五
「蛇珀様への、お手紙なんです」
「手紙!? それがか?」
「は、はい。毎日書いているうちにすごい量になってしまったので、もう便箋や封筒ではなくノートに書こうかと……日記のような形になってしまいましたが」
「そ、そうか」
「あ! や、やっぱりこういうのは男の人には重いでしょうか!?」
「い、いや! 蛇珀の奴なら喜ぶじゃろ」
「本当ですか? だといいのですが」
相手の気持ちを考え、不安になったり喜んだりする。
いろりの表情の変化を見て、恋とはそういうものなのかと鷹海は漠然と思っていた。
「そういえば、百恋様や学法様は名前に生き物の漢字が入っていませんが、鷹海様たちのように動物の姿になれるのですか?」
「獣の姿を借りて神力を温存できるのは、わしら三角頂だけじゃ。百恋の奴はずるいとのたまっておったぞ」
「あはは、そうでしたか。目に浮かびます」
思っていたより元気そうないろりを前に、鷹海は安堵した。
「……あまり無理をするなよ。わしはそろそろ帰る」
「あ、はい。わざわざお気遣いありがとうございました。お気をつけて」
その言葉を最後に、黒鳥は部屋から消えた。
いろりは鷹海を見送った精一杯の笑顔を崩すと、寂し気に机に並べられた花の図鑑に手を伸ばした。
一枚、二枚、とページを重ねるごとに、いろりの瞳から零れ落ちた雨が図鑑の文字を滲ませる。
『春夏秋冬違う花がたくさん咲く。春や夏は色が鮮やかで綺麗だぜ。秋や冬は地味だが風情があっていい』
『寒い時期にも花が咲くんですか?』
『ああ、秋は紅葉も綺麗だしな。いい場所があるからよ、また連れてってやる』
『私、全然知らなくて……少し勉強した方がいいでしょうか』
『しなくていいっつうの。全部俺が教えてやるから……な?』
同じ部屋で寄り添いながら、蛇珀としていた会話を思い出す。
今まで目が見えなかったいろりに、蛇珀はいろんなことを一から教える喜びを感じていた。
しかしいろりはそんなことは望んでいなかった。
いろりはただ、その瞳に蛇珀さえ映していられれば幸福だったのだ。
どんな絶景も、蛇珀なしには意味を成さなかった。
「……蛇珀様、蛇珀様……どうしてでしょう、離れていればいるほど、あなたへの想いが大きくなって……蛇珀様はもっと辛い目に遭われているのに、こんなことで毎晩泣いてしまう私は……弱くて、未熟で……ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
いろりが鷹海に見せたのは、心配させまいとする作り笑顔であった。
いつも穏やかに安定した笑みを持って高校生活を送っているいろりが、まさか毎日のように涙しているとは百恋ですら想像もつかなかった。
「蛇珀様、蛇珀様……逢いたいです、逢いたいです……早く私を、抱きしめてください……」
蛇珀の数珠に頬を擦り寄せながら、いろりは愛しい面影を追い続けていた。
そしてその日の深夜――
ついに百恋が最後の手段に出る。
泣き疲れたいろりが布団に潜り、眠っていると、そのベッドにのしかかるように現れた一つの影。
不意に身体に圧迫感を覚えたいろりは、身をよじり、目を擦った。
「……ろりちゃん」
誰かが自分を呼んでいるような気がして、いろりは重い瞼をこじ開ける。
ぼやけた視界が次第に鮮明さを増すと、いろりは驚きのあまり弾かれるように上半身を起こした。
薄暗い部屋の中、ベッドに乗り自身を見つめている百恋を見つけたからだ。
「――!? ひゃ、くれん、さま……!?」
「うん。ごめんね、急に驚かせちゃって……実は、いろりちゃんに伝えておきたいことがあって……」
百恋はさも物憂気な表情を作って見せた。
「……実は、蛇珀が倒れたんだ。竜の寝床で、力尽きたんだよ」
瞬間、いろりの頭は真っ白になった。
「狐雲様の話を聞いちゃってね、健気に蛇珀を待ってるいろりちゃんを見てると辛くて、どうしても伝えなくちゃと思って……こうして夜中に来たんだ」
無論、真っ赤な嘘である。
これが百恋の、最後の罠であった。
「最初はなんとなく心配で来ただけなのに、気づけば僕は……君が好きになってしまったんだ。恋を司る神の僕なら、蛇珀の時のような試練はない。もっと穏やかに過ごせる。もう、帰ってこない奴のことは忘れて……」
百恋の毒を持った美しい花のような、深い深い紫の瞳が妖しく光る。
「僕じゃ……ダメ?」
果たしてこの時の百恋は、本当に演技……だったのだろうか?
徐々に近づく唇。
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