三
「ご、ごめんね! 事情もよく知らないのに、勝手なこと言って」
「こんな可愛いいろりを待たせるなんて! って腹立つ気持ちがあってさ。でも、いろりの好きな人を悪く言ったみたいで、ごめん!」
「……ううん、二人の言ってることもわかるから。ありがとうね」
弱々しく笑ういろりを見て、二人は思わず左右から彼女を挟むように抱きしめた。
「あああもう、可愛いなあ!!」
「ちょっと悔しいけど百恋様の気持ちもわかる! いろりなら仕方ないって思うもん!」
「わわ、ふ、二人とも、恥ずかしいってば」
友人の言う通り、いろりと百恋は校内公認のカップルのように扱われつつあった。
百恋の力により常に二人は隣の席になり、時には一緒に通学したり、昼食もともにする。
ずっとべったりしていないのは、役目を終え記憶を消した後、自分以外に親しい者がいないとなるといろりが困るだろうと考えた百恋の配慮であった。
蛇珀が独特な雰囲気を持つ硬派な美少年なら、百恋は国民的アイドルを凌駕する、老若男女誰からも好感を持たれる正統派の美青年であった。
この百恋と、しとやかで愛らしく、成績優秀だが決して気取らないいろりが隣に並べば、文句なしの美男美女カップルに見えた。
しかしいろりはこの噂に心を痛めていた。
百恋が気遣ってくれるのはありがたかったが、切なくもあった。
いつも側にいてくれるのが、なぜ本当に欲しいあの人ではないのか、と……僅かながらいろりの強い心に、隙間が生まれつつあったのだ――。
そんな中迎えた夏休み初日。
朝の八時、いろりが一つ大きな伸びをしてベッドを降りた時、何か小さなものが窓に当たっているような音がした。
気になり桃色のカーテンを開いて外を覗いてみると、いろりの家のすぐ下に立っている人物に気がついた。
百恋が片手で小石を弄びながら、いろりの部屋を見上げていたのだ。
「ひゃ、百恋様!?」
「おっはよー、いろりちゃん!」
思わず窓を開け身を乗り出したいろりに、百恋は爽やかな笑顔を向けながら挨拶をした。
赤いポロシャツに水色のジーンズ姿は、神職服の際には見て取れない身体の線がよくわかる。蛇珀よりやや背が高く細身の百恋は、モデルのようにすらりとした体型であった。
そんな百恋を見て、いろりは思わず蛇珀が様々な洋服を着ているところを想像して胸をときめかせてしまった。
「今日すっごくいい天気だし、一緒に水族館でも行かない? せっかくの夏休みなんだしさ!」
「あ、で、でも、私」
「大丈夫だって! これくらいの気晴らし蛇珀の奴も許してくれるだろうから!」
嘘嘘、あいつ超心狭くて嫉妬深そうだからバレたら絶対殺されるけど!
……とは口が裂けても言わない百恋である。
「ね、ね、お願い! 前から行ってみたかったんだけど、一人で水族館行くのも寂しいしさ、僕を助けると思って……ダメ、いろりちゃん?」
――わざわざ来てここまで言ってくださってるのに、追い返すのは悪い、よね……?
申し訳なさそうに手を合わせておねだりする百恋に、いろりはついにデートの誘いを了承することになる。
「……わかりました。用意をして来ますので待っていてください」
「ほんと!? うわあ、嬉しいな、やったー! ありがとういろりちゃん!!」
子供のように大袈裟に喜ぶ百恋を見て、いろりも自然と笑顔になっていた。
百恋とのデートは、実に刺激的なものだった。
いろりが住む場所は片田舎で、都会に慣れていない。そもそも目が見えなかったため、このような観光地に来たことがなく、水族館にいる生き物たちも、人の多さも、店頭に並ぶお土産も、食事も、すべてが真新しくいろりの目に映った。
蛇珀とはできなかった、人間の恋人がするいわゆる大道のデート。
今後も、できるか定かでない行いを、この百恋はいとも簡単に叶えてくれる。
初めてのことに戸惑い気味ないろりに話題を振り、常に優しい笑顔で、滞りないよう紳士にリードする百恋。
もう二度と会えないかもしれない恋人を待つより、側にある温もりに惹かれるのは、そんなに悪いことだろうか?
否、人としては自然なことと言えるかもしれない。
過去の戦神の想い人が百恋に傾いたことを、誰が責められるというのだろうか。
夕方に差し掛かり、水族館から出た二人は、そこから歩いて行ける距離にあった海の見えるカフェテラスに立ち寄った。
もちろんこれも百恋が事前に調べていた店である。
「いろりちゃん、楽しかった?」
「あ、は、はい! とっても……ありがとうございました」
「そっかぁ、よかった!」
「あの……百恋様は、大丈夫でしたか?」
「え? 何が?」
「少し、疲れていらっしゃるような、そんな気がしたので」
この台詞に百恋は仰天した。
ほんの一瞬だったが、百恋の笑顔の仮面が外れたのである。
――この子、僕の心配してたの? ただの人間なのに……?
百恋がこのような罠を仕掛けているのは彼の意思ではなく、天獄の指示である。
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