第24話 パン少女
柔らかいソファに寝転がって、お腹の上に乗せたシマリスのハムくんを撫でる。
ハムくんはお腹をくすぐられるのが好きだ。そして僕もハムくんをくすぐるのが好きだ。
毛は柔らかくて細やかで、お腹はゆたんぽみたいに温かくて弾力がある。癒しである。
ここしばらく忙しい日が続き使い魔とのコミュニケーションが疎かになっていたので、僕は過ぎた時間を取り戻すべくハムくんを撫でる。
「クルル……」
ハムくんが鳴いた。
僕も鳴く。
「くるるっ」
あー平和だ。クリスと出会う前の日々を思い出す。穏やかな日々だった。
本を読んでみたり、絵を描いてみたり、凝った料理に挑戦してみたり。弟子もいなくて暇だったので、色んなことに手を出したのだ。何にも続かなかったけど……
そんななか唯一僕が欠かさなかったのは、リスたちとの交流だ。まあ現役の頃からの習慣ではあるのだが。
一昨日はほんとに忙しかった。息つく暇もなかった。
昨日もそこそこ忙しかった。クリスとオフィーリアのせいだ。クリスは酔うと泣き上戸になるし、オフィーリアは構って構ってとうるさかった。
オフィーリアにはロースくんを預けてある。これで少しは大人しくなるはずだ。
「クルル……」
「くるるっ」
がらりと扉が開いた。クリスだ。
「師匠、今日から
冒険者としての装備をきっちり着込んで剣まで帯びているクリス。やる気に満ちているようだ。
「疲れはとれたの?」
「はいっ!」
休みはたった一日でいいらしい。もっと休んでいいんだけど……
まあ勤勉なのはいいことだ。弟子がそういうのであれば、僕も応えるしかあるまい。
クリスと共に訪ねた神殿は百を超えているが、まだまだ数はある。少しずつ冒険者向きとはいえなくなってくるが、どんなクラスでもやりようはあるものだ。なんとかなると思えばなんとかなる。
「そう。なら始めようか。――気をしっかり持つんだよ。クラスはなかなか見つからないものだからね」
才能がないと告げられ続けてメンタルブレイクしてしまったクリスの泣き顔を思い出す。またあんなことにならないといいけど……
「大丈夫です! もう泣きません。私には――神官様がついていてくれてますから!」
「……? オフィーリアはいないよ? 彼女は故郷に帰ったんだ」
「はい! だから、見守ってくれているんです!」
よく分かんない。まあいいか。
気合を入れて頑張ろう。
「よし。じゃあ、エイエイオー!」
「エイエイオー!」
僕らは意気揚々と家を出た。
▼△▼
職探しは早速暗礁に乗り上げている。
「師匠…… 神官様…… わたしダメかも……」
クリスの目は死んでいた。さっきから指先の震えが止まっていない。
「下を向くんじゃない! まだまだやれるよ!」
「そうですよね…… がんばります……」
絞り出すような声。とてもがんばれそうではない。
僕とクリスは大通りのはしっこで立ち尽くしている。クリスに目も向けずに歩き去っていく通行人のなんと無情なことか。みんなでこの子を慰めてください!
半日で五十もの神殿をまわったが、全てでクリスは拒絶された。
そろそろ僕が紹介できる神殿も底を尽く。あと百もないだろう。それまでに加護を与えてくれる神を見つけることができなければ、クリスは剣士か復讐者かの二択だ。
剣士だと強くはなれない。
復讐者だと暴走が怖い。
おわってやがるぜッ……
どちらを選んでも袋小路にぶちあたることになる。その道でクリスが一流の冒険者になるのは非常に難しい。
僕は手を合わせて神々に祈った。誰でもいいのでクリスに職を与えてください。
……いや、誰でもいいは間違いです。邪神は結構です。
「エディ」
突然後ろから声をかけられた。はっと振り返る。
絵画から飛び出してきたような、完全無欠に整えられた女性。夜の海の色を宿した腰まで届く髪と、同じ色の瞳。ビビだ。
「ビビ……」
「私にいい考えがあります」
ビビはクリスを見据えてそう言った。
彼女は……救いの女神だ。
「ビビ! 愛してるよ!」
「……それやめてください」
▼△▼
僕はエプロンをつけて、白い帽子をかぶり、必死に生地をこねていた。こんな経験は今日が初めてだ。
生地というのはこんなにもずっしりと重い物なのか。小麦粉と水と何かしらを混ぜただけなのだから驚きである。さらに、これから軽くて柔らかいパンができるというのだから、もう一度驚きである。
……パン?
……僕はなぜパンの生地をこねている?
「発酵終わりました! どうでしょうか?」
エプロン姿のクリスが丸くなった生地をビビに差し出す。少し緊張した面持ちだ。
ビビはその生地に指を突き刺した。なんで突き刺すんだろう……
「ええ、良い具合です。やはりクリスーーあなたには才能がある」
「えへへ……そうですか? うれしいなあ」
ビビはさっきから「才能がある」とばかり言っている。会話下手な彼女は一度上手くいった方法を何度も再使用する癖があるのだ。
「ええ。才能があります」
今度は生地を伸ばしてみる。モチモチの弾力があって元の形に戻ろうとするのをぐいぐいと引き伸ばしていく。
なんで僕はパンを……
そうだ。僕はパン屋さんになったのだ。クリスもパン屋さんになったのだ。
ふと、体を纏う加護の少なさに唖然としてしまう。ランク1のパン屋さんはこんなに無防備に生きているのか。
冷たい汗が背中を伝った。ランク7になって久しく、こんな感覚は忘れていた。今の僕はそのへんの冒険者に殴られたら死ぬかもしれない。裸で地獄を歩いたらこんな気分になるのだろうか。
「それでは"焼き"に入ります」
「はいっ!」
「……」
よく熱された石の窯に、鉄網に乗せられたパンが飲みこまれていく。ビビは真剣そのもので温度を確認している。僕には分からないが、きっと今大事なところなのだろう。
ビビはパン職人ランク2だそうだ。クリスについた嘘を真実にするべく、日夜隠れて修行していたらしい。そういえば、クリスはビビのことをパン屋さんと誤解しているのだった。
それにしてもたった数日でランク2になれるとは、パン職人はランク2になりやすいのか、それともビビが天才なのか。
「クリス。あなたにはパン職人としての道もあります」
「パン職人……」
クリスはごくりと唾を飲んだ。
まさかクリス、君はパン職人になるのか?
沈黙が場を満たす。石窯の熱気が温かい。
パンと裏切りの神、アンダルシタ。パン職人というクラスを与えてくれる神様の名前だ。ビビに連れられて、僕とクリスはその神殿を訪れ、あっけなくクラスを授かることができた。
あれだけ探しても見つからなかったのに、なぜパン屋さんにはなれたのか……
「クリスってパン屋さんになりたいんだっけ?」
「ち、ちがいます! 私は冒険者に……」
「そうだよね……」
だめだ。頭が回らない。混乱している。僕が普段からどれだけアリス=マリア様の加護と寵愛に頼っているかを感じさせられる。加護がなければ何もできないのだ。今の僕にできるのは、パンをこねることだけ……
なんでパンをこねてるんだ?
僕は心中の疑問を、窯の中を凝視しているビビにぶつけることにした。
「ビビ、僕はなんでパンをこねているんだろうか……?」
「……私に聞かないでください」
じゃあ誰に聞いたらいいんだよ!
クリスは眉をハの字にして僕を見た。
「師匠、パン職人でも一流冒険者になれますか?」
「……クリスならできるよ」
「そうですよね! 不安だったけど、師匠がそう言うなら頑張ります! 不可能なことなんてない、そうでしょう!」
不可能だよ!
僕は心の中で叫んだ。
僕たちは迷走している……
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