第21話 悲嘆少女

 目を覚ました。


 クリスの部屋だ。僕はベッド脇に座って彼女がいつ起きても慰められるように準備していたのだが、いつの間にか眠っていたらしい。


 太陽の光がわずかに差し込んでいる。


 僕は目を擦りながらベッドの上のクリスの様子を窺おうとして――クリスがいない。


 ガタリ。音が鳴った。


 僕が立ち上がって椅子が倒れた音だ。


 いったいどこに消えたのか。ベッドはしわ一つなく綺麗に整えられている。まさか……


 瞬きのたびに、クリスが指を自分の額に突き付けている姿が目蓋の裏側でちらつく。探さなくては。


 クリスの部屋を出て、廊下を走る。


 その気配はすぐに見つかった。


 彼女はリビングでぽつねんと一人座っていた。何もないテーブルの上を能面のような顔で見つめている。生気がない。寝ぐせもそのまま、寝間着もそのままで顔も洗っていない様子だ。


 目玉だけが動いて僕を捉える。


「師匠……」 


 これは腰を据えて慰めなければいけない。僕の苦手分野だが、そんなこと言っている場合ではないのだ。


 クリスの隣に座る。


「私のせいで…… 神官様が……」


「うん」


 オフィーリアが? どうしたって?


「神官様が死んでしまいました……」


 ああ、そういえばクリスはそう勘違いしているのだった。


「死んでないよ。彼女は生きてる」


 クリスは顔を輝かせた。


「本当ですか!? 今どこに? 会いたいです!」


「……それはできない。彼女は遠いところに行ってしまった」


「遠いところ……」


 クリスはテーブルの上に突っ伏した。鼻を啜る音が聞こえる。


 ふと、リビングの入り口で黒い何かがちらついた。気配で分かる。オフィーリアだ。いったい何を……


 オフィーリアは壁に張り付いて片目だけを出してリビング内の様子を覗き見た。クリスが突っ伏していることを確認し、顔全体を見せて、「トイレ」と口パクで伝えてくる。


 トイレに行きたいらしい。監禁部屋からはリビングの前を通らなければトイレに行けない。


 僕は「ゴー」と口パクを返した。


 オフィーリアはそろりそろりと忍足で通り過ぎていく。


 黒いロングスカートの裾が見えなくなった直後、クリスが顔を上げた。あぶなかった……


「とにかく彼女は生きている。だからクリスも自分を責める必要はない」


「はい……」


 クリスは茫然として呟く。そして窓の外に広がる青空を見上げた。ほんの少しだけ薄桃の唇が割れて「お星さま」と漏らす。


 お星さま? 何の話だ?


「お星さまになって私を見守ってくれているんですね……」


 お星さまになる? どういう意味だろう。僕は孤児院出身なので学がない。聞いたことがない表現だ。


 とりあえず曖昧に笑って頷いておく。


 オフィーリアは今トイレに行っているんだけど……


「私、生きなきゃ」


 クリスはごしごしと涙を拭った。


 少し前向きになってくれたようだ。どういう思考か読み取れないけど、結果よければ全てよし!


「そうだね。頑張ろう」


 よしよし。いい調子だ。僕のメンタルサポート術も熟達してきたということだろうか。


「それで、クラスのことなんだけど……」


 ここからが正念場だ。クリスに復讐者というクラスを棄てて貰わなければならない。


 クリスは両拳をぎゅっと握りしめた。


「昨日、呪いが暴走しかけたことを覚えている? 能力を自分自身に向けていて、とても危なかった」


「覚えてます……」


「クリスは確かに復讐者の才能がある。でもそれは諸刃の剣だ。こういうダークサイドに寄った神職クラスはどれもそういう危険性を孕んでいるけど、復讐者はその『責任を問う』という性質上クリスには……相性が悪い」


 桃色の目が再び潤みを帯び始める。


「そうですよね…… こういうクラスは扱いが難しいって分かってました…… 師匠に教わった感情をコントロールする方法もできなかったですし……」


 クリスは大きく息を吐いて、窓の外を見上げた。


「私、復讐者はやめます。新しいクラスか、剣士としてやっていきます」


 うおお! 自分から言い出してくれた! これは思ってもない幸運だ!


「神官様のくれたクラスをやめるのは悲しいけど、教えてくれたことは忘れません。そしていつか必ず…… 復讐を果たしてみせます」


「え? 復讐? 誰に?」


 なんだなんだ。オフィーリア、貴様いったい何をふきこんだ?


「秩序神への復讐です」


「…………ああ、秩序神ね」


 そういえばそんな中二病設定を垂れ流していたなあ。素直なクリスはそれを鵜呑みにしてしまっているらしい。まあ実害はないので問題なしだ。


 リビングの入り口で、再び黒いスカートの裾がちらりと見えた。オフィーリアだ。今度は部屋に戻りたいらしい。ちらちら顔を出している。


 監禁場所を奥の部屋にしたの、間違いだっただろうか。物置とかに押し込んでおけばよかった。


 めんどくさいな。


 ……仕方ない。


 僕はクリスをひしと抱きしめた。


「クリス! 僕の胸で泣け!」


「し、ししょう! そんな…… 恥ずかしいです!」


 オフィーリアが顔を出した。口パクで「ナイス」と伝えてくる。ナイスじゃねーよ。


 彼女が通り過ぎたのを確認して、クリスを離す。その頬はほんのり赤く染まっていた。


「ありがとうございます…… その……昨夜もずっと側にいてくれたみたいで……」


「いいんだ。師匠だからね」


 僕が寝込んだ時、僕の師匠もそうしてくれたのだ。それが嬉しかったので、僕もそうした。それだけだ。


「さて、朝ごはんでも食べようか。今日はゆっくり休んで、まあ明日も明後日も休んでもいいし、疲れが取れたらまたクラス探しだ」


「はい!」


 いやー、良かった! 想像以上にあっさり終わった!


 嬉しさのあまりに頬が緩むのをとめられない。僕は適当な瓶をひっつかんで、コップに注いだ。


「ほら、水でも飲んで」


「ありがとうございます」


 クリスはごくごくと喉を鳴らしながら飲み干していく。その透明なコップの中身を見て、僕は思った。これ水じゃなくね?


 手に掴んでいる瓶を見る。高級焼酎だ。オーマイガー。


「クリスストップ。これ水じゃないや」


 僕がそう言ったときには、すでに遅かった。クリスはふらふらと頭を押さえて倒れこんだ。


「ク、クリスッ!」




▼△▼




 僕は朝からべろんべろんになったクリスに絡まれている。


「そうですよね…… 私なんて…… ぜんぜんだめだ……」


「そんなことないよ」


「師匠! 本当にそう思ってますか!?」


「そんなことあるよ」


 僕はすべてを「そんなことないよ」と「そんなことあるよ」で捌いている。なんて便利な言葉なんだ。


 クリスのコップを満たしている琥珀色の液体はお茶だ。お酒ではない。最初の一杯以外アルコールは一滴を飲ませていないのだが、なんだかどんどん酔いが回っているような気がする。いったいなぜ……


 僕はビビに助けを求めたのだが、彼女は冷たい目で僕を見捨てた。この恨みはらさでおくべきか。


「師匠、話きいてなくないですか?」


「そんなことないよ」


「もう! そればっかり! めんどくさくてすいませんっ!」


「そんなこと、ナイよ?」


 連呼しすぎて脳内でゲシュタルト崩壊してきた。なんかカタコトになってしまう。


 クリスは乾燥させた干し肉を豪快に歯でちぎった。そしてお茶をぐびぐび喉に流し込み、ぷはーと息を吐く。


「お酒、おいしい」


 お茶なんだけどね。


 もう一時間は経っただろうか。しかしクリスの酔いはまったく覚める気配はない。


「もうやだっ! いっそ生まれてこなければよかった!」


 そう叫んで、ちらりと僕を見る。僕の言葉を期待しているのが簡単に分かった。


「ソンナコトナイヨ」


「師匠……うれしいです……」


 クリスは唐突に、僕の前に頭を突き出してきた。桃色の髪の毛の間から真っ赤になった耳がのぞいている。


「なでてください……」


「ソンナコトアルヨ」


 要望通り、頭を撫でる。なでなで。


「えへへ……」


 なでなで。


「へへへ……」


 僕は空いた手で干し肉を齧った。硬くて塩かっらい。これ、いつまで続くんだろうか……

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