「ええ!? き、気が早いよお母さん!」

「俺はいろりの白無垢が見てえ……」

「いいわねぇ〜〜! 角隠し! 私も見たいわあぁ!! やっぱり神前式かしら!?」

「私たちの場合はある意味毎日神前式ですけどね」

「うまい」

 和やかな空気の中、さゆりの目には光るものがあった。

「……本当に、夢みたいだわ。いろりの目が治ったのと、蛇珀君が来てくれたのと、無関係には思えなくって……まるで蛇珀君が神様みたいね」

 何も知らないはずなのに確信を突くさゆりに、蛇珀といろりは不思議な心地であった。

「蛇珀君、いろりのことをどうぞよろしくお願いします」

「あ、いや! お、俺の方こそ、よろしく頼みます!」

 深々と頭を下げるさゆりに、蛇珀も急いで頭を下げた。

「さ、というわけで、新居はどうするの、あなたたち?」

「俺が神社にいるんで、そこに」

「あら、いいわねぇ、じゃあ早速今夜から行かせてもらいなさい」

「エッ!??」

 このさゆりの発言には、蛇珀の声が裏返った。

「い、いいの? お母さん」

「だってお母さん夜中いないことが多いでしょう? 生活のためとはいえ、年頃の娘を置いて夜勤するのはいつも気がかりだったの。だけど蛇珀君が一緒にいてくれるなら安心だもの。スーツを着ていてもなかなか……頼り甲斐のある身体なのがわかるしね、うふふ」

「ちょ、ちょっとお母さん!? 蛇珀様に触らないでよぉ!」

「やだー、怒られちゃった」

 蛇珀の筋肉を確認するように二の腕を触るさゆりに、プンスカ怒るいろり。

 こうしてあれよあれよと、さゆりの手によりいろりが蛇珀と暮らす支度が進められた。

「い、いいのか、いろり?」

「母も蛇珀様のように思い立ったら即行動の人なので……。私は……早く蛇珀様と一緒に暮らしたかったので、嬉しい、ですが」

 少し俯きがちにほのかに頬を色づかせるいろりに、蛇珀は暴走しそうな自分をどうにか堪える。

「あの……蛇珀様は、大丈夫ですか? まだ早いというなら、後日でも」

「い、いや、俺も……来てほしい」

 本心では、来てほしいに決まっている。

 念願だった誰にも邪魔されない、いろりと二人だけの世界。

 それでも蛇珀がどこか躊躇しているように見えるのは、神から人になった男ならでわの葛藤があったのだ。


 蛇珀の居住となった狐神社内にある屋敷には一通りの家具家電が揃っていた。

 蛇珀たちが以前目を覚ました部屋は一部に過ぎず、横長の平家には他にもいくつか部屋があり、どこも歴史を感じさせる上等な屏風や焼き物などが飾られていた。

 そのためいろりはまさしく身一つで蛇珀の家に入っても問題がなかった。

 ある程度の着替えや女性らしい小物などを蛇珀が運べば、さらに何不自由なく暮らせる空間がそこに出来上がった。

 いろりは舞い上がっていた。無理もない。一時は二度と逢えぬ覚悟も決めた愛しい蛇珀が、主人となり一生側にいてくれるのだから。

 蛇珀も舞い上がってはいた。いた、のだが、微かに杞憂する部分が邪魔をし、手放しに喜べない事実もあった。

 いろりが蛇珀の家に来て二週間が経とうとしていた。

 学校が夏休みのため、いろりはたまに母の元に行ったり友人に会ったりもしたが、やはりほとんどの時間を蛇珀と過ごした。

 日が高いうちに堂々と出かけたり、人前で手を繋ぎ歩いたりした。

 特別遠くに行かなくとも、いろりは蛇珀といつも一緒にいられるだけでよかったため近所の買い物でさえ大層喜んだ。

 そんないろりが愛らしく、蛇珀は人前で触れるのを我慢するのが難しいほどであった。

 蛇珀がいろりの元に帰り二週間というのに、もうどれだけの抱擁と口づけを交わしたのか、とても数えきれなかった。

 そしてその度に蛇珀は、自分の中にいるもう一人の自分と対峙していた。

 いろりを愛おしく想う気持ちは以前と変わらない。いや、むしろ増したであろう。そしてその種類は明らかに変貌した。

 綺麗で、汚したくない、傷つけたくない、ただただ大切にしたい。

 綺麗で、汚したい、一生消えない傷をつけて、自分の色に染め上げたい。

 以前は前者の気持ちが勝っていたのが、日に日に後者の気持ちがそれを飲み込むように膨らんでゆく。

 蛇珀の不安はそこにあった。

 以前、いろりと再会した際、蛇珀は仙界にいることも忘れ、彼女を乱した。あの時胸に印が現れ、下界に移動させられていなければ、自身は止まらなかったのではないか、と。

 蛇珀は一つのことに夢中になると、周りが見えなくなる性分だとようやく自覚した。

 それだけに、いろりの身体に触れ始めたら最後、何も耳に入らなくなり彼女を乱暴に扱ってしまうのではないかと考えていた。

 しかも蛇珀は他の神より神力が強かったため、例え半分力を奪われたところで、本気で襲ってしまえばいろりを壊してしまうのではと悩んでいたのだ。

 もう少し心が落ち着いてから先に進むべきだと諌める自分と、そんなことは気にせず早く抱いてしまえと囁く自分。

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