第四章、ありし日の恋物語
一
――約、六百年前――
時は乱世、戦国時代の突入を前にした室町時代であった。
そんな時代の仙界に、聞かん坊の神が一人――。
「……何度言えばわかるのだ! 男ばかりから寿命を調達しては国の均整が崩れると言うておろう!」
「知らぬ存ぜぬ聞く耳持たぬ」
「狐雲! お前という奴はあぁ!!」
当時の中流神であった
まだ下流神であった狐雲は、この時四百歳。
腰の長さの琥珀色の髪は今より輝きが弱く、顔にもまだ童らしさが残っており、豊かな尻尾はまだ三本しか生えていない。
立ち振る舞いや言葉遣いには気品があるものの、その性質は蛇珀にも負けず劣らず奔放で型破りであった。
「狐雲、今日も願い聞きに参るのですか?」
犬神の忠告を無視し、人間界に降りようとした狐雲に声をかけたのは当時七百歳の学法であった。
学法はこの寸前中流神になったため、今と変わらぬ髪の長さをしていたが、外見にはやや若さが見られ、うっすらと目が開いていた。瞼の隙間から覗く瞳は黒曜石に似た透明度の高い黒色をしていた。
「関係ないであろう。話しかけるな」
「貴殿はなんといいましょう、どうも危なっかしく、放っておけませんでね」
「いらぬ世話だ」
「ほほ、これは失礼」
学法をつっぱね、狐雲は人間界へと姿を消した。
当時は上流神自体が存在しなかったため、誰に許可を取らずとも自由に下界へ出入りしていた。
若き日の狐雲は常に不機嫌であった。
自身の苛立ちなどを胸の内に留めておけず、すぐに顔や言動に出てしまう。
上流神になった狐雲しか知らぬ神たちには到底想像もつかない姿である。
狐雲はやたらと男たちから寿命を取り立てていた。
その理由は、女嫌いのためである。
下流神として神力がまださほど強くなかったとはいえ、狐雲の美貌は群を抜いていた。
どの神にも類を見ないその秀麗さに、人間は狐雲を前にするとひれ伏した。
そんな狐雲に、願い聞きの際一目惚れをする女は少なくなかった。
それだけならばまだよかったが、あろうことか狐雲に色仕掛けをする女が次から次へと現れたのである。
自ら衣類を乱し、にじりよる女たちを見てその穢らわしさに吐き気を覚えた狐雲は、完全に女嫌いになってしまった。
願い聞きをするにも女を避け、男ばかりに絞っていたため、この時期の国はやけに男の早死にが増えており、他の神の反感を買っていたのである。
しかし狐雲の協調性のなさは、美貌に等しいほど群を抜いていた。
蛇珀のように抜けた部分があればまだ可愛気もあったのだろうが、狐雲は頭までよかったため手がつけられず、他の神から面倒ごとのように遠ざけられていたのである。
そんな狐雲にかまいだてするのは変わり者の学法くらいであった。
人間界に降り立った狐雲は、神眼を使い無関心そうに標的を定める。そこに移動し、願い聞きを終えると、すぐに相手の記憶を消しその場を去った。
女嫌いで、何事にも興味がなく、ただ寿命を伸ばすために生きているような無色の日々。
さて、今日も願い聞きは終えた。仙界に戻るか。
狐雲がそう思い、移動しようとした時だった。
ふと、美しく生え揃った竹林に目が及ぶ。
夜中だというのにずいぶんと辺りが明るく見えるのは、満月のせいであった。
――美しいな。
仙界には存在しない、その月の見事さに、狐雲は珍しくもう少し下界に滞在していたい気持ちになった。
竹林に入ればさらによく見えるかもしれぬと考えた狐雲は、天に向け伸びているかのようにまっすぐな竹をかき分けた。
そして一歩足を踏み入れたそこで、狐雲は運命の出逢いを果たす。
――天女……?
思案するより先に脳裏に浮かんだ文字に、狐雲自身が最も驚いていた。
竹林を抜けた先には、開けた場所があった。
低い草村に背筋を伸ばして立ち、満月を見上げていた人物。その横顔が、遠巻きながら狐の目に映ったのである。
抜けるほどの白く滑らかな肌。それを際立てるような艶のある漆黒の長髪。それに似た深い瞳から、宝石のような雫が落ちる。
息をするのも忘れ、狐雲はただ彼女を見ていた。
釘付けであった。
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