二
「そうなんですね! だから」
前に蛇珀様がお怒りになられた時、地震が起きたんですね――という言葉が喉まで出かかり、飲み込んだ。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません! あの、蛇珀様、よかったら一緒に写真を撮ってくれませんか……?」
少々遠慮がちに提案するいろりだったが、これには蛇珀も困った。
「俺としては別にいいんだけどよ……」
「ほ、本当ですか!?」
いろりは無邪気に喜びながら、上着のポケットにしまっていたスマートフォンを出すと桃の花を背景に蛇珀と二人、横に並んだ。
いろりが小柄なため蛇珀が身体をかがめ画面に収まるとシャッターボタンを押す。
早速撮れた写真を確認しようと、いろりは胸を躍らせながら画面を見るが――。
そこには蛇珀の姿はなく、いろりだけが映っていた。
「……やっぱりそうなるよなぁ」
蛇珀は頭を掻きながらそう呟いた。
「写真なんか撮ったことねえけど、まあ、写らねえと思ってたぜ。一応認識されちゃいけねえ存在だからな」
「……でも、それなら、今まで願い聞きをしていた人たちは……?」
「願いを叶えた後に記憶を消すんだよ。それが掟だ」
蛇珀の言う通り、神は願い聞きの記憶を消す。そのため人間は神に自身の寿命と引き換えに願いを叶えてもらったことを覚えていない。
ただ、周りに話をしたとしても信憑性を持たない子供などの記憶は神の判断で消さないこともある。
古来から子供が妖精や妖怪などを見たという噂は耳にするが、それは心の清さが理由ではない。ただその子に会った神が、記憶を消さなかっただけである。
それを聞いたいろりは突然不安になった。
――なら、私は……? と。
先ほどまでと打って変わって静かになったいろりを見て、蛇珀の胸にもまた雲がかかった。
残念そうにするいろりを目にすると、蛇珀はつい考えてしまう。
――自分が人間の男であれば、こんな顔をさせずに済むのだろうか、と。
「いろり、大丈夫か……?」
心配気な問いかけに、いろりはハッとすると俯くのをやめた。
「……蛇珀様、私の記憶は、消さないでくださいね……?」
今にも泣き出しそうな顔に、蛇珀は目を見張った。
蛇珀はこの顔に弱い。自分の意思をしかと持ち、芯が強いはずのいろりの縋るようなか弱い表情を見ると、なんでもしてやりたくなってしまうのである。
「……消すわけねえだろ」
蛇珀は少し屈み、いろりの顔を覗き込んだ。
「写真には写ってやれねえけど、他のことならなんでも叶えてやるぜ。遠慮なく言え」
蛇珀の気遣いにいろりは安堵の表情を漏らした。
「……あの、じゃあ、そこに座っていただいてもいいですか?」
「ん? ここにか?」
「はい。いつものような形で」
そう言われたので、蛇珀はやや固い砂利の上に胡座をかく。
するとそわそわしながら近づいたいろりが、そっと蛇珀の前に腰を下ろした。
蛇珀の前……というのは、胡座をかいた際に足と足の間にできる窪みを示している。つまり、いろりは蛇珀の股の上に背中を向けて座ったのだ。
「い、一度この座り方をしてみたかったんです。家ではなかなか、恥ずかしさが先に出てしまってできなくて……なので今、思いきって、してみました」
遠慮がちに座るいろりを、蛇珀は後ろから掻き抱いた。
「力を抜け。身体を預けろ」
耳元で囁かれ、いろりは全身が痺れたように動けなくなる。
少年のような爽やかさと大人の男性のような甘美さが交錯する蛇珀の声は、いろりにはあまりにも刺激が強かった。
しかしいろりより動揺していたのは蛇珀の方だったかもしれない。
いつも髪を下ろしているいろりは、今日は出かける際、後ろに一つ、小さく丸めていた。そのため背後の蛇珀からは、彼女のうなじがよく見えた。
その白く香り立つ光景の、なんと魅惑的なことか。
蝶が蜜に誘われるように、気がつけば蛇珀は、いろりのそこに吸いついていた。
何が起きたかわからず、いろりは声を出すこともできずに身体を震わせた。
その反応に怖がらせてしまったと勘違いした蛇珀は、急ぎ身体を離した。
「わ、悪い! 驚かせたな」
しかし、蛇珀はいろりの自身を見る目に、先ほどの気遣いは杞憂であったと知る。
「悪くなんてありません。……もっと、してください、蛇珀様」
桃の花よりもずっと濃く色づいた少女の頬。濡れたように光りを持つ瞳と唇に、蛇珀は身体の底から湧き上がる激情を抑えきれなかった。
――大地が揺れる。
蛇珀のやり場のない滾りを代弁するかのように。
「じゃは」
「――蛇珀!!」
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