七
後を追う姿勢を見せた鷹海だったが、狐雲の一声で立ち位置に戻ると、遠くの霧に消えていく白銀色の髪を見送った。
鷹海はひどく苛立っていた。それはもう、気が気でないというほどに。
「あいつは……一体どうするつもりなんじゃ」
「気がかりで仕様がないの」
「ああ、本当に……」
つい同調してしまった自身に気がつくと、鷹海はあからさまに焦った。
「いや! 別にわしは、その!」
「私に隠しだてなど無意味だとわかっておろう。憎まれ口を叩いておっても、そなたも蛇珀を気に入っておるのは知っておる」
からかうように薄く笑う狐雲に、鷹海はあきらめたように応える。
「う……そ、そうですな。……なんというか、あいつは危なっかしくて、放っておけぬといいますか……」
「ずいぶん昔に学法に似たようなことを言われたの」
「――狐雲様がですか!?」
「いかにも」
確かに狐雲様は生真面目に見えて奔放な方であるからな……。
鷹海は一見両極端に見える狐雲と蛇珀の共通点を垣間見ていた。
「私たちが口を出せるのはここまでである。後はあの二人がどう出るか……」
「三百年前の二の舞にならねばよいのですが……」
二人は大きな不安、そして微かな期待を込め待つことを決めた。
狐雲と鷹海が見えない場所まで来ると、蛇珀は足を止めた。
そこには平地に密やかに佇む円形の泉があった。
深緑の苔地に、蒼く輝く泉はやや立体的に浮かび上がるように見えるほど澄み渡り美しかった。
これが狐雲の言っていた水鏡である。
簡単に言えば神眼を泉が担うようなもので、目にしたいと思ったことを考え覗けば、この水面に映し出されるようになっている。
しかし今はただの鏡のように、水際に立ち尽くす蛇珀を反映させるだけであった。
蛇珀は水鏡に映る自身の姿を見て思わず眉間に皺を寄せた。
……なんつう、情けねえ顔をしてやがるんだよ。
「……蛇珀、様」
いろりはようやく絞り出した声で愛しい名を紡いだ。
しかし、それ以上は言の葉が続かなかった。
――蛇珀様の寿命は大丈夫なのですか? どうしてそんな大事なことを黙っていたのですか? なぜ、願い聞きをやめられたのです? これからも……いろりはあなたのお側にいてもいいのでしょうか……?
そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。
しかし、どれも口にしてしまえば蛇珀を責めるように聞こえてしまいそうで、どうしようもなくなったいろりは蛇珀に強く繋がれたままの手に力を込めた。
蛇珀が願い聞きをやめたのは、いろりに出逢ったからである。
大の人間嫌いであった蛇珀は、いろりの純粋さに触れ、今まで必要以上に寿命を取り立てていたことを悔いていた。
多少度は越していたとはいえ、それは神の責務の一環であるため本来蛇珀が自責の念に囚われる必要などない。しかし、いろりを見ているともっと優しく、寛容な心を持つべきであったと改めたのだ。
いろりはてっきり、自身が学校に行っているうちに蛇珀が願い聞きをしていると思っていた。
だがそれは違った。
蛇珀がいろりを待ちながらしていたのは、まるで今までの罪滅ぼしのように人に優しくすることであった。
いろりに出逢ったことで、蛇珀のすべては変わり始めていた。
しかし蛇珀はいろりに出逢ったことを後悔などしていない。
むしろただただ続いていくだけの無色な日々に、彩を授けてくれたいろりに感謝しかなかった。色を知ったのは、いろりだけではなく、蛇珀も同じであった。
そんないろりと命を共にしたいと願ってしまった蛇珀は、人を労り、人に近い寿命を求めることで、自身もいつか人間になれないかと考えていたのだ。
――しかし、その子供じみた希望は、他の神たちの忠告により完膚なきまで撃ち砕かれた。
人間になれないことなどわかっている。
自身は神で、いろりは人間。そこには越えられぬ壁があることも、二人きりの平穏な日々がいつまでも続くはずがないことも、蛇珀はわかっていた。
わかっているからこそ、いろりを仙界に連れて行きたくなかったのである。
「……いろり、帰ろう。もうここにいたくねえ」
いつからだろう。蛇珀がいろりの家を、いろりの側を、“帰る場所”と称していたのは――。
「俺は、いろりといたい。ずっと二人で、誰にも邪魔されずに暮らしたい。なんでそんなことすらできねえんだ、神なんて、やってたって何もいいことなんかねえ」
「蛇珀様……私は……」
蛇珀の苦しむ姿を見ると、ふとよぎってしまう。
私と出逢わなかったら、蛇珀様にこんなにお辛い思いをさせずに済んだのでしょうか? ――なら、私は、もしかしたら……。
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