三
――何やらおかしい。と、蛇珀は思う。
昨日まで目を瞑っていた友人が急に開眼すれば戸惑うのはわかるが、それでもよかったね、とともに喜んでくれるものではないか?
それなのに、今のこの者たちの反応はどうだろう。
嬉しがるどころか、気まずそうに目を泳がせて黙り込んでいるではないか。
しかし、その違和感の正体に、蛇珀はすぐに気づくことになる。
彼女たちが集まっていた席の、一つ右隣の席。ちょうど蛇珀が今立っている場所から見下ろした机には、こう書かれていた。
『目が見えないくせに学校来んな。お前なんか友達じゃねえよバーカ』
赤や黒のマジックで殴り書きされた机一面。
――――これを見た蛇珀は、なぜかはらわたが煮えくり返った。
それは地を司る神である彼が、大地を震えさせてしまうほどの激昂であった。
しかし、そこはやはり神。奥歯を噛みしめどうにか自制を果たす。
蛇珀が悪意を持って目を合わせれば人間など刹那に絶命させてしまえるが、それをしたところでいろりのためになるか疑問が浮かんだため決行には及ばなかった。
しかし抑えきれない怒りの神力がいろりの身体から白銀色の光として漏れる。
生徒たちはまるで幻覚でも見ているような気になり、特に間近にいた女生徒たちは息を呑んだ。
「……お前ら」
蛇珀は最大限気持ちを落ち着かせる努力をし、悟すように言った。
「これを書いてる自分たちの顔、想像したことがあるのか」
そう言われた少女たちは、三人互いに目を合わせると、顔を真っ赤にして俯いた。
身体はいろりであっても、その言葉は間違いなく神からの忠告であった。
記憶を深く覗けば、いろりの成績がよく、容姿も愛らしいことから妬みが生まれ、それがいじめの原因と思われた。
本当に人間はくだらない、蛇珀はそう思った。しかし、いろりもまた、人であるということも認めていた。
その日、蛇珀は人として授業を受け、人として落書きを必死に雑巾で拭き取り、帰路に着いた。
部屋に帰ると、ベッドで身体を丸めていた白蛇のいろりが急いで出迎えた。
「あ、あの、大丈夫でしたか? 嫌な目に遭われませんでしたか?」
「……お前、全部知ってたんだな」
いろりの台詞に、蛇珀はすべてを悟った。
彼女が蛇珀を学校に行かせたくなかったのは、彼が嫌な目に遭わないかと心配したからだ。
いろりは、知っていた。友達のふりをした彼女たちが、目が見えないのをいいことに落書きなどをして陰で笑っていることを。
「……はい。私は、目が見えなかった分、他のことには敏感なので」
「ならなんで願わねえ? 俺に言えば今すぐ学校一の人気者にだってしてやれるんだぜ。あいつらを懲らしめることだってできる」
しかし、いろりは首を横に振った。
「それはやめておきます。自分の力で乗り越えなければ、意味がないと思うので。それに、蛇神様のようなすごい方が私なんかのところに来てくださったんですから、もうなんだってがんばれますよ」
白蛇の姿のままにこりと微笑むいろりを見て、蛇珀は胸がしめつけられるのを感じた。
そして心に決める。
「……ったく、お前って奴は」
蛇珀が姿勢を低くし、今度は優しく額に自身のそれを当てる。
いろりの姿をした蛇珀、そして白蛇の姿をしたいろりの額が合わさると、再び訪れた浮遊感の後、二人は元の身体に戻った。
――はずだが。
そこにはいろりしかいなかった。
白蛇も、人の姿をした蛇珀も、どちらもいないのだ。
まさか、これでおしまいなのか、もう会えないのかと不安に駆られ、いろりは部屋中に視線を巡らせ、必死に蛇珀を呼んだ。
「へ、蛇神様……! 神様……! お、お願いします、もう一度、もう一度お姿を見せてください!!」
涙ながらに訴える少女の背後に光が射す。
振り返ったそこには、床に胡座をかいた蛇珀がいた。
「……うるせえな、そんな呼ばなくても聞こえてるっつうの」
蛇珀は頬を掻きながら、照れ隠しに憎まれ口を叩いた。
再び目の前に現れた姿に、いろりは安堵して腰を抜かし、涙を流した。
それを見た蛇珀は目を見張り、激しく動揺し大変であった。
「な、泣くんじゃねえ! ちょっと仙界に行ってただけだ」
「せん、かい?」
「ああ、神々の住処だ。そこにまあ、偉そうな上流神がいるんだけどよ、そいつに人間界にしばらく滞在する許可をもらってきた。やけに快く許しやがって、薄気味悪かったが」
「きょ、か……?」
「ああ」
蛇珀は不敵な笑みを浮かべた。
「俺は決めた。お前の願いを叶えるまでここにいる」
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