八
「……それは、つまり」
「そなたがいろりを愛すれば愛するほど、いろりはあの可憐な見目を生涯に渡って保つことが可能ということである」
蛇珀は衝撃を受けた後、静かに喜んだ。
例えいろりが深い皺を刻んだ老婆になろうとも愛する自信はあったが、神である自分だけが若く、いろりだけが老ければ彼女がそれを気にするのではと思っていたからだ。
「神も悪いことばかりじゃねえんだな」
「三つ目のよい話は、まさに神でよかったと実感することであるぞ。先ほどの話にちと付随するが、神と人との情交は禁忌とされているだけあり、人間の男とするそれの比ではない。いろりはそなたを知ることでおなごとして至極の悦びを得るであろう」
狐雲が何を言っているかすぐに理解できず、しばし目を丸くして思考を巡らせていた蛇珀だったが、結論に至ると頭から湯気が出そうであった。
「まだそこまで至っておらぬようだな」
「う、うるせえ、いろいろあるんだよ……あっ! 心を読むんじゃねえぞ!!」
取り乱す蛇珀を、狐雲は相変わらず冷静な顔つきで見る。
切長の琥珀色の瞳は、神眼を使わずとも何もかもを見透かしているようであった。
「蛇珀よ」
「こ、今度はなんだ」
「なすがままに……そなたといろりには、それが一番合うておる」
「な、なんだよそれ」
「ふ……まさかそなたと愛を語らう日が来ようとはな」
「気色悪い言い方してんじゃねえよ」
「では、邪魔者はこれにて退散。いろりによろしくな」
様々な意味合いが込められたような、深い笑みを残し、狐雲は姿を消した。
蛇珀はしばし、狐雲が消えた空間を眺めていた。
……なあ、狐雲、お前も……こんなことで悩んだりしたのか?
聞きたかったが聞けなかったこと。
しかし尋ねたところで狐雲は答えは自分で出すからこそ意味があると言い、決して教えてはくれないだろう。
実際、狐雲は蛇珀に何が起きているのかあらかた想像はついていた。
しかしやはり、あえて何も言わなかった。
その葛藤を乗り越え、恋焦がれる女に受け止めてもらえた時の景色がどれほど尊いものかを知っていたからだ――。
狐雲が消えた後、蛇珀はいろりの待つ寝室へ向かった。
柔らかな暖色系の明かりに照らされた栗色の畳の上。蛇珀は胡座をかき、いろりはその後ろで正座をしながら蛇珀の長い髪を櫛でといていた。
いろりは薄い桃色に白い花弁が散りばめられた模様の浴衣に身を包んでいた。
広さは八畳ほどであろうか、二人で眠るには十分な広さのその場所には、いろりの身だしなみを整える道具が入った化粧台と、布団だけがあった。狐雲がお節介にも用意しておいた布団は、もちろん二組など野暮なことはしない。大きなものが一組だけである。
「毎日毎日、面倒じゃねえのか?」
「いいえ、まったく」
「……ならいいけどよ」
蛇珀は照れくさそうにしながらも、いろりにされるがままになっている。
毎晩お風呂上がりに蛇珀の長い髪を梳くのがいろりの日課となっていた。
白銀色の髪は文句なしに美しかったが、黒髪にもまた黒髪にしか出せない艶やかな魅力がある。要するにいろりにとっては蛇珀ならなんでもよいのだ。
「……私もやっぱり、髪を伸ばそうかな」
「どうしてだ? この前切ったばかりだろ?」
独り言のように呟いたいろりに、蛇珀が不思議そうに尋ねる。
いろりは蛇珀と再会できるまで髪は切らない、と願掛けをして伸ばしていたのだが、無事に願いが叶ったため前と同じ肩上の長さまで切っていた。
「巫女になるには、長い髪の方がいいのかなと思いまして……」
「そんなことはねえだろうが……ん? お前、巫女になる気なのか?」
「はい…………だって、蛇珀様が神主なら、私はこの神社の巫女になりたいです」
いろりの蛇珀の髪をとかす手が止まる。
これを聞いた蛇珀はすぐさま「本当か!?」と喜んでしまいたかったが、不意によぎったいろりの母の言葉がそれを止めた。
「……あ、あのよ、いろり、その……気持ちは嬉しいんだけどよ、他にやりたいことがあるなら、俺に遠慮せずにやればいいんだぜ? 学校だって、仕事だって、好きなことを選べばいいんだ」
「本音では?」
「すっげえ巫女になって側にいてほしい――――あ」
天獄が扱いにくいと言っていた蛇神も、いろりの手にかかればこの通りである。
あっさり本心を暴かれた蛇珀は焦り、それを前にしたいろりは声を殺して笑っていた。
「い、いろりぃ! お前なあ!! 人がせっかく……」
「ご、ごめんなさい、蛇珀様があまりに素直で可愛らしくて」
こんなことでそんなに笑うお前の方が可愛いだろ、と言いたいがなかなか言えない蛇珀。
いろりは一頻り笑い終えると、姿勢を正し蛇珀を見据えた。
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