第23話 休日少女
「あたまいたい……」
頭の中に小人がいて、そいつが頭蓋骨を鈍器でどんどんと殴っている。そんな気分だ。
クリスはリビングのテーブルの上で腕を枕にして眠っていた。記憶があいまいだ。エディと大事な話をしたことは覚えている。しかしそのあとのことが思い出せない……
まあいいか。クリスは目の前にあったコップのお茶を飲んだ。ぬるい。でもおいしい。
今日は休みということになったのだ。体を休めなくてはいけない。
クリスが冒険者になって、休みなんて片手で数えられるほどしかなかった。本当にその日暮らしの生活で、働かないとその日の寝床も食事もなかったのだ。
窓から青空を見上げる。星は見えない。オフィーリアは星になってクリスを見守っているのだ。死は救済。彼女はそう言った。
その考え方はクリスにはまだ理解できない。
しかしオフィーリアがそう言うのであれば、少なくとも彼女にとってはそうなのだろう。であれば悲しんでばかりではいられない。
新しいクラスを得ても、復讐者の教義はクリスの糧となっているだろう。剣士のときもそうだった。無駄なことなどないのだ。
陳腐な表現だが、オフィーリアはクリスの心の中で生き続けているのだ。そう思える。
「あ、クリス、起きた?」
エディがリビングに入ってきた。
「ししょう、おはようございます…… わたし、寝てましたか? なぜか頭がいたくて……」
困ったように眉を寄せるエディ。
「あー…… 寝てたね。話が終わったら疲れが出たのか寝ちゃったんだ。部屋で休んだら?」
「そうします……」
座った姿勢で寝ていたせいか節々が痛い。どのくらい寝たのかわからないが、まだまだ寝れそうだった。
時刻は――すでに昼をまわっている。
「あれ? 私昼ごはん食べました?」
お腹が減っているはずなのに、減っていない。何か食べたような、食べていないような。不思議だ。思い出そうとすると頭がいたむ……
「寝ながら食べてたよ」
「寝ながら!? わたしそんなことできたんだ……」
寝ながら食べるとは仙人かなにかのようだ。信じがたいが、エディが言うならそうなのだろう。きっと見苦しい姿だったに違いないと恥ずかしくなる。
「それじゃあ、おやすみなさい……」
「うん、おやすみ」
エディに頭を下げて、リビングを出ようとする。
「あ、そうだ。待って」
引き止められてクリスは振り返った。エディは頭の後ろを掻いている。
「?」
「廊下の一番奥の部屋には入ってはいけないよ。あそこには……怪物を封印している。扉を開けたらクリスは食べられるから」
「!?」
▼△▼
クリスは目を覚ました。
今度は自室のベッドの上だ。下腹部が強烈な尿意を訴えていた。なんだか異常なレベルの尿意だ。そんなに水をガバ飲みしてはいないのに……
部屋を出て、廊下に足を踏み入れる。
ふと、右に視線が吸い込まれた。
クリスの視線は一番奥の部屋にくぎ付けになった。あの部屋には入ったことがない。壁も扉も普通で、変哲のないただの部屋にしか見えないが……
怪物が封印されているらしい。
ランク7冒険者にとってはほとんどの生物が赤子のようなものだ。なのにエディが怪物と形容するとは、いったいどんな魔物なのか。クリスはぶるりと震えた。
廊下を歩いて、トイレへ向かう。
リビングから明かりが漏れていた。エディだろうか。ビビだろうか。
ビビさんとは今日お話ししていない。挨拶をしておかなければ。そう思いながらリビングの入り口に近づく。クリスの見えないところで彼女にはお世話になっている。昨日の件でもそうに違いなかった。話しかけると睨まれるので怖いが、勇気を出さなくては。
そこでクリスは――亡霊を見た。
オフィーリアだ。
オフィーリアがケーキを食べている。ショートケーキだ。幸せそうに頬張っている。
その隣にはエディがいて、迷惑そうな顔しながらもオフィーリアの口に甲斐甲斐しくフォークを運んでいた。二人の距離感はまるで恋人のようだ。というよりも、オフィーリアがエディにべったりというべきか。
「しんかんさまっ!?」
オフィーリアとエディが、ぎょっとしてこちらに目をやる。
「ぴゃい!?」
オフィーリアが変な声を出した。クリスは頬をつねる。いたい。夢ではないのか。
クリスが頬から指を離した時、オフィーリアは消えていた。一時も視線を切っていなかったのに。
「あれ? いま神官様が……」
目を擦って、もう一度見る。エディ一人だけだ。
やはり幻だったのだろうか。クリスの心が求めるあまりに生み出した幻覚……
「どうしたの、クリス」
「いえ、何でもないです……」
「そう…… ショートケーキ、クリスの分もあるからね。夕食後にでも食べなよ」
「はい、ありがとうございます」
幻覚か、それとも幽霊だったのか。いや、幻覚に決まっている。疲れているのだろう。今日は不思議なことばかりだ。クリスは心のうちの迷いと悲しみを振り払おうと首を振った。いつまでもオフィーリアに執着していてはいけない。
トイレに向かって、再び廊下を歩く。
「師匠、ケーキ好きなのかな……」
エディはケーキを二つも並べて、二つを同時に食べていた。よほど好きでなければそんなことはしないだろう。
リビングから「ぴゃううっ」と可愛らしい声が聞こえた。エディだろうか。あんな声をだすこともあるのか……
▼△▼
夜。
クリスはベッドの中でぼんやりと天井を見上げていた。
今日は穏やかな一日だった。午前中の記憶はないが、午後は平穏そのものだった。時間の流れが昨日までとは違うように感じられるほどだった。こんな落ち着いた日常を過ごしたのはいつ以来だろうか。記憶をさかのぼっても思い出せそうにない。
午後は部屋と庭を往復しながらだらりと過ごした。
エディと一緒に夕食を作って食べた。
そのあとお風呂に入った。
お風呂上り、ビビさんとショートケーキを食べた。
こんな幸せでいいのだろうかと思ってしまう。恵まれ過ぎてはいないかと。復讐神によれば「因と果とは応に報ゆべし」。
身に余る幸福は必ず裏返ってクリスに襲い掛かるだろう。それがたまらなく怖い。
「はあ……」
昼の間に眠り過ぎたからだろうか、どうにも寝付けない。
唐突にある考えがクリスの意識に降って湧いた。
星空を見上げてみよう。
庭に出て、星を眺めて、オフィーリアに祈りを捧げるのだ。そう考えると動かずにはいられなくなった。布団をひっぺがし、部屋を出た。
暗い廊下を歩く。
水音が聞こえた。シャワーの音だ。
いったいだれが…… 三人ともとっくに水浴びは済ませているはずだが……
良くないことと分かっていても、好奇心を抑えることができなかった。脱衣所の扉はほんの少し開いていた。中から鼻歌が聞こえる。女性の声だ。
ビビさんが二度目のシャワーを浴びているのだろうか……
クリスはそっと脱衣所に繋がる扉を閉めようとした。
そこであるものを発見し、目を見開いてしまう。
脱衣所の床の真ん中に、真っ白なパンツが落ちていた。隠されることなく、恥じらうことなく、パンツは堂々とそこに鎮座していた。赤い小さなリボンが可愛らしいパンツだ。
ビビさん、こんなパンツ履くんだ……
なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして、クリスは急いで扉を閉めた。
▼△▼
かなり長い間、庭で星を観察していた。
この庭で時間を過ごしたのは今日で初めてだったが、とても好きな空間だった。芝生は短く刈られていて、花壇にエディが育てているという植物が並んでいる。イスがあって、小さなテーブルもあって、ハンモックまであった。
三秒息を吸って、三秒吐き出す。そして何をすべきかを考える。楽しかった思い出を想起し、楽しみな未来に思いを馳せる。
エディから教わった精神修行を実践している。瞬きのたびにオフィーリアの死に顔と無力感、そして昨日の暴走が脳裏をちらつく。
冷たい風が吹いて、クリスは腕をさすった。
「さすがに戻りますね」
星にそう告げて家の中に入る。暖かい空気にクリスの体は包まれた。
オフィーリアはクリスを見てくれていただろうか。クリスの祈りは届いただろうか。
分からない。でもクリスは信じている。
二人は寝ているはず。足音を立てないようにゆっくりと歩く。
どこからか、歌声のような音が聞こえた。耳をそばだてながら自室に近づいていく。音はどんどん大きくなる。
クリスは気づいた。その音は廊下の一番奥の部屋から漏れ出していた。
下手な歌声だ。勢いと情熱に任せただけで、音程はむちゃくちゃ。それでも不思議な魅力があった。
その歌の背後に、別の人の声もうっすらとある。これは――エディだろうか?
こんな夜中に一番奥の部屋で、エディが何をしているのだろうか。答えはすぐに出た。怪物と戦っているのだ。
エディの悪態が聞こえた。どうやら苦戦しているようだ。
興味はあるが、言いつけを破るわけにはいかない。好奇心を抑えてクリスは自室の中へ戻った。今日はよく眠れる気がする。
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