十三
「は、はいっ……」
そしてふと、あの話がまた頭に浮かぶ。
「あの、三百年前に戦神様が消えられたというのは、もしかしてそれが原因で……?」
「蛇珀に聞いたか。……いや、あやつはそこまでは通過できたのだがな」
『狐雲、そこまでである。神と人の恋路を手助けするような言葉が禁じられておるのは、主が一番わかっておろう。破ろうものなら主とてただでは済まぬぞ』
「心得ております」
天獄の言葉に、いろりはやはり、狐雲も人との恋愛を経験したのだと確信した。
「天獄様、あ、あの、恐れながら、お伺いしてもよろしいでしょうか?」
『許す。申してみよ』
「ありがとうございます。蛇珀様は……いつまで、苦行に耐えなければ、ならないのでしょうか……?」
『それは蛇珀次第。十年かもしれぬが、百年かもしれぬ。また、途中で力尽きれば露となり、二度と会えぬこともあろう』
嘘である。
これは試練の一つ。
本当は人の年月にして一年の期限が設けられている。
人はいつまでと明確な時を決められればそれを希望に生きることができる。
しかしいつまでかわからないとなると、途端絶望する。
その先の見えない状況の中、いかにいろりが蛇珀を想い待てるのか。天獄はそれを見ている。
「わかりました。お答えいただきありがとうございます」
『……待てると申すか? 帰ってこぬかもしれぬのだぞ』
「その時は蛇珀様を想いながら朽ちます。待たせていただけるだけでも……光栄です。感謝いたします」
この禍々しき空気に反し、いろりの迷いない返答は実に清々しかった。
『東城いろり……また会う日を待っておるぞ。……次は天神の姿にて』
その言葉を最後に、巨山は姿を消し、天は澄みきり、仙界は嘘のように凛とした静寂を取り戻した。
「もう立ってもよいぞ」
狐雲の手を借り、いろりはその場に立ち上がった。
「しかしあいつもバカじゃな」
「鷹海様……?」
「貴様の罪まで被ると言って、自ら苦行を増やしよったのじゃ」
鷹海は驚くいろりの額に手を当て、ある映像を流して見せた。
――数時間前――
蛇珀が天獄の前に強制連行されたその時。
蛇珀はこれまでの自身の行い、そしていろりと出逢ってからの変化を懺悔させられるように地面に両膝を貼りつけられ身動きが取れなくなっていた。
『度重なる人間に対する必要以上の寿命の取り立て。規律を乱す言動。主は特別な神と今まで多めに見ておったが、もはやこれまで。人の子に心奪われ責務を怠り、あげく感情の起伏による大地の揺れの数々、見過ごしてはおけぬ。これより主に苦行を課す。そして主を乱した人の子。よきことではないとわかっておきながら主を仙界から遠ざけ、自身の欲で側に置いた罪もある。よって人の子にも一時、竜の寝床での肉体的な苦行を施す』
蛇珀は天獄の力により口を開くことすら許されない。
一身に重力がかかり、地に腰を据えているのがやっとであった。
しかしそれほどの力の差を見せつけられても、一切怯える様子はない。
絶望など露ほどもなく、蛇珀本来の気性の強さで天獄を睨みつける瞳には光が宿っていた。
「……ふざ、けんなよ……」
『……何……?』
「悪いのは、俺、だ……いろりは、俺を信じて、ついて来ただけ……あいつに苦行を強いるのは、許さ、ねえ……」
天獄にもし
天獄の緊縛を自らの力で突破する者など、どこにも存在しなかったのだから。
しかし蛇珀は口を開いた。
そしてついには、戒めをそのままに身体を震わせながらも低い姿勢で立ち上がったのである。
『……許さぬ? ならどうする? 我から逃れる術はないぞ』
「俺が、いろりの分まで罰を受ける……! 百倍でも、千倍でも……それで文句はねえだろ、天獄様よォ!!」
『……よくぞ申した。成せるものなら成してみよ』
「望む、ところだぜ……!!」
蛇珀の自身に対する怒りと、愛する女に対する莫大な想いは、天獄までも驚愕させる強靭な力と化していた。
――鷹海の手翳しにより一部始終を目の当たりにしたいろりは、言葉を失い、はらはらと涙を零れさせた。
蛇珀の決断により、いろりは肉体的な苦行は受けずに済んだのである。
「……蛇珀様が、私のために……」
「おい、鷹海、それは言わねえ約束だろ」
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