なんですか!イシェト。
あー。…さま?」
「ふん、奴隷の身分でウチのことを無視するなんて生意気さね?」
「いやいや!無視なんてとんでもない!
そんなつもりじゃないんですよ!?
なんか最近耳の調子が悪くて!詰まってたんですかね!?色々と!あは、あはは!」
イシェトだけではなく他の取り巻きにまでジッと睨まれたカレンは頭を掻き、ただ愛想笑いをするしかなかった。
そんなカレンの姿を見たイシェトは再び口にワインを含み考える。
なぜ、自分は遠く離れた島の関係もない奴隷たちを救おうとしているのだろうかと。
ーーー
初めは遊びのようなものだった。
最近グレーディアの貴女の間で流行ってる魔法の羊皮紙による文通。
その魔法の羊皮紙は2枚のセットで成り立っていた、片方に記載した内容がもう片方に瞬時に記載されるという、文通の待つ相手から送り届くのを待機しなきゃいけないという性質を完全になくしたもの。
イシェトにはイマイチ流行りの理由が分からなかった。
友人に勧められても文通なんかして何になるのか疑問でしかなかったし、何度も軽くあしらったものだ。
しかし、あまりに大勢の貴女達に勧められるものでイシェトもそんなに流行っているなら騙されたと思ってやってみるか、とついに始めることにした。
しかし、文通をするにしても自分を知っている人間とやるには少しリスキー。
イシェトは第二王女、今後グレーディアの王位を継ぐ可能性もあったということもあって自分自身のカリスマ性や評価を何よりも大事にしていた。
だからそう、やるとしたら自分を知らない人間がいい。一国の王女としての自分を知らずただのイシェトとして見てくれる人、なにか失言をしたとしても、その場で綺麗さっぱり打ち切れる人。
グレーティアの国内にそんな人間はいないだろう。
なら外なら?
ボトル瓶に込めた手紙を何個か海に投げた。
誰かに届くかなんてイシェトは期待してなかった。
もともと文通なんて興味もなかったことだし、この手紙が誰かに届きもし返事がくるのならそれは少しの奇跡。
たかが、遊びだ。
所詮はままごと。
せいぜい楽しもう。
返事は半年後に突然、届いた。
手元に残った片割れの羊皮紙に文字が浮き出てきたのだ。
常時チェックしていたわけじゃない、時たまに気が向いたら確認するくらい。
だから、たまたまタイミングが重なっただけだった。
手紙の渡った先はどうやら一人の男のようだった。
名はカレンといい16歳の青年。
イシェトは18なので2歳歳下ということになる。
どうやらカレンはとある島で奴隷をしているということだった。
たかだが手紙の事なので、それが全て真実だとは思ってはいないが、
皇女と奴隷の文通。
もし仮に彼の言うことが本当ならばこれは面白いことになるかもしれない。
イシェトはカレンと文通を始めることにした。
自分の素性は隠した、ただの村娘として話を合わせた。
カレンは自分のことを隠すこともなく書き連ねた。
自分がどこで産まれ、何故奴隷になったか、奴隷としてどう生きてるか。
昔からヒーローに憧れてること、将来は人を助け尊敬されるような英雄になりたいってこと。
最近になって班員が怪我で死亡して班が再編されたことも、そこでの班長はしけた顔のおじさんと悟った瞳をした生意気そうな新入りの子供だということ。
どうにも上手くやれる自信がないとカレンは赤裸々に書いていた。カレンからは自分のことも聞かれたが、それっぽい嘘を書いて乗り切った。
自分のことなんかどうでもよかった。
イシェトはただ、カレンを知りたかった。
カレンの生活を聞くのが楽しかった。
常に命を脅かされる環境にいるカレンは温室にばかりいる自分とは違う視点を持っていた。
自分が知らないことばかりを経験していて、それを教えてくれた。
他人にここまで熱中するのは初めてだ。
熱く、馬鹿で一直線。
まるで物語の中にいる主人公のような人間だ、
カレンはそのちっぽけな人生で何を為すのか?
もしくはいつ死ぬのか?
人ごとのストーリーが楽しくて仕方ない。
イシェトは奴隷島という舞台を脳内で構築し、そこでカレンを主人公に置いた。
イシェトとカレンはそうして暫く文通を続けていく。日に日に、イシェトの考えは変化していった。
こんなに良く話すカレンとはどんな顔をしている人間なのだろう。
どんな眼の形をして、どんな髪形なのだろう。
体格は痩せ型?それとも肥満?
身長はいくつほどなのだろう?
知りたかった。
もっと、もっと、カレンの事を知りたかった。
だから会いたかった、会っていつものように話してみたかった。
でもそれが簡単に出来ないことをイシェトは知っている。
カレンは奴隷だ、不自由な奴隷。
ならどうしようかと。
考えた末。
イシェトは少し本気で取り組むことにした。
まずは自分のもつ瞬間移動の魔法を昇華させ。
異界結界を作り出した。
その後自分以外が結界内に侵入することができるよう魔法の鍵を2本ほど作成した。
カレンは奴隷だ。自由な時間は少ない。
だから結界内くらいではカレンも沢山時間を使えるようにと結界内と外との時間もズラした。
次に配下にカレンのいるという、奴隷島を調べさせカレンの位置を特定した。
これでひとまずの準備は整った。
動物に変身できる配下に鍵をカレンに渡すよう頼んだ。
配下は鳥に姿を変えて海を越え、猫に姿をかえて島の中を走り、鼠に姿を変えて奴隷房に入り込んだ。
そして21班の奴隷房にいるカレンに鍵とその使い方を届ける。
カレンは驚きながらもそれを受け取った。
そしてイシェトとカレンは結界の中で初めて出会ったのだ。
そこでのイシェトはもう自分自身を偽ることはなかった。
ありのままの自分、グレーディアの皇女、イシェト・ザビ・グレーディアとして対面した。
カレンはイシェトの想像より少し男前だった。
顔全体の均整が取れていて頑丈な肩幅、骨格と鋭い目つき、瞳の奥は燃え盛る焔のように輝いている。その目はとうてい見窄らしい奴隷の格好の男がしていい目じゃない。
それは人を救う英雄たる王の瞳だった。
惚れた。
イシェトは見惚れてしまった。
その目を見て恋に落ちてしまった。
カレンのことを好きになってしまった。
そんな予感はしていたのだ。
自分でも薄々気がついていた。
だから会わない方がいい、奴隷と皇女の間でそれは許されないことだ。
でも、どうしてだろう。
その眼つき表情仕草を見ただけでそんな考えが取るに足らない些細なことに変わる。
好きだ。
彼が好きだ。
とにかく好きだ。
無性に好きだ。
好きだ好きだ好きだ。
好きだ。
叶うことならこのまま触れ合いたい。
溶け合いたい。
愛されたい。
この気持ちを伝えたい。
「力を貸して下さい」
イシェトはハッとする。
ピンク色に染まった自分の世界に入り込んでいて前が見えてなかった。気がつけば目の前で自分に向け頭を垂れたカレンがいた。
「ど、どうした…さね?」
「イシェト」
ドキリとする、カレンに名前を呼ばれたことに心が踊る。だけどこれを顔に出して悟られてはいけないと扇で口元を隠した。
「…貴方が、どんな人間なのかは知らない。
けど、多分、嘘なんだろ?
貴方のことは、手紙の事は全部じゃないかもしれないけど、嘘だった。
本当の貴方は多分、俺が思う以上にとんでもない人間だってのは分かる」
流石に気づかれていた。
あれこれと手を回したのだ。
一般の村娘にできる範疇はとっくに超している。
「だったら何さね?
嘘をついた事を謝れとでも?」
「違うそうじゃない。
手を貸して欲しい。
俺は奴隷島の奴隷を助けたい。
全員を解放したい、
イシェト、貴方なら出来るはずだ」
出来ない…とは言えなかった。
そんな目で、
そんなカッコいい事を真っ直ぐ言われたら嫌だなんて言えるわけがない。
でも、それはイシェトであっても難しいことだ。
イシェトはなんとか言葉を捻り出す。
「たっ、対価は…何さね?」
「対価?」
「当たり前さね…あのっ。
かっ、カレンは…カレンは!
ウチに何を返してれる!?
言ってなかったけどウチはグレーディアの第二王女さね!まさか、タダで王女を動かそうとなんて思ってないさね!?」
カレンは暫く考えていた。
その間もずっとカッコよかった。何かを考えている横顔すら好きになった。
「全てを差し上げます」
「…全て?」
「はい、もし島の奴隷が解放されたら。
俺にあげられるもの全てを貴方に差し上げます。
この指の爪から頭の髪の先まで貴方に使え、差し上げます」
全て、カレンの全てを自分のモノにできる。
それはイシェトにとってはこれ以上ない好条件。
しかし奴隷一人の命と一国の王女の貴重な時間及び労力、側から見たらとうてい釣り合わないものだ。
それだけじゃない。
誰かを助けるということはその後の責任も取らなきゃいけないということ。
解放したあとの奴隷達は元生活していた場所に戻るか移民として居場所を彷徨うだろう。
そうなった時に他国に迷惑をかけては国際問題にまで発展しかねない。
カレンに力を貸し、奴隷を解放したら移民は全てグレーティアが受け入れなければならないだろう。しかしそこまでの問題はイシェトの独断で決められる範疇ではない、決めるのは女王である母だ。
母は厳格だ、頷かせるにはなにか納得のいく説明が必要。
それをイシェトは分かっていた。
だからこそ、即決でいいよと言いたかった言葉を一回喉奥に仕舞い込む。
「カレン一人にそこまでの価値はないさね」
「あります」
カレンはイシェトに強く言い切った。
「俺は将来英雄になる。
イシェト、貴方は歴史に名を刻む英雄を所有できるんだ。
それが対価です」
「何も成したことのない奴隷に言われても誰も信用しないさね」
「これから成す!
だから…信じてください。
どうか、俺を信じて欲しい。
…俺にあげられるものは…これ以上ありません」
そんなのはイシェトも分かっている。
別に嫌がらせのために絞り取ろうとしてるわけじゃない。できることなら彼の味方でいたい。
「はぁ、…分かったさね。
その将来の英雄とかっていうたわけの戯言に踊らされてみる」
ため息を吐きながらも折れたのはイシェトだった。
「あ、ありがとう!
イシェト!いやイシェト様!」
「でも、あまり期待をしないで欲しいさね。
ウチに扱えるグレーディアの兵なんかたかが知れてる。
女王に掛け合って見るだけ…それも、今の条件で」
途中、カレンの身だけを救出、買収すればいいのでは?
とそう思ったこともあったイシェトだが、それじゃカレンは多分ついてこないだろう。
身体は買収できたとして、心まではついてこない。
本当に面倒くさい男だ。
一人救うために島の奴隷全て救わなきゃいけないなんて。
でも彼はそんな人間だ。
それでいいのだ。
そうじゃなきゃ好きになんかならなかったのだから。
その後、イシェトは全てのことをグレーディアの女王である母に話した。
海に手紙を流したところから、カレンと文通にするになったこと、そして会ってどうしようないほど好きになったこと。
彼の力になりたいこと。
その為に奴隷を解放したいということ、全てを。
女王はイシェトのその話を聞きひたすら笑った。
とくにカレンの事を気に入ったようだ。その馬鹿さ加減を面白がった。
「いいでしょう」
言葉を続ける女王。
「しかし、条件があります。
一つは国の兵士を使わないこと。
貴方の私兵までに留めなさい。
二つは、貴方が責任を持ち移民の管理をしなさい。
そのための土地も与えましょう。
最後は、
そこまで言ったのならその将来の英雄(笑)に奴隷達を救わせなさい」
「いいんですか…母さん」
破格の条件だ。
まさか通るとは思っていなかったイシェト。
普段の母なら国の利益にならないことなんて許しはしないのに。
「そうですね。
一国の王が私情に流されては王、失格なのかもしれません。
けどね、イシェト。
貴方が私に頼み事をするのは、初めてなのよ?
…少し、嬉しかったの」
「…母さん」
「それに必ずしも無駄ってことでもないわ。
我が国でもそのカルト教団らしき被害報告が徐々に増えてきている。ここらで大々的に釘を刺すって考えでも、いい機会かもね…。
だからね、イシェト。
やると決めたならキッチリとやりきりなさい。
いいわね?」
「はい、もちろんです」
ーーー
イシェトは手元のワイングラスが空になったことを確認する。セトとイズナの戦いはまだ始まりそうにない、何やら剣を渡しあって遊んでいるようだ。
彼らは年齢も近いだろうし、これからのことを考えれば仲良くなることに越したことはない。
しかし、勝負はしてもらわないといけない。
注意でも挟もうかともおもったが、
先に空のワインの方が気になった。
「カレン」
イシェトは彼の名を呼ぶ。
「な、なんですか?」
「ワインを注ぎなさいな」
「ええ?なんで俺?」
普段はここにいる召使いに注がせているワインだが、この時はカレンに注がせたくなった。
理由なんて気まぐれで片付く。
「ウチは誰の為にアレコレ骨を折ってると思うさね?」
「はい!やります!
是非とも喜んで注がせて頂きます!!」
カレンはイシェトの持つグラスにワインを注ぐ。
この瞬間がなにより至福だった。
イシェトは今言葉にできない幸福を感じていた。
「カレン…。
お前はこの2人の勝負、
どちらが勝つと思うさね?」
イシェトはもう一度カレンに同じ質問をする。
イズナとセトの勝負についての質問を。
イズナはイシェト自らが魔法を教え育てた奴隷だ。
カレン達のいる、21班の奴隷房の壁の裏側にある103班奴隷房にイズナは居た。
カレンが結界の鍵を開けた時に、たまたま壁の裏側から繋がり結界に入り込んで来たのがイズナだった。
想定外の侵入者の存在に少し焦ったイシェトだったが、直ぐに気がつく。
イズナには才能があった。
それも自分と同じ属性の魔法の才能が。
イシェトはイズナをこれからの奴隷解放への戦力として扱うために師として人と戦う術を教えた。イズナはイシェトの教え全てを余すことなく吸収して、今や子供ではなく一人の戦士になっている。
この勝負、イシェトはイズナが勝つと確信していた。単純な戦闘の才能なら自分すら超えるだろうイズナを大きく買っていた。
「セトが勝ちますよ」
だからそう言いきるカレンに疑問を持った。
イズナの戦力についてはカレンも知ってることだろうに。
「へぇ…。ウチはイズナが勝つと思う。
あの子の才能は10000人に1人のものさね。
それに加えてウチ自らが誰にも負けないよう頑張って育てた」
「それでも、セトは勝つ」
「ほう、その心は?」
「気持ちだ。
死んでも守りたいものがある人間ってのは…その。
根性が違うんすよ、強いんです」
「ははは!ウケル。
守りたいものも特にないカレンがそれを言うさね?」
「…いや。
あるよ、俺だって守りたいものくらい」
少し照れくさそうに頬をかくカレン。
「それは、奴隷達のことさね?」
「違う。もっと個人的。
俺は…その…。イシェトを守りたい」
イシェトの顔が急速に真っ赤に染まった。
アルコールのせいじゃない。
この目の前の色ボケのせいだ。
「…ああっ!もうっ!バカ!バーカっ!!!」
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