エデンズ・ランゲージ

鍵崎佐吉

理想郷

 正しさとは何か、人類は未だ統一的な見解を出すには至っていない。文化、信仰、地位、性別、そういった隔たりは厳然として存在しており、我々の相互理解の前に立ち塞がり続けている。

 しかし悪とは何か、これについてはある程度満足できる形の合意が得られたのだ。故意の殺人、恣意的な不正、無責任な誹謗、その他いくつかの悪が人類全体の禁忌として認められた。

 それはつまりこのように言い換えることもできる。現状において人類最大の共通言語は「悪」である、と。




「それでは今週の被差別者リストを発表いたします」


 画面の向こうで無機質な表情を浮かべたアナウンサーが淡々と手元の原稿を読み上げる。基本的にこの選別はAIに任せているが、世間の動向を鑑みて適宜ターゲットを追加し刺激を与えることもある。特に著名人のスキャンダルが起こった日なんかは最高だ。哀れな生贄に選ばれた彼ら彼女らがどのような仕打ちに合うのか、それを想像するだけで脳髄に甘い電撃が走る。これが私に課せられた最大の職務であり、最高の生き甲斐でもあった。

 不意に手元の端末が振動し部下からの緊急連絡を知らせるが、私は通信を遮断しあえてそれを無視した。この至福の時を邪魔されるのは私にとって耐え難いことなのだ。画面から流れ出る言葉が、今まさに人間の尊厳を、かけがえのない生命の輝きを削り取っている。人々は与えられた「悪」に群がり、それを糾弾し、蹂躙し、徹底的に踏みにじりながら、自らもまた「悪」に堕ちていく。自分だけは大丈夫だという無根拠な安息に縋り、巨大な負の連鎖の中で尊ぶべき連帯を謳歌している。

 まさに私にとってここは理想郷そのものなのだ。


 その時、突然廊下の方から爆音が響き、強烈な振動が部屋を揺らす。それと同時に照明が消えてモニターも暗転した。とっさに端末を手に取り部下に連絡を取ろうとするが、そうこうしているうちにドアの向こうから怒号と雑踏が聞こえてくる。私が寝室に駆け込んだ瞬間再び背後で爆音が響き、何者かが近づいてくる気配がする。胸がはち切れそうなほどの心臓の鼓動を抑えて、私はただベッドの上でうずくまる。それから数秒もしないうちに後頭部に強い衝撃を感じ、私は強引に顔を上げさせられる。

 目の前には血と煤で汚れた五人の男が立っていた。その眼には明らかな憎悪と殺意、そして獲物を品定めする肉食獣の本能が宿っている。

「貴様のせいで俺は家族を失った。他の連中も同じだ。俺たちは貴様を許さない」

 その冷ややかな声とは対照的に、私の喉元に食い込んだ太い指は火傷しそうなほどの熱を帯びている。力任せに引きずり倒され、四肢に激痛が走り、腹部に嗚咽が出るほどの衝撃を感じる。同調し結束した殺意と欲望の濁流が私の体を引き裂き、嬲り、解体していく。ああ、それはまさに私が信じた「悪」そのものだった。




 密閉された狭いカプセルの中でゆっくりと肉体が感覚を取り戻していく。正確に言えば私の意識バックアップをスペアにインストールしているのだから、取り戻すというよりは生まれ変わるという方が近いのだが、まあその辺は些末な違いでしかない。少し調子に乗ってターゲットを増やし過ぎたせいで今回は予測よりも早く反乱が起こってしまった。しかしそのおかげで今まででも例がないほどスリリングな終焉を迎えることができた。なかなかに悪くない体験だったと言えるだろう。

 私はカプセルを押し開け再び理想郷へと降り立つ。肉体的には先ほどまでとはまったくの別人になっているが、ここを統括管理しているシステムのアルゴリズムはすべて私が掌握しているのだ。ある程度秩序が回復されれば、そう遠くない内にまた私は選別者の座につくことができるだろう。こうして人類は揺るぎない悪によって、共感と団結を維持し続ける。

「次はどんな風に殺してくれるのかしら」

 それを想像するだけで私の魂は大いなる歓喜に打ち震えるのだった。

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