第19話 錯乱少女
「クリス、落ち着いて!」
なんだか分からないが、かなりまずい状況だ。クリスは明らかに理性を失っている。その顔はあの時に似ていた。一角猪を仕留めきれなかったあの時だ。
殺す殺す殺すとうわ言のように呟き続けている。あれはおそらく――復讐者特有の妄想による呪術補助だ。
クリスは全身のあちこちから紫の光を放ち始めている。呪詛の光線だ。無秩序に発されたそれは壁や床にぶつかって効果をなしていないが……
その内の一つが僕の頰を掠めた。
まずいな。まったく制御できていない。
「クリス! オフィーリアは死んでいないよ! それからそのリスは……ただの無害なリスだ!」
クリスはこっちを向かない。血走った目でロースくんを睨みつけたままだ。僕の言葉は届かないのか……
「しねえええええ!」
甲高い叫び声。
いつもの百倍は太い紫の光線がクリスの指先から発射された。
ロースくんが死ぬ。……いや、呪詛返しによってクリスが死ぬ。
僕の体は光線より早く動いた。テーブルの上に跳躍してロースくんを掴み、宙で体を捻りながら彼をポケットに捩じ込む。
なんとか間に合った。
クリスは肩で大きく息をしている。僕の電光石火の動きは見切れていないだろう。ロースくんの消えた卓上をハイライトの消えた瞳が凝視していた。乾いた笑い声をあげる。
「ころしてやった…… チリも残さずに……」
よしよし。なんか上手いこと勘違いしてくれた。これで落ち着くだろう。でもなんでロースくんを敵視してたんだ……
「クリス! よくやった! これで敵は消えたね。それから――オフィーリアも実は生きてる。最高だ!」
……まだクリスは僕に気付かない。
血の気が失せて真っ白になった顔の中で目だけがぎょろりとして恐ろしい。唇がわなわなと震えている。
「私のせいだ……」
まずい。まだおさまらないのか。
僕はクリスの背後に黒い炎を幻視した。それほどにクリスの気配が巨大で邪悪に膨れ上がっていく。街中でこれは良くない。
「私が無能なせいでみんな死んでいく…… 神官様も…… 私のせいで私のせいで私のせいで……」
クリスは虚ろな表情のまま、右手の人差し指を自分の額に突き付けた。電流のように紫色の光が弾ける。
「もういいや……」
その爪は額に食い込むほど強く押し付けられ、指が震えていた。
いったい何をしようとしている……?
「
「だめだっ!」
オフィーリアの死を自分自身によってもたらされたものだと信じて、自分自身への復讐を実行しようとしている。
そう悟って僕はクリスに飛びかかった。
言葉が完成する前に口に半ば手を突っ込むようにして塞ぎ、腕を掴んで無理やり下ろす。
ようやくクリスと目が合った。
「ししょう……」
大粒の涙がクリスの頰を伝っていく。
「ごめんなさい…… わたし……」
「大丈夫だ。ぜんぶ大丈夫だから」
「はい……」
囁くような返事を最後にクリスは気を失った。僕の腕の中に倒れ込んでくる。
なんとか鎮まった。僕は肺の中の空気全てを吐き出すほどのため息をついた。安堵、疲れ、ストレス、そういうものが混じっている。
僕を後ろから追っていたヴァイオレットが姿を見せた。部屋の惨状に目を見開いて無表情を崩す。
「エディ、これはいったい……?」
首を横に振った。僕にも分かりません。
「とりあえず関係者全員事務所に連れて帰ろう。クリスとオフィーリアはもちろん、そこの男女も、店の外の連中も」
それだけで収拾がつくとは思えないが…… しないよりはましだ。
ヴァイオレットは神妙に頷いた。
「全員殺してしまいましょうか。死体は話さないので好きです。コミュニケーションの苦手な私でも気まずくなりません」
「? ……そうだね。まあ殺すにしても話を聞いてからだ」
▼△▼
クリス、オフィーリア、刺客五人をヴァイオレットと分担して事務所まで運んだ。
僕はめっちゃ急いだので残像しか見られていないはず、ヴァイオレットは透明化の術を使ったので見られていないはず。
料亭への謝罪と弁償、クリスとオフィーリアの介抱を終えた。二人は結局目を覚さないままベッドで眠っている。
刺客五人は倉庫で縛り上げて、叩き起こして魔術で話を聞かせてもらったあと、また魔術で眠ってもらった。ヴァイオレットの術はすごく便利だ。
既に深夜になっている。今日はすごく長い一日だった。
そして僕とヴァイオレットはソファに座り、疲れで崩れ落ちそうになりながら話し合っている。
「顛末をまとめると、こういうことだね。賞金首のオフィーリアが教会の暗殺者に襲われて、返り討ちにした。オフィーリアは疲れたのか眠ってしまい、クリスは死んだと勘違いして自分を責め、暴走しかけてしまったと」
ヴァイオレットはこくりと頷いた。
まとめてみると難しくはない話だ。なんでクリスの矛先がロースくんを向いていたか分からないけど……
まあきっと不運なすれ違いがあったのだろう。それは些細な問題だ。
優先順位は第一にクリス、第二第三にクリス、第四にロースくんで、第五にオフィーリアと刺客たちである。
「クリスは残念がるかもしれないけど、復讐者というクラスは棄ててもらおう。クリスとは相性が悪い」
自分を責めやすい性格のクリスには向いていないのだ。このまま続行させるわけにはいかない。
「ええ。それに……特定危険邪神は邪神の中でも特に関わるべきでない。話しただけでも教会に目をつけられかねないのに、信徒だとばれれば……」
クリスまで指名手配になってしまう。
「そうだね。オフィーリアとの繋がりは隠し通さなくてはいけない。……また
「頑張りましょう」
「ビビ…… 君だけが心の癒しだよ……」
ヴァイオレットは髪の毛先を指でくるくる弄んだ。彼女は褒められるのに弱い。これはきっと恥ずかしいながらも喜んでいるのだ。
「……ご愁傷さまです」
「……使い方間違ってるよ。たぶん、光栄です、とかかな?」
「……光栄です」
「うん。オフィーリアは……どうしようかな……」
彼女には複雑な感情を抱いている。
今の状況の原因は大体オフィーリアだ。特定危険邪教であることを隠していた。教会に襲われてクリスを巻き込んだ。しかし刺客の話によれば……クリスを庇うように戦ったらしい。
マッチポンプではあるが、オフィーリアがクリスを救ったのも事実ということだ。それがなぜかは分からない。純粋な善意だろうか。
「エディ、ギルドでの話続きですが…… ジヴァーナムが邪神に認定されたのは数年前。もともと大陸西部の小さな村の土着の神だったようですが、邪教崇拝を理由に教会によって街ごと焼かれています」
「さすが教会だ。どうせ邪教崇拝なんてこじつけで点数稼ぎか金目当てなんだろう」
「そうかもしれません。オフィーリアはその村の生き残りというわけです」
「ふーん」
可哀想な境遇というわけだ。教会に街を焼かれ指名手配となった、神を憑依させられる依代体質の少女。
だからどうするってことはないが……
「教会に引き渡すのも今となってはなあ……」
クリスがジヴァーナムを一時的にでも信奉していたと教会に知られるのはリスクでしかない。
一つ、簡潔で容易で後腐れもない手段がある。殺すことだ。できればそうしたくはないのだが……
「まあ僕から話をするよ」
「分かりました。……教会の暗殺者五人は私に任せてくれませんか?」
「え? いいけど……どうするつもり?」
殺しちゃうつもりだったんだけど。
「実は新しい魔術を習得しまして……練習したいのです」
ヴァイオレットは魔法と嫉妬の女神を信奉し、そのクラスは賢者。
この世のほとんどの魔術を模倣できるとても優秀なクラスだ。もちろん専門性や威力では一芸特化のクラスに劣るが、万能性ではおそらく世界一といっていい。
「それは楽しみだね。どんな魔術?」
「記憶を失わせる魔術です」
「……そう」
また変なのを覚えてきたな……
「ちょうど使い魔が欲しかったんですよね」
「……そう」
僕は心の中で、倉庫で雑魚寝している暗殺者五人に手を合わせた。彼らはヴァイオレットのおもちゃになるのだ。ご愁傷さまです。
「一応聞いておくけど、禁術じゃないよね?」
ヴァイオレットは僕から目を逸らした。
「……聞かないでください」
ぜったい禁術じゃん。
「……分かった。慎重にね」
まあヴァイオレットは大丈夫だ。絶対にヘマはしないし、誰かに迷惑をかけることもない。……"誰か"の中に哀れな実験台は含まれていないのが重要な点だ。
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