第28話 白竜少女

 荒野を駆ける。


 アウルベルナからそう遠くないマルマル荒野だ。夜のマルマル荒野は気温が氷点下近くまで降下する。吐く息は白い。


 膝下より短い草木しか生えておらず、視界を遮るものはほとんどない。風が乾いた砂を巻き上げた。地上に人の灯りが無い分星空はとても綺麗である。


 静かな荒野だが、砂の中や岩陰にはたくさんの生物の気配がある。獰猛で貪欲な魔物たちだ。


 ここマルマル荒野の魔物は強い。ギルドの推奨はランク4が五人以上のパーティーである。単独行など自殺行為とみなされる。申告すれば必ず止められるだろう。


 しかし、ランク7の僕は数少ない例外だ。僕の命を脅かす魔物などそうそう存在しない。


 僕は無駄な戦闘を避けるべく気配を隠していなかった。激しい競争の中を生き抜く魔物たちはみな強者の匂いに敏感で、息を止めるようにして隠れ潜んでいる。そして僕が駆け去ったあとに再び縄張り争いと殺し合いを開始するのだ。


 向かう先には巨大な生命力があった。メロナワイバーンだ。


 他の魔物とは一線を画す存在感。そこには魔物がほとんど寄り付かず中心点を囲むように空白地帯が生まれている。


 せっかくの竜退治なのに一人で行うのももったいないので、僕は元弟子の一人を連れてきていた。突然押しかけても快く同行してくれた気の良い男だ。


 隣を走る彼が言う。


「あの……そろそろどこに向かってるのか教えてくれませんか?」


「これだけ近づいても分からないとはね。鈍ってるんじゃない。鍛えなおしてあげようか」


 彼の名はマルコ。爽やかなイケメンだ。ギルドでは期待の若手であり、その名はかなり広く知られている。


「せっかく地獄の修行を卒業したのに、もういやです」


 マルコは頑丈な良い奴なので、僕は無茶なことをいろいろさせた。彼の今の大成はきっとそのおかげもあるだろう。


「はー。これだから最近の若者は。甘いんだよね」


「……老害ムーブやめてください。歳そんなに変わらないですし」


 僕は現役世代にあれこれ口を出すのが好きだ。とても気持ちいい。問題は僕がまだ若くてまともに受け止められないこと。


 今日の獲物についてはまだマルコには秘密にしていた。サプライズというわけだ。きっと喜んでくれるだろう。


 魔物たちに殺気を飛ばしながら走る。


 少しすると、人類の中で最高級に鋭い僕の聴覚がメロナワイバーンの呼吸音を捉えた。そう遠くない。


「そろそろ目視できるかな」


「はい」


 崖にたどり着いた。風がひときわ強く吹いている。そこは峡谷のような地形だった。下を覗き込めばちょろちょろと流れる細い川が見える。


 その川を我が物顔で占有する生物がいた。


 黒色蠍だ。頭部を川底に突っ込むようにして水を飲み、反り立った尾が雄々しく天を衝いていた。黒光りする表皮は自然界ではなかなか見られない漆黒だ。


「あれですか?」


 違うよ。そう言おうとした瞬間、強い風を感じて咄嗟に腕で顔をかばった。


 白い何かが空から落ちてくる。隕石かと見紛う質量と速度だ。それは正確に大地の裂け目に飛び込んでいき、黒色蠍の上に落下した。


 硬質な鎧が砕け、中の柔らかい組織が潰れる音が響く。不快で巨大な音に僕は耳を塞いだ。


 崖底で明るい光が炸裂し、夜空まで照らす。炎だ。黒色蠍が炙られていた。パチパチチリチリと炎が弾けて黒色蠍の身が縮んでいく。


 マルコは腰を抜かして尻餅をつき、顔をこわばらせていた。まだまだだなあ。


「竜だ……」


 白い隕石の正体はメロナワイバーンである。この地のヌシを気取っていた黒色蠍を一撃で仕留め、こんがり焼いていただくつもりらしい。


「え…… まさかアレじゃないですよね?」


「アレだよ。いつか竜を倒すのが目標ですって言ってたじゃないか」


「言いましたけど…… メロナワイバーンは教会の聖なる獣ですよ。怒られるじゃすみませんって」


「バレなきゃいいんだよ」


「……まじでやるんですか?」


 僕は頷いた。マルコは嘆息した。


「分かりました。手伝いますよ…… 俺に何ができるか分かりませんけど」


「……ん? ありがとう。マルコが主で戦ってね。僕は支援にまわるよ」


 僕が倒したって面白みがない。せっかく時間を使ってもらっているのだから、マルコにも何かを得て帰って欲しいのだ。


 しかしマルコはいよいよ体を震わせて首を横に振った。


「それはムリですよ! 俺まだランク4なんです。普通に食われて死にます」


「大丈夫だって。僕を信用するんだ。僕は勇者パーティーで支援役を務めてたんだよ。この道では世界最強といってもいい。こんな機会滅多にないから」


「シドニー師匠、さすがに竜は…… 俺にはまだ早いです。五年後くらいにまた来ましょうよ」


「五年後は遅すぎる。今日か明日だね」


 メロナワイバーンを狩り、ジヴァーナム様に復讐を遂げてもらうのだ。仕事が迅速でなければならない。


 僕の必死の説得にも関わらず、マルコは覚悟を決めきれないようだった。


「しょうがないなあ」


 一歩踏み出せない弟子のために、僕が背中を押してあげよう。


「じゃあ明日にしましょう! せめて遺書を書きたいです!」


「えいっ」


 僕はマルコの背中を押した。彼はあっけなく谷底に落下していく。


 落下地点は――ちょうどメロナワイバーンの頭の上。マルコに気付いた白竜は上を向いて喉を鳴らした。ナイフのような歯が並んでいる。


「ししょううううううううう!!!」


「はははは」


 恨みのこもった叫びがこだました。マルコは頑丈だから大丈夫だ。彼は鋼。打てば打つほど固くなっていく。


 ふと、上空に巨大な生命力を感じて天を仰ぐ。


 白い翼が僕の視界を覆い尽くした。砂の粒が巻き上がって肌を叩く。メロナワイバーンが顎を割り開き咆哮する。振動が世界そのものを揺らしていくのを感じた。


「二体目か……」


 谷底のメロナワイバーンと上空のメロナワイバーン。見たところ番だろうか。彼らは不審な小さき侵入者に怒っているようだった。


 いったいどちらがオフィーリアの故郷を焼いた個体なのか。あるいはどちらとも違うのか。そんなに数はいないはずだから、可能性は低くないと思うのだが……


「マルコ、大丈夫かな」


 まあ大丈夫か。頑丈だし。

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