第32話 復天少女

 クリスは椅子に縛られたオフィーリアに駆け寄った。


「これはいったい……」


 何が何だかさっぱり分からなかった。死んだはずのオフィーリアが動いて喋りだすのも、中見が憎い仇に入れ替わっているのも、理解できない。


 ビビが言う。


「死んではいません」


「え? でも……」


 たしかにオフィーリアは気を失っているだけのように見えた。しかしそれはクリスの理解を超えた事象だ。


 その体がピクリと動く。


 ビビが無表情で腕を上げた。そして叫ぶ。


「フレーフレー、ジヴァーナム様! フレッ、フレッ、ジヴァーナム様!」


 クリスは呆気にとられてそれを見つめた。ビビさんはいったい……何をやっているんだ?


「フレッ、フレッ、ジヴァーナム様!」


 恐ろしいほどの無表情だ。何を考えているのか、クリスにはさっぱり読み取れない。


 率直に言えば――こわい。


「んん……」


 くぐもった呻きをあげながらオフィーリアが目を覚ました。


 その瞳は夜のような黒ではなく、太陽のような黄金だ。


 これはオフィーリアではない。秩序神でもない。クリスは一度あったきり、寵愛を授けてくださって以来の――ジヴァーナム様だ。


 目をランランと輝かせている。


「ふっははは! ニヴェルめ! 姉に勝てる弟などいないのじゃ! しばらく神界に引きこもって反省しているがよい! その間に……復讐を遂げてやるぞ!」


 ビビが指を振った。ジヴァーナムを拘束する縄が一人でにほどけていく。


「あの……ジヴァーナム様?」


 ようやく目があった。


「愛しい我が信徒よ。修業は順調ではないようだが、すべてを忘れて我が教えに身を捧げるがいいぞ」


「…………」


 口をつぐむ。復讐者というクラスは辞める予定なのだ。すでにエディとともに職探しを始め、成果も出ている。


 ビビが沈黙を破った。


「ジヴァーナム様、今からエディがあなたの村を焼いたメロナワイバーンを殺します。それを見届けたら……心を浄化し復天していただきたい」


「えー、いやじゃなあ。いやじゃいやじゃ。まだまだ破滅的享楽を味わいたいのじゃ」


「…………」


 クリスにはよく分からない。もうついていくのは諦めた。


 でもどうしても気になることがあった。


「ジヴァーナム様、神官様は星界で――元気にしていらっしゃいますか?」


 ジヴァーナムは嗤う。


 そしてその瞳は輝きをゆっくりと失い、元の色に戻っていく。


 黒色だ。


 クリスはこの優しげな瞳が大好きだった。安心させてくれるし、落ち着かせてくれる。金や銀みたいに派手ではなくとも確かに魅力的な輝きがあるのだ。もう一度見たいとずっと思っていた。


 そしてその唇が動く。


「クリス……」


「……そんな……まさか…….」


 信じられない。


 そんなことがあり得るのか。


 オフィーリアは邪悪に笑った。


「救世主は蘇る。いつだってそういう定めなのです」


「しんかんさまっ!」


 クリスは抱きついてその大きな胸に顔を埋める。


 柔らかさ、温かさ、ゆっくりとした鼓動が生きる人間であることを証明していた。


「よしよし。お姉さんに甘えなさい。こうなった以上は仕方がない。お兄さんも許すでしょう。――また一緒にパフェでも食べますか、この街中の甘味を食べ尽くすのです」


「はいぃ! しんかんさまぁっ!」


 涙が溢れ出てくる。


 死者の蘇生。人の業ではない。


 クリスは確信した。その言葉通り、オフィーリアという存在はこの世に舞い降りた救世主に違いないのだ。


 クリスの心は揺れていた。


 神への信仰。師匠への忠誠。


 泣き叫ぶクリスとそれを撫でるオフィーリア。そして表情のないビビ。


 ビビが静かに口を開いた。


「倉庫の屋上に登りましょう。そこからならよく見えるはずです」




▼△▼




 一歩歩けば重みでたわむ。


 そんな薄い天井の上に三人で並んで立った。


 暗い天を仰げば、そこにはこっちに向かって真っ直ぐ飛んでくるメロナワイバーンが見えた。


 それも二匹。


 なぜ?


 首をひねる。


「ビビさん。なんであの竜はこっちに来てるんですか?」


「……さあ。なぜでしょうか」


「それはね、クリス。あの竜は非常に傲慢で暴力的であり、自分より遥かに高位存在である私を付け狙っているのです。しかし恐れてはいけません。私たちには心強い――配下がいます」


 配下。


 いったい誰のことだろうか。まさかエディではあるまい。オフィーリアはエディにいつもしてやられている。


 ふと、足下を赤い何かが駆け回るのに気付いた。


 それは矮躯に見合わぬ跳躍力をみせてオフィーリアの体を這い上り、肩の上にふてぶてしく座り込んだ。


 赤毛のリス。


 オフィーリアを死に追いやった元凶であるはずが、エディになっていて、今はただのリスのように見える。


 オフィーリアはその頭を優しく撫でた。


「配下の配下は我が配下。よく分かっているようですね」


 メロナワイバーンはかなり近くまで迫っている。二匹の竜は翼を力強く動かし、螺旋を描くようにして飛んでいた。


「もうすぐでしょう。……オフィーリア、よく見ておきなさい。憎い宿敵が地に堕ちます」


「はい。……まあ受け入れるとしましょうか。あれが故郷を焼いた個体かは分かりませんが、そう思い込むことにします。そして神職クラスを失い、私は私のお兄さんのヒモニートになります」


「…………私の・・、とは?」


「仲良く半分こですね、ビビさん。いや――ビビちゃん」


「…………」


 二人は仲よさそうに話している。クリスは尊敬するお姉さま方が仲を深めていることに感じ入った。


 どちらも変わった人であることに間違いはないのだが、相性は悪くないようだ。


「あ」


 オフィーリアが声を上げた。その視線は空へ。


 流れ星が駆けていた。


 黒い背景に銀色の尾を引きながら瞬く間に視界を端から端まで駆け抜けていく。


 願いことをするのも忘れて見入ってしまう。絵画にでもなりそうな美しい光景だった。流星はそのままの勢いで水平線に吸い込まれる。


 突然、二匹のメロナワイバーンが体勢を崩した。乱気流に飲みこまれた小鳥のように翼をばたつかせ、錐揉み回転しながら落下する。


 見れば腹に大穴があいていた。どくどくと煮えたぎる血液がこぼれ落ちている。


 しかし竜は――しぶとかった。


 竜は頭を潰しても死んだと思うな。クリスも聞いたことがある。


 死を前にしてぎらつく牙の鋭さにクリスは震えた。ランク1ならばかすっただけで死ぬだろう。


 二匹は制御を失って落下するだけのはずが、しかしなぜかその姿はどんどんと大きくなる。


「あれ…… まずくないですか……?」


 クリスにはよく分からないが、瀕死のメロナワイバーンがこっちに敵意剥き出しで近づいてきているのは分かる。


 本能レベルで生命の危機を感じた。


「大丈夫です」


 ビビはいつの間にか、杖を握っていた。深いブラウンの美しい杖だ。


 その姿があまりにさまになっていて、クリスは胸を撫でおろした。彼女に任せておけば万一もあるまい。そう思える。


 しかしオフィーリアが一歩前に出る。


「いえ…… ここは私たちにやらせてください。クリス、さあ、最後にでかい花火を打ち上げましょう」


「え……?」


「これが復讐者アヴェンジャーとして放つ、最後の呪いになるかもしれません。クリスが左、私が右です」


 ようやく理解した。


 オフィーリアはクリスにあのメロナワイバーンを迎え撃てと言っているのだ。


 だけど……可能なのだろうか?


 貧弱なランク1の貧弱な呪いが、竜の鱗を貫くことができるだろうか?


 内心の不安を見透かすように、ビビが言った。


「大丈夫です」


「…………」


「クリスなら……できます」


 拳を握りしめる。


 そうだ。やらなくてはいけないのだ。


 クリスは天に指を突き付けた。隣ではオフィーリアもそうしている。


 ここ数日のことを思う。もしかすればあの白竜もオフィーリアの死に関わっていたのかもしれない。……いや、きっとそうに違いない。


 そう考えれば恨みと憎しみが心の中でせりあがってくる。


 しかし決して吞み込まれてはいけない。


 メロナワイバーンはすぐそこまで迫ってきていた。


「さあ、いきますよ」


「はい……」


 オフィーリアが息を吸い込んだ。合わせて吸い込む。


「「復讐の呪いリベンジ・マジック!!」」

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