第29話 降臨少女

 エディ・シドニーの事務所には大きな倉庫がある。


 本来子供が走り回って遊べるくらいには広い空間だが、所狭しとさまざまな品が放り込まれているせいでそう広くは見えない。


 希少すぎて売り捌けなかった魔物の素材、いつか使えるかもと思って置いている魔道具、遠い異国の珍物など、見る人が見れば白目を剥くほど価値の高い宝物が並んでいる。


 現在はそれに加えて教会の暗殺者五人も監禁しており、ますます手狭に感じてしまう。


 倉庫の中に立ち、ビビは途方に暮れた。


 エディはこの中に瀕死のメロナワイバーンを連れ込むつもりらしい。確かにこの倉庫は広いが、竜の体をそのまましまいこめるほどではない。


 翼と足を切り落とすつもりらしいが、それでも入るかどうか。ビビはメロナワイバーンを直接見てはいないので分からないが、一般的な竜種なら入るとは思えない。


 そもそもあの巨体をどうやってここまで運ぶつもりなのか。いくらエディといえどもそんな派手で大きな荷物を抱えて誰にも見られず街の門をくぐってここまで辿り着けるはずはなかった。


「まあ……やるだけやりますか」


 ビビがエディに頼まれたのは倉庫内の整理である。彼は「メロナワイバーンを捕まえてくるから倉庫にスペース作っておいて」とだけ言い残して風のように去っていった。


 残されたビビは訳が分からずしばらく考え込み、オフィーリアに話を聞いてようやくエディの考えを把握したのだった。


 村を焼いたメロナワイバーンを殺して復讐するというのは理解できるが、クリスとオフィーリアを連れて街の外で実行すれば良いのではないか。ビビはそう進言したかったがエディはいない。


 エディはセルフォンを持っていったはずだが、戦闘中の可能性もあるため軽々しく使うのは躊躇われる。


 メロナワイバーンを瀕死にしていざ運搬する段階なればエディも気付いて連絡してくるはずだ。それを待とう。ビビは懐にセルフォンがあることを確認した。


 とにかく倉庫の整理をしなければ。


 時間はそうあるわけではない。もしかしたら無駄になるかもしれないが、どちらにせよいつか倉庫は片付けなければいけないと思っていたのだ。それを今日やるだけである。


 ビビは手をぱちんと叩いた。


「ではみなさん、協力をお願いします」


 焦点の合わない目でぼんやりしていた教会の暗殺者五人の意識が覚醒する。


 度重なる記憶消去の魔法、さらに精神に影響を与えるさまざま魔法によって彼らの意識は常に混濁していた。


 しかしどういうわけかビビの命令には素直に従ってくれる。これはきっと何度も友だちになったことを深層意識で覚えているからに違いない。記憶消去の魔法は全てまっさらにするわけではないのだ。


 研究者と被験者という立場ではあるが、そこに芽生えた友情関係というものにビビは不思議な喜びを感じていた。記憶も立場も超えた友情である。


「とりあえず棚を端まで動かしてください」


 五人はのろのろした動きで命令を実行していく。知性はまだしっかり残っているようで自分で考え協力することもできる。エディはもう壊れちゃったんじゃないと言うが、ビビにはそうは思えなかった。


 ビビの指揮下で倉庫内の整理が進んでいく。物がどんどん隅に追いやられて中央に広い空間が生まれた。


 しかし、これでメロナワイバーンが収まるだろうか。


 ビビは口を開いた。


「みなさん、ここにメロナワイバーンを連れてくるのですが、十分な広さだと思いますか?」


 教会の人間ならメロナワイバーンを見たことがあるかもしれない。そう思っての質問だったが、言い終わって気づいた。彼らは記憶を失っているのだった。


 彼らは目を見合わせて表情を歪ませ、一人は膝から崩れ落ちた。


「俺たち、ワイバーンとここで一緒に監禁されるのか……?」


「喰われちゃうよ……」


「……」


「アババババ」


「助けてください……神よ……」


 ビビは顎に手を当てる。彼らはなぜ怯えているのか。そして理解した。


「心配することはありません。メロナワイバーンは翼と下半身を切り落とされる予定です。すぐ殺すでしょうし、みなさんに害は与えません。隅っこで大人しくしていてください」


「……」


 彼らは唇を引き結んで黙る。予想通りの反応が得られずビビは歯痒い思いだった。友人とのコミュニケーションでさえこんなにも難しいとは。


 まあとりあえず、できることはした。あとはエディからの連絡を待つだけだ。


 その時、倉庫の扉が開いた。


 オフィーリアがひょこりと顔を出す。


「あ、ビビさん。私も手伝いますよ? ーーって終わってますね。あれ? この人たちは…… どこかで…… アッ! 料亭で襲ってきた人たちだ!」


 オフィーリアは睨みつけるように眉を寄せて指を突きつける。


「性懲りも無く、また来たのですね! 秩序神の手先め! 今度こそ息の根止めてあげましょうか!?」


 五人は何も分からずただ困惑している。ビビは助け舟を出すことにした。


「落ち着いてください。彼らは記憶を失い、今は私の友だちです」


「友だち? ……ジヴァーナム様を受け入れたということですか?」


 ビビはオフィーリアとの会話が苦手だ。この妄想についていけない。


「そういうことです」


「なるほど!」


 オフィーリアは腰に手を当ててふんぞり返った。


「であれば過去の罪は許しましょう! 共に神敵を討ち滅ぼすことを誓うのです! ……さあはやく! さもなくば命はない!」


 オフィーリアは仮にも神官だ。その朗々とした言葉には力が宿っている。


 彼らの一人は迷いながらも膝をついて首を垂れた。そして他の四人にも恭順を促す。


「誓います……」


「すばらしい! ジヴァーナム様もお聞き届けなさったでしょう。さあ残りの方々も!」


 ビビとしては友だちを邪教に染められるのは嫌だった。五人もいるのだ、一人くらいなら構わないが五人全員を邪教徒にされては被験者に偏りが生まれてしまう。


「オフィーリア。それはあとにしましょう。――それよりもジヴァーナム様を浄化する準備をしてください」


「ええ…… 私嫌なんですけど……」


 ビビは黙って指に雷を纏わせた。嫌なんて言葉を許すはずもない。これには世界の命運がかかっているのだ。


 それを見てオフィーリアは縮み上がる。


「わかりましたわかりました。でもジヴァーナム様、聖水のせいで弱ってて出てきてくれるかどうか……」


 弱っている。それは好都合、なのだろうか? 邪神の復天についてはビビも資料を探したが、強力な邪神のものばかりでジヴァーナムのような弱小神様の事例は見つけられなかった。


 結局やってみるしかないのだ。


 ふと、オフィーリアが倉庫中央の床に描かれた魔法陣に近づいていく。


「わあ、これかっこいい。悪って感じがぷんぷん香りますね。ビビさんが描いたんですか?」


 顔料は血。文字は遥か古代のもの。記憶消去の魔法を行う際に用いた補助魔法陣である。


 禁術ではあるが既に忘れ去られたものであり、古い文献の中で偶然見つけたビビ以外は誰も知らないはずだ。しかし見ただけで分かる邪悪さを醸し出していた。


「ええ。記憶消去の魔法です。無闇に話してはいけません。その身で魔法の効果を味わいたいのでなければ」


「分かってますって! でもかっこいいなあ。描けるようになりたい……」


 チラリと目線を飛ばしてくるオフィーリア。よく分からないのでビビは黙った。


 数秒経って、オフィーリアは陣の側に駆け寄っていく。


「なんか落ちてますよ」


 その言葉通り、魔法陣の上にキラリと輝く金属の何かが転がっていた。


 教会の暗殺者の一人が声を上げる。


「あ…… それ私のです……」


 教会の紋章である十字を模ったネックレス。そこそこの神の力を込められた品だ。


「ふーん、教会のですか」


 オフィーリアが邪悪な笑みを浮かべた。屈んでそのネックレスに手を伸ばし、指先が触れたその時。


「ッ!?」


 光が炸裂した。咄嗟に目を瞑る。


 網膜を焼くような強力な光だ。太陽を直視した時の強烈な違和感が残される。


 いったい何だというのだ。まさか何者かに襲われたのか。


 目を開いて状況を確認する。倒れ込んでいるオフィーリアと、おろおろしている五人衆。敵影は見えない。物音もしない。


「オフィーリア、大丈夫ですか?」


 うつ伏せで床にキスしているオフィーリアに声をかける。死んではいないようだが……


 その体がむくりと起き上がった。不自然な動きだ。まるで糸で上から吊り上げられているように、腕の力を使うことなく立ち上がる。


 その顔がこちらを向いた。


 空気が白く塗り潰される。上位存在の圧力が全身の毛を総立たせる。見るだけでも目が痛い。漆黒だったはずの瞳が輝きを放ち、その色を変えていた。


 その瞳の色は――銀だ。


 夜空の女王である月を思わせる冷たい色。何度か見たジヴァーナムのそれとは明らかに異なる。


 ビビは後ずさった。それが唯一許された行動だった。


 オフィーリアは依代。神が降りてきたのだ。


 しかしそれは復讐と破滅の神ジヴァーナムではない。だとしたらいったい――


「我は秩序の神ニヴェル。跪け、人の子よ」


 秩序神、いたーーーー!!!


 ビビの心は驚きで埋め尽くされた。ただただ目を見開く。オフィーリアの妄想とばかり思っていた。


「跪けと言っている」


 冷たい声だ。ビビは従った。震える膝が痛い。顔を伏せて直視を避ける。


「……貴様はジヴァーナムを信ずるものではないようだな」


「……」


「ならば良い。この体は人間界における我が器とする。ジヴァーナムの守護が弱まっていて好都合だった。貴様のおかげだろうか」


「……」


「喋れないか。……さらばだ、人の子よ」


 それだけ言ってニヴェルは背中を見せた。


 ビビを奥歯を噛み締める。行かせるわけにはーーいかない。


 どうすればいい。なんとか引き留めなければ。オフィーリアを失うことはジヴァーナムを失うことだ。せめてエディが戻るまで時間を稼がなければ。


 ビビは顔を上げた。


 何かないか。何か……


 ニヴェルは丁度魔法陣の上に立っていた。脳内でシナプスが連鎖していく。


 立ち上がって叫ぶ。


「記憶を奪え、ヴァサゴ!」


 不可視の悪魔の手が魔法陣の中から伸びてきて、ニヴェルの頭に指を突っ込んだ。しかし弾かれる。


 それでもその体はバランスを崩した。片手が頭を押さえるように持ち上がり、片足は体勢を持ち直そうと足踏みする。


 まだビビに背中を向けたままだ。もう一度叫ぶ。


「拘束せよ!」


 倉庫内に置いてあったロープ、エディが編み祈りを込めた縄が一人でに動き出し、ニヴェルの体に巻きついていく。


 ランク7狩人の力は、神とはいえ人肉に縛られた存在にも有効なようであった。ニヴェルは縄を引きちぎろうと腕を振り回すがむしろ束縛を強めるのみ。


「貴様ッ!」


 銀色の瞳がビビを貫く。思わず目を逸らした。


 震える手で懐のシェルフォンを取り出す。


「エディ! エディ!」


 ややあって返事があった。


「もしもし、エディです。どうかした?」


「秩序神が降臨しました……」


「……え?」


「秩序神が降臨しました……」

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