第2話
話が終わると、私は部屋にこもった。
携帯端末を取り出して、自分を学校や街といったコミュニティよりもっと巨大な世界へと接続する。
面と向かって悩みを吐き出せる人なんて一人もいない、ひとりぼっちな私だけれど、ネットの掲示板になら、私は悩みを吐き出せた。
――それって、顔が覚えられないっていうより、人に関心がないだけじゃない?
と、誰かが言った。
言われてみれば確かに、私は他人に強い関心を持っているわけではない。
けれどそれは、私が顔を覚えられなくて、コミュニケーションをうまくとれないとわかっているがゆえに、強い関心を持つことを避けているだけ、ともいえる。
どうせうまくできないとわかっていることに血反吐を吐きながら取り組むくらいなら、苦しくないことを続けるほうが、心が楽だから。
――関心がないのもそうだけれど、ちゃんと見ていないんじゃないかな? あたしだって、一瞬しか顔をみなかったとしたら、黒く塗りつぶす、とは違う気がするけど、ぼんやりとしか覚えていられない気がする。ちゃんと顔を見て、天気とかそういう、あたりさわりのないことをさ、そうだなぁ……三分くらい話してみたら? そうしたら、今までよりははっきりと顔が見えてくるんじゃないかと思うけど。
と、ほかの誰かが重ねた。
他人は、物事を簡単に言う。あたりさわりのないことって何だろう。どうしたら、三分も話し続けていられるんだろう。
みんなは三分以上語り合っているようだけれど、私は数秒が限界だっていうのに、三分だなんて。
クラスメイトを相手にした三分はハードルが高すぎるけれど、ほんの少しだけ、親相手ならどうにかできる気が湧いた。
私は勇気を振り絞って、画面の向こうの誰かの助言を聞いて、実行してみることにした。
「ねぇ、お母さん。明日の天気ってさ――」
母の目を見ながら、まずは天気の話をする。そのあとは……? もっとちゃんと計画を立ててから実行に移せばよかったと後悔する。けれど、後戻りはできない。強引に、目のあたりを見ながら突き進む。
「ねぇ」
「なに?」
「そんなに見ないでよ。何なの? わたし、鼻毛でも出てる?」
「え……そんなこと、ないよ?」
「本当? ちょっと、鏡見てくるわ」
私にはやっぱり、無理だった。三分話すことも、人の顔を認識することも。鼻から毛が出ているかどうか確認することすら、できなかった。
他人の顔なんてわからなくても、学生生活を終えることはできる。
卒業式もまた、人に紛れて、空気のような存在として参加して、三年通った校舎に別れを告げた。
顔だらけなのだろう卒業アルバムは、ケースから取り出すでもなく本棚に雑に差し込んだ。
ため息が出る。あと数週間したら、大学生活が始まる。
きっとこれからも、私は空気として生きていく。
それ自体は、別に問題ない。
けれど、ひとつ、不安に思うことがある。
それは、学生という肩書きを失ったとき、私はどうなるんだろうか、ということだった。
お金を払って学ぶ立場であるときは、きちんと学んでいさえすれば、そのコミュニティから排除されることはない。
しかし、社会に出るとなったら、そう簡単にはいかないと思う。
誰かとコミュニケーションを取って、お金になることをしないと食べていけない。
死にたいといえば死ねるわけではないこの世の中には、野生動物のように生きることを覚悟しない限り、人と関わらずに生きていく術なんてない。
就職活動が始まるのが、卒業論文を書きだすころ。となると、私に残された猶予は三年。
その間に、普通の人間にならないといけない。
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