第30話 復讐少女

 何言ってんの?


 そう言おうとしたところで通信は切れてしまった。


 立ち尽くす僕をよそに、マルコは必死に戦っている。彼のクラスは鋼拳士。体を鋼のように硬くでき、さらには武器に変形させられるというフザけたクラスだ。


 最初は数あるネタクラスの一つかと思っていたが、伸ばしてみれば意外と強かった。ランク4で二体のメロナワイバーンと渡り合うというのはなかなかな偉業だ。


「ヘルプッ!!」


 マルコは食べられそうになりながら叫んでいる。彼は頑丈なので噛まれても死なないと思うのだが、食べられたくはないらしい。


 本当はもう少し彼の修行を見守っていたいのだが、事情が変わった。


 事務所で何かあったようなので急いで帰らなくては。


「ねえ、ごめんけど、もう倒しちゃうよ」


「早く倒せ!」


 マルコの口調が荒くなっている。怒っているのだろうか。おかしな子だ。


 僕が背負った弓を持ち、矢をつがえようとしたとき。


 メロナワイバーンはマルコに齧り付いていた顎を離し、空へ浮かび上がった。二頭の白竜が輪を描くように飛翔し、どんどん高度を上げる。


 あっという間に鳥ほどの大きさになってしまった。


「マルコ、逃げちゃったよ。僕が投げ飛ばすから、引きずり降ろしてきて」


「いやいや無理ですって! さすがにあの高さは……死にますッ!」


「君、いつもそう言って死なないじゃない」


「今度こそ死にますッ!」


 どうやって説得しようかと頭を捻らせていると、メロナワイバーンたちは動きを変えた。


 体を傾けて進路をずらし、その頭の向かう先はーーアウルベルナ。


 なんとなく嫌な予感がする。


「マルコ、僕少しリスになるから、僕の体を抱えてアウルベルナまで走って戻って」


「え? リス? ……ああ、いや、でもこのフィールド俺一人じゃキツイんですけど」


「マルコならできる。君は――僕の弟子なんだから!」


 梅干しを放り込まれたようなマルコの顔を最後に、僕の視界は暗転した。



▼△▼



 アカリスのロースくん。僕の使い魔だ。そして我が女神アリス=マリアの象徴動物でもある。


 僕は彼の体に入り込むことができる。ある意味ではオフィーリアの体に神が憑依するのと同じ技術だろうか。


 オフィーリアに預けていたはずのロースくんは、倉庫の隅で小さくなっていた。


 僕の視点はとても低い。リスの体は不便だ。短い首を動かして倉庫内の様子を探る。


 ビビ、それから五人の哀れな実験動物、そしてーーオフィーリアじゃない。


 これは神だ。


 明らかに人とは違う存在感。そこにいるだけで世界に歪みをもたらすほどの強烈な圧力。


 そんな存在が魔法陣の中央に転がり、縄でぐるぐる巻きにされて芋虫のようにジタバタ動いていた。


 また神かよ。面倒すぎる。人の体だったら僕の顔は痛烈に歪んでいたところだろう。


 小さな足で駆けて、ビビの体をよじ登る。


「エディ?」


「エディだよ」


 僕はビビの肩の上に座り込んだ。


「……どうなってんの?」


「……分かりません」


 彼女の声は震えていた。ジヴァーナムよりずっと強力な神を前にして恐怖を殺し切れないようだ。


 僕は恐る恐る挨拶をした。


「くるるっ」


「……」


 おっと間違えた。これはリス語だ。


「こんにちは」


「……貴様、我を愚弄しているのか? 我は秩序神であるぞ!」


 秩序神って実在したの!?!?


 オフィーリアの妄想じゃなかったのか?


 今まで生きてきて聞いたことの名前だった。到底信じられないが、しかしこの肌で感じるこの威圧感は神に違いなかった。


「さっさとこれをほどけ!」


 その顔には敵意と殺意がこれでもかと表されている。当然解くわけにはいかない。僕は問題ないだろうが、ビビの安全は保証できない。


 ビビに囁く。


「どうしようか……?」


「さあ……」


 今はジヴァーナム様を浄化するという大事なミッションの真っ最中なのだ。秩序神なんていうふざけたやつに邪魔されるわけにはいかない。どうにかお帰りいただきたいのだが……


 頼んだところで素直に帰ってくれそうにはない。


 いったいどうすればいいんだよ!


「エディ、この神は依代体質のオフィーリアの体を狙っているようです。祈りのこもった十字架に触れた瞬間に憑依したので、教会側の神であることに間違いはないかと」


 ますます厄介だ……


 しかしオフィーリアを素直に差し出すのもいかがなものか。クリスのことをしゃべられるのは困るのだ。


 秩序神はずっとこちらを罵っている。神の言葉も混じって聞き取れない部分もたくさんあった。相当お怒りだ。


 僕は指で聖印を組んで愛する女神アリス=マリアに祈りを捧げた。神のことは神に頼るべきだろう。


 どうかお導きください。お導きください!


 ……返事があった。僕の心の中に柔らかな光が降り注ぐ。張り詰めた緊張が緩んで息を吐き出したくなるような心地よさ。


 ――神託だ。


『彼は秩序のニヴェル。創造神の眷属、亜神です』


『はい』


『…………』


 なんで黙る? 助言をください。


『それでどうすればいいのでしょうか?』


『……彼女の中で秩序神と復讐神が体の主導権を巡って争っています。復讐神を応援しなさい』


『……応援ってなんですか?』


『さあ…… フレーフレーとかですかね』


 神託はそこで終わった。


 フレーフレーってなんだよ! 運動会じゃないんだぞ!


 僕は天界にリスの短い中指を突き立てた。祈りよ届け。まじファック!!!


「ビビ、――ジヴァーナム様を応援するんだ」


「え? 何言ってるんですか?」


「……神託だよ。フレーフレーとかがいいんだって」


「は?」


「貴様ら、我の怒りを受けて生きていられると思うなよッ! 地獄で最高の刑罰を受けるがいい!」


 秩序神様はめちゃくちゃ怒っている。


 突如、ギャオオという耳障りな咆哮が聞こえた。


 メロナワイバーンだ。どうやらもう近くまで飛んできたらしい。なんて速さだろうか。マルコはまだまだ遠い。


 クソッ、問題が山積みだ……


 僕は小さな腕を振り上げた。


 僕は女神アリス=マリアを信頼している。頼りにならないところもあるが、基本は僕に優しい神様だ。何度も助けられた。憎まれ口も信用の証だと思ってほしい。


「ビビ……僕に続け」


 僕は小さな肺に空気を思い切り取り込んだ。


「フレ―フレー! ジヴァーナムさま! フレッフレ、ッジヴァーナムさま! フレッフレ、ッジヴァーナムさま! オー!」


「……フレ―フレー、ジヴァーナム様。フレッフレッ、ジヴァーナムさま。フレッフレッ、ジヴァーナム様。オー」


 僕とビビは一節を終えた。


 秩序神は青筋を立てた。


「何の真似だ? 何がしたい? 貴様らはバカなのか?」


 ジヴァーナム様が戻ってくる気配は――ない。


「今のはどういう意図だったんだ? そんな歌で……我の力を削げると思ったのか? ――もういい。これは避けたかったが……」


 ダメじゃねえか! あのクソ女神!


 ふざけんじゃねえ! 


「死ぬがよい」


 秩序神の目がひときわ輝き、ビームが飛び出した。間抜けな絵面だが、威力はある。


 ビビは寸前でそれを躱した。しかし避けきれず、肩がわずかに切り裂かれる。ポタリポタリと血が床を濡らした。


 再び、夜空を震わせる竜の咆哮が響く。さっきよりも近い。




 倉庫の扉が開いた。


 クリスだ。


「ヴァイオ…… え、しんかんさま……?」


 場は凍った。


 床に描かれたいかにも禁忌的な魔法陣。


 その上に縛られている去ったはずのオフィーリア。


 ビビの肩から垂れる血。


 隅に散らばっている教会の刺客五人は、ビビを取り囲んでいるようにも見える。


 そしてアカリスのロースくん(の体に入っている僕)。


 これはまずい……


「なにがどうなって……」


 桃色の瞳が暗い光を宿した。僕を殺さんばかりに睨んでいる。


「また……おまえの……おまえのせいかっ――!」


 クリス! 落ち着けッ!


 僕はただのリスだ!

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