しかし先入観を持つ者には正しき姿は認識しにくかった。少女は邪心がなかったため、素直に蛇珀の端麗さに気づけたのである。

 蛇珀は一つ咳払いをすると、気持ちを落ち着かせ改めて少女に向き直った。

「……まあ、いい。俺は仙界から来た蛇神へびがみの蛇珀だ。突然だがお前の寿命を少しいただく代わりになんでも一つだけ願いを叶えてやる。俺たち神はお前ら人間の寿命をいただいて生きてるからな」

 蛇珀がそう言うと、少女は目を大きくして不思議そうに首を傾げた。

「俺の力はさっきよくわかっただろ。さあ、早く願いを言え。何を呆けていやがる」

「あ、す、すみません。でも私、願い事なんてなくて」

「は? そんな人間いるわけねえだろ。わかった、寿命を取られることが怖いから言えねえんだな。仕方ねえから出血大サービスで十年のところを一年にまけてやるよ」

「え? そ、そんな」

「なんだ、まだ不服なのか? じゃあ一月ひとつき……いやもう一日でいいわ」

 特売品のように勧めてくる蛇珀に、少女は困って首を横に振っていた。

「でも私、目をよくしていただきましたし」

「それは俺が勝手にやったことだから関係ねえ。神の判断で人間に与えるのには際限がねえからな」

「そ、そうなんですか」

 そんな都合のいいことが、と一瞬考えた少女だったが、この世の幸不幸の振り幅を思うと、なるほどと納得してしまう部分があった。

「口ではいい格好をしたって俺には全部わかるんだぜ」

 未だ少女が願いを渋るため、蛇珀は透視をすることにした。神眼しんがんを使えば人の本心を知るなど容易なのである。

 ――が、それにより蛇珀は再び驚かされることとなる。

 少女の心。それは澄み渡った清水のように一点の濁りなく透き通っていたのだ。

 あり得ない、と蛇珀は思う。

 赤子から大人まで、願いの種類に変化はあれど、今まで欲のない人間など見たことがなかったからだ。

 蛇珀はこの人間に興味を持った。

 名を知りたいと思ったのも初めてであった。

「お前、名前は」

東城とうじょういろりと申します、蛇神様」

「よし、決めた」

「……え? キャッ!?」

 突如蛇珀がいろりの額に自身のそれをぶつけ、鈍い音が響いた。

 と、同時に、いろりは全身の力が抜け浮遊感が訪れるという奇妙な体験をする。

 そしてその感覚が終わった時、目の前には自身を見下ろしている自身が立っていた。

 違うのは、いろりの瞳が蛇のように縦長の球体になっていた。

 摩訶不思議な出来事に困惑するいろりに、蛇珀は掌から手鏡を出すとそれを見せた。

 そこでいろりが見たのは、小さな白蛇になった自身の姿だった。

 そう。いろりは蛇珀に身体を交換されてしまったのである。

「へ、蛇神様、これは一体……!?」

「俺はお前に興味を持った。だから明日一日お前になって生活を楽しむ」

「――え……ええっ!?」

 これにはさすがのいろりも驚愕したが、蛇なのでただ身体をくねらせて焦るしかできなかった。

 三百年生きて初めて出会った無垢な心。それを持つ人間はどれほど満たされた暮らしを送っているのか、蛇珀はそれを確かめたかったのだ。

「あ、興味って言ってもほんの少しだけだからな、鳩の涙程度だから調子に乗るんじゃねえぞ!」

「それをおっしゃるなら、雀の涙では……」

「うるせえ、学問の神じゃねえんだからいいんだよそんな細かいことは。この蛇珀様が人間如きの身体を使ってやろうってんだからありがたく思えよ。じゃあ俺は寝る、おやすみ!」

「へ、蛇神様ぁ!!」

 困惑するいろりを尻目に、蛇珀は素早く布団に潜り込むとあっという間に眠ってしまった。


 翌朝、蛇珀はいろりに止められるのも聞かず、学生服にコートを羽織り、二月の寒空の下登校した。

 軽く記憶を覗けば盲学校ではなく視力がある者たちの学校に通っていることがわかり、すぐにその場所も把握できた。故にそれ以上は後の楽しみにと深くは覗かなかった。盲目の人間の身体に入っても、神が記憶を探れば心の目で映像を見ることができるのである。

そうだ、まずは目が見えるようになったとクラスの奴らを驚かせてやろう。

 蛇珀はそう企んで、いろりが通っている中学三年二組の教室扉を勢いよく開いた。

「おはよう!」

 いろりに成り代わった蛇珀は、教室内にいた生徒たちの注目を一身に集めた。

 皆静まり返り目をむいて驚いているのは、普段大人しい彼女が大声で挨拶をしたこと、そして何よりその目がはっきり開かれていたせいだろう。

 蛇珀は辺りを見回すと、窓際に三人、女生徒を見つけた。それがいろりの記憶で見た顔ぶれだったため、蛇珀は彼女たちがいろりの友人なのだろうと思い歩み寄った。

「私ね、目が見えるようになったの」

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