夜、月明かりを頼りに秘密の逢瀬をする二人。背中まである栗色の柔らかな髪をしたすらりと背の高い女性は、拳豪の逞しい腕に抱きしめられた。

 これを見たいろりは、今、自分は三百年前あった神と人の恋の記録を辿っているのだと理解した。

 さらに場面は変わり、拳豪が竜の寝床にて苦行に挑む姿が映し出される。

 次に、拳豪の想い人である女性が、涙に暮れながら愛しい者を待つ姿……そして、百恋が彼女の側に寄り添う場面へと移り変わる。

あ、百恋様が、私にしたことと、同じ……。

 拳豪の想い人は、百恋の口づけを受け入れてしまった。

 この接吻が、死への合図となることも知らず。

 場面は急に暗く淀んだ空間へと切り替わる。

 彼女が試練に屈した瞬間、拳豪の苦行は無意味となり、竜の寝床から仙界へと強制送還された。

 百恋、拳豪、拳豪の想い人の三人が、天獄の前に集められた。

「なぜ……なぜだっ! 後少しで竜の先端まで辿り着けるところだったのに! なぜ俺を裏切った、美藤みふじ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい、拳豪様……! でも、あなた様は、いつ帰られるかわからないと、死んでも逢えないかもしれないと言われました! ……寂しかったのです、そこで……百恋様が優しくしてくださって……私は人間です、神様のように強くありません……あなた様の記憶も日毎に薄れて……僅かな思い出だけで生きていけるほど女は夢見がちではありませんわ!」

 美藤の話を聞いた拳豪は驚愕した顔つきで百恋を見た。

「百恋……貴様、親友だと思っていたのに……! よくも……よくも美藤を奪い取ってくれたな! 後生、許さぬ――!!」

 拳豪は修羅となり、赤黒い光を噴出させながら百恋に襲いかかる。

 百恋は避けようとしなかった。殺されてもいいと思っていた。

 しかし、拳豪の太い腕が百恋に触れる直前、その巨体は一粒の赤胴色の雫となり失せた。

 それと同時に、美藤は肉体を消され、魂だけの姿となり地獄――竜の寝床行きとなった。

『百恋、見事ないざないであった。主には何か、褒美を授けねばな』

「……いえ、けっこうです」

『何……? 誠によいのだな』

「はい、何も、いりません……」

 天獄の前に跪いた百恋の目尻に、光るものが浮かんだ。

 だが、百恋は天を仰ぎ、それを無きものとした。神の涙は司る域を荒らす。よって重罪とされているためだった。

 映像が終わり、現実に意識を取り戻したいろりの頬には、一筋の涙が伝っていた。

 天獄の命令により親友の愛する女性を陥れ、誤解を解くこともないまま親友を亡くすことになっても、泣くことすら許されない百恋の身代わりのように――。

「……ッご、ごめ、な、さい、わた、し……百恋様の、お気持ちも知らず、なんて、ひどいこと、を……、も……申し訳、ありませんでしたっ……!」

 泣きながら頭を下げるいろりに、百恋は救われたような気持ちになった。

「……ほーんと、いろりちゃんてば目の前にこんなイイ男がいるのに蛇珀のことばっかりなんだもん! ぜーったいに僕の方がイケメンだし料理だってできるし心も広いし女の子が好きなデートの仕方だって熟知してるのにさ〜ぁ!」

「ご、ごごごめんなさっ……」

「……でも、すごく安心したよ。三百年前と同じ結果にならなくて、本当によかった」

 すっかりいつもの調子を取り戻した百恋を見て、いろりはなんと強いお方なのかと尊敬の念を抱いた。

「さ、湿っぽい話はこれでおしまい! もういいですよ、狐雲様」

「うむ。いろり、天獄様の元へ参るぞ。……蛇珀の苦行が終わったのだ。見事、竜の寝床を突破した」

 信じ難いその言葉に、いろりは丸くした目で狐雲を見、そして百恋を見た。

「行ってやってよ。あいつバカだけど、一途さだけは誰にも負けないと思うからさ」

「は……はい……はい……! あ、ありがとうございました、百恋様……!」

「どういたしまして」

 百恋は手をひらひらと振り、いろりと狐雲を見送った。

「……演技の割には、ずいぶん熱を上げていたようでしたねぇ」

 不意に百恋の背後に現れた学法がそんなことを口にした。

 それを聞いた百恋は、やや頬を染めながら少し拗ねたようにそっぽを向いた。

「さあね。……っていうか学法さあ、なんでそんなことが言えるわけ!? 一体何をどこまで知ってるのさ!?」

「年の功、でしょうかねぇ、ほっほ」

「何その意味深な笑い!? 超怖いんですけどぉ!!」

 神、最年長記録更新中の学法は、なんと仙界や神の事情を聞かずともあらかた把握できるようになっていた。

 自身でもいつからそのような状態になったかは明確ではないが、目が開かなくなった時期からこの心の目が開眼したと思われる。これは天獄ですら知らない驚愕の事実であった。

「ここで一つ、神が生まれ変わる、などという夢を見られてみてはいかがでしょう?」

「何それ、そんな話聞いたことないし、根拠もないでしょ」

「何、ただの退屈しのぎ、戯れですよ」

「……そんなこと、信じる意味もないと思うけど」

 百恋は爽やかな面持ちで、真っ直ぐに先を見据えていた。

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