第31話 冷静少女

「クリス! 落ち着け!」


 般若のような形相で僕(アカリスのロースくん)を睨みつけるクリス。


「誰も死んでないよ!」


 フーッ、フーッと荒々しく息を吐いている。指を僕に突きつけてきた。


 桃色の瞳が暗い光を宿して輝き始める。邪悪な気配が膨らんでいく。


 おいおい。


 これは――まずいかもしれない。


「深呼吸だ!」


 僕の言葉が届いたのか、クリスの表情が変わる。


 三秒で吸って、三秒で吐く。僕が以前に教えた怒りをコントロールする方法だ。


 眉はギュッと寄せられて体がこわばってはいるが、突然呪いが暴発するようなことはなさそうだ。


「はあ……」


 危なかった。


 この体ではクリスの呪いの光線を避けられるか怪しい。もし当たったら、呪詛返しでクリスが怪我する。


「クリス。このリスは――僕だ。エディだ」


「!? え? 師匠? ……リスになっちゃったんですか?」


「そうだよ」


「そ、そんな……」


 クリスをじっと見つめていた秩序神が沈黙を破った。


「これはまた穢らわしい人間ではないか。なんと邪悪なことよ。……はやめに殺しておくべきだろう」


「あなたはいったい…… 神官様はそんなこと言わないッ! 神官様の体から出ていけッ!」


 言い合う二人を尻目にビビが僕に囁いてくる。


「エディ。ここは私に任せてください」


「え?」


 ……どうするつもりだ? ここをビビに任せて僕は何をすればいいんだ?


 ビビは僕に意味深げな目配せをしてーー走って倉庫から逃げ出した。


 その肩から放り出されて地面にシュタッと着地する僕。


 えー!?


 なんで出て行った?


 ここは任せろって言ったじゃん!?


 理解不能だ。僕は必死に自分に言い聞かせた。


 落ち着けエディ・シドニー。ビビは読むのは得意だが話すのは苦手で、よく言葉を誤用する。


 何か別の意図があったのだろう。彼女は頼りになる相棒である。とりあえず信じるのだ。


「我は秩序の神ニヴェルである。ひれ伏せ、悪魔の落とし子よ」


「あなたが秩序神…… よくも神官様をッ! 殺してやる!」


 クリスは呪いの言葉を吐き出しながら、しかし比較的冷静に、秩序神に指を向けた。


復讐の呪いリベンジ・マジック!」


 紫色の光線は勢いよく飛び出して秩序神の黒い装束を切り裂きーー霧散した。


「そんな低位の呪いが効くわけないだろう。神を馬鹿にするな」


「そんな……」


 縛られた秩序神とクリスは遊んでいる。


 秩序神は目からビームを出すからあまり近寄って欲しくないんだけど……


 これどうしようかな……


 さっぱりわかんないや。


 落ち着けエディ・シドニー。問題を一つずつ解決するのだ。


 まずは秩序神を追い出すこと。これにはジヴァーナム様を応援するのがいいらしい。


 わけわかんないな。とりあえず保留だ。


 そしてクリス。最初は暴れ狂うかと思ったがどうにか鎮まってくれた。だが宿敵(?)を前にしてずっと冷静でいてくれるかは分からない。


 とりあえず保留だ。


 そしてメロナワイバーン。近づいてきているとはいえ、まだ攻撃が届く距離じゃない。とりあえず保留だ。


 全部保留じゃないか!


 どうしたらいいんだよ!


 頭を抱える僕。倉庫の扉がガラリと開いた。

 

 ビビだ。


 手に持っているのは……心臓ハツだろうか。


 そういえばジヴァーナム様は心臓ハツが好物だったことを思い出す。でもそれをどうするつもりだ?


 無言のビビはツカツカと秩序神に歩み寄り、その口の中にハツを突っ込んだ。


 そんなのでうまくいくわけがない。


 そもそも今の体の主導権は秩序神にあるのだ。眷属、亜神とはいえど神様だ。簡単にどうこうできるわけはない。


「な…… なんッ…… おおおおぇぇぇ」


 喉の奥まで手が入っている。


 ビビ、神様相手によくやるなあ。


 秩序神は激しくむせながら目を白黒させた。相当苦しそうだ。


 そしてその銀色に輝く瞳がチカチカ明滅を始める。


「ん……?」


 次第に煌めきを変えていく超常の虹彩。


 倉庫全体を照らすような強い光になって、視界が真っ白に染まっる。


 強く閉じた目を開いたとき、秩序神は意識を失ってぐたりと椅子に体を預けていた。


 いや、これはオフィーリアに戻ったのか?


 どうなったんだ?


 心臓を口に突っ込んだだけでどうにかなるとは思えないけど。


 もうなんか……どうでもいいや。


 どうせオフィーリアのことだしケロッとしてなんとかなるだろう。


「ビビ、ここは任せた。僕は――竜退治に行ってくるよ」


「はい」


 呼応するように、メロナワイバーンの大地をも裂くような咆哮が聞こえた。薄い倉庫の壁が震えている。つがいの咆哮は重なり合って共鳴していた。


 教会に属する亜神とペットを一夜で敵に回すことになるが、いたしかたなし。


 クリスに手を出すことは許されない。




▼△▼




 僕の精神は僕自身の肉体に戻ってきた。


 マルコに抱えられている。全力疾走の彼はマルマル荒野をすでに抜けてアウルベルナにほど近い林までたどり着いていた。


 そしてその背後には――地を這う翼なき竜、ニルフ・ワイバーンがいた。


 顎を大きく開き、唾をまき散らし長い牙をあらわにしながら迫りくる茶色の竜種。


「なんか今日、竜がおおいなあ……」


 僕の体はマルコの走りに合わせて揺れる。なんだか心地いい。眠れさえしそうだ。


「師匠!? 戻ったなら……自分で走ってください!」


 マルコはぜえぜえ息をしながら僕を放り出した。おいおい、師匠への優しさが足りてなくやしないか?


 シュタッと着地する僕。


 ついでにニルフワイバーンに思い切り殺意を叩きつける。無音の圧力でそいつは足を止めた。


 そしてくるりと回れ右をする。


「よしよし…… いい子だ」


 野生の魔物は賢い。彼我の力の差を正しく理解することができる。


 しかし教会に放し飼いにされているメロナワイバーンは違った。人は自分に危害を加えない、加えることができないと――勘違いしているのだ。


 そして、そのツケを今から払うことになる。


「マルコ、ここからあれをやるよ」


 僕を置いて走り去ろうとしていたマルコを呼び止める。


「あれって…… アレですか?」


「アレだよ」


 マルコは痛烈にその顔を歪めた。


 僕は性根が徳の高い人間ではないので、だからこそ数いる弟子の扱いに優劣をつけないように意識をしている。


 しかし、マルコはお気に入りだった。


 なぜか。


 それは彼が鋼拳士というオモシロクラスを持っているから。体を鋼のように固くし、さらには武器に変形させるという能力は非常に珍しい。


「愛する女神、アリス=マリアよ。私に弓をお貸しください」


 祈りを捧げる。全身を満たす寵愛に意識を向け、感謝の念を天に伝える。


 僕の目の前に光が現れた。最初は弱々しかったそれは瞬きごとに光度を増し、すぐに目を開けていられないほど眩しくなる。手を伸ばして、光をつかみ取る。


 目蓋を開いた。光は霧散し、僕の手の中には大きな弓があった。


 弓、というには巨大すぎるだろうか。


 僕の身長をはるかに超える大きさ。大型弩砲のようにもみえるそれは、アリス=マリアが信徒の巨人に与える弓だ。


 弓の最下部には杭があって、それを地面に突き立ててしっかりと固定する。


「ほら、はやく」


 マルコをせかす。


「いやだなあ……」


 嫌そうな表情を隠そうともしないが、その皮膚は徐々に硬質化をはじめ、形を変えていく。


 頭の先が鋭くとがり、腕と足は胴体と一体化して細くなり、綺麗な一直線を形作る。


 矢だ。


 マルコは矢になった。巨大な弓に見合う巨大な矢である。


 彼の足だった部分を掴んで持ち上げる。かなり重い。


「いやすぎる……」


「まあまあ。矢になって竜を殺すなんてそうそうできない経験だよ」


「…………」


 矢をつがえる。


 狙いは遥か天上の白竜。巨大な弓矢はその鱗を容易く突き破るだろう。


 旋回する二匹のメロナワイバーンの水晶の目玉が確かにこちらに向いた。


 気づいても――逃げることはできない。アリス=マリアの狩りとはそういうものだ。


「じゃあマルコ。いってらっしゃい」


「いやだあああああああああああ!!」

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