第3話
大学の入学式には、一人で行った。そこには、まだ友だちがいないひとりぼっちがあふれていたから、どこか勝手に仲間意識を持てた。
でも、このひとりぼっちたちは、どうせすぐに仲間じゃなくなるってわかっている。だから、手に入れた仲間意識は、式の最中に破って捨てた。
式場を出ると、サークルの勧誘のために集まった人たちが、壁を作っていた。ぐちゃぐちゃに塗りつぶされた顔の壁が、一本道を作っている。その一本道を、似たり寄ったりの黒いスーツを着た大群が歩いていく。
壁の圧に負けて、差し出されるチラシを一枚、また一枚受け取った。
そこに刷られている人の顔までもが、ぼんやりとして見えた。
思わず、チラシを差し出した手の持ち主の顔へと視線が動く。
やはり、ぼんやりとしている。けれど、チラシのそれと同じ顔だろうことは、わかった。
「耳に穴開いてるんですね」
自分がなんて間抜けで、失礼かもしれないことを口走ったのだろうと気づくまで、三秒かかった。
「あ、すみません。えっと、素敵です」
「あはは! すごいでしょ! やりたくてこうしてるんだけどさ、『お前ろくな会社入れないぞ?』ってよく言われるんだよね。あ、サークルにでも俺にでも、興味あったら説明会来てよ。来週水曜」
「あ、は、はい。考えておきます」
「うぃーっす」
一本道を、再び歩き始めた。
何枚ものチラシが積み重なっていく。
一本道が終わったとき、私はさっきのピアスの人がくれたチラシを一番上にして、また見た。
ぼんやりとした顔が、さっきよりもはっきりとした気がした。
「よっ!」
背後から声がした。こんな軽やかな声が私宛であるはずがない、と思ったけれど、ぽつんと立ち尽くしチラシを見る私以外、その場に声をかけられる人はいなかった。
「……え?」
その人の顔をちらりと見てみる。わたしには、それが誰だかわからない。でも、声には覚えがあった。どこかで聞いたことがある、懐かしくない響きだった。
「入試の時に見かけたから、受けてるのは知ってたけど。同じ大学に入学するとは思ってなかった。これからもよろしくね」
「あ、え、ええっと……」
「あ、そっか。ごめんごめん。俺、佐藤。佐藤ケイゴ」
「えっと……」
「つい最近までクラスメイトだったじゃん」
「あ、ああ」
私が人の顔を認識できないことを本気にしてくれたかはわからないけれど、そのことを知っている稀有な人だ。
「ねぇ、連絡先教えてくれない? 卒業式の時にさ、高校生のうちに仲良くなり切れなかった人たちとも連絡先交換したんだけどさ。須賀さん、さらっと帰っちゃったでしょ? だから、聞きそびれちゃってさ。ほら、同窓会のお誘いとか、そういう時に使いたくて」
同窓会なんて、仮に誘われても行かないから、別に誘ってくれなくてもいいのに。
苦く笑いながら、携帯端末を取り出し、連絡先を交換する。
早くも充実のスタートを切ったらしい佐藤くんは、ひらひらと手を振りながら、サークル棟のほうへと走っていった。
大学の講義には、決まりきった座席がない。
好きな講義を、好きな座席で受ける。
私は後ろのほうが好きだけれど、後ろのほうにはおしゃべり好きな人たちが固まりがちだから、その少し前の、窓側のほうにちょこんと座る。
完全に孤立するでもなく、人の群れに近づきすぎるでもない、楽なポジションで、私は空気に溶け込んでいく。
――あ、またいる。真っ黒マン。
講義の時、視線をすっと廊下のほうへと動かすと、たいてい全身真っ黒な洋服で身を包んだ人がいた。
その人は、いつも、講義の最中、ひとりぼっちだった。講義が終わると、後ろの塊の中にいた人と一緒に、サークル棟のほうへと歩いていくのをよく見る。
変な人だ。仲がいい人がいるのなら、隣に座って受ければいいのに、と、その人を見るたび私は思った。
「ねぇ。何でもいいからさ、ペン一本貸してくれない? ペンケース、サークル室に置いてきちゃってさ」
ある日、講義が始まる直前、真っ黒マンにそう声をかけられた。
その声に、聞き覚えがあった。思わずその人の顔を見る。瞳が得た情報が、頭のどこかで引っ掛かった。
「なんでも? ボールペンでも?」
「全然平気。書ければオッケー」
「じゃ、じゃあ、これ。ああ、でも、可愛すぎるかな。こっちのシャーペンはどう、ですか」
「いいの?」
「えっと、これも」
「消しゴムも貸してくれんの? サンキュ、須賀さん」
真っ黒マンは、いつものように廊下側の席にとすん、と腰かけた。
後ろを振り向き、私が貸したシャーペンをふるふると振る。
後ろの集団の中にいる、誰かがサムズアップした。
「はーい。おはようございます! それでは、今日は――」
講師は、入ってくるなり雑談なく講義を始める。
小難しい話は、耳に入ると、脳を通らずに反対の耳から抜けていく。
全然聞こえてこない。講師の言葉が頭に入らない。
視線を廊下側にうつす。真っ黒マンは頬杖をつきながら、スクリーンを射抜くように見つめている。
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