第18話 復讐少女
クリスは目の前に聳える巨大なパフェに圧倒されていた。フルコース並みの量を食べた後に、これを胃の中に入れることができるだろうか。
隣に目をやれば、オフィーリアは黙って口の中に詰め込み始めている。クリスはまだ口もつけていないのに、半分も平らげていた。なんて胃袋なのだろうか。
しかもオフィーリアの前に並ぶパフェは一つではない。三つだ。店員の柔らかな制止も聞かず、全種類制覇すると言うのだ。
クリスは「一流の冒険者は食事も一流」というエディの言葉を思い出した。さすがランク7の神官様、冒険者ではないが紛れもなく一流の胃袋だった。
オフィーリアは神官らしく、普段は慎ましい生活を送っているらしい。だからこのような信徒からの心遣いの場では遠慮なく食べ溜めしておくとのこと。その話を聞いてクリスは尊敬の念を深めた。
正面を向いて、パフェと睨み合う。クリスはパフェなるものを食べるのは人生で初めてだった。
いったいどこから手を付けるべきか......
ガラスの中にアイスクリームと生クリームといちごが何層も積み重なって複雑な縞模様を形成し、てっぺんには名前もわからない焼き菓子といちご、さくらんぼがこれでもかと乗っかっている。
まずいちごから食べようかな。クリスは覚悟を決めた。
スプーンで一つ掬って、えいやっと口に放り込む。
おいしい。
今まで食べてきた野イチゴとは違う、大粒で濃厚な甘み。これが本物のいちごなのか。
お腹いっぱいと思っていたはずが、まだまだ入るぞと胃袋が主張し、唾液腺は準備運動を開始した。満腹感が和らいで体が甘味を求めている。クリスは初めての砂糖菓子というものの魅力を知ってしまった。
生クリームとアイスクリームと果実を交互に食べる。生クリームはとろけるような甘さで、その後にいちごを食べれば甘味に隠れた僅かな酸味が爽やかに、くどい甘さをかき消してくれる。世の女性の多くがスイーツを好む理由が分かった気がした。
個室の中は二人がスプーンを動かす音だけが響いた。
こういう沈黙が場を満たすと、クリスの意識は深い思索に沈んでいく。内向的な性格なのだ。
オフィーリアの話を聞いているときは思い出さなかったのに、今日の立て続けの失敗を思い出してしまう。
端的に言って、浮かれていた。
クラスを得て、新しい異能を覚え、師匠と神官様に褒められて、いい気分になっていた。
しかしいざダイアウルフとの実戦に臨んでみれば、スムーズに
後衛まで魔物を通してしまい。白竜に襲われた際が抱えられていることしかできなかった。
同じクラスであるオフィーリアは果敢にも突撃したというのに。
私もあんなふうになりたい......
思わずため息をこぼした。
「はあ......」
「クリス?」
名前を呼ばれて、クリスは丸めていた背中を伸ばした。唇を噛む。また失敗した。
「すいません、ため息なんかしちゃって......」
オフィーリアは手を止めてクリスの方に体を向けた。
「いいのです。若人は悩まなければなりません。お姉さんに懺悔なさい」
優しい声と、優しい微笑み。クリスの口は自然と心の内の後悔と不安とを語り始めた。
うんうんと頷きながら話を聞くオフィーリア。彼女の三つのパフェはすでに空になっていた。
「――なるほどなるほど」
「期待してくれて、いろんなものを費やしてもらっているのに、私はパフェなんかを食べてていのかなって思っちゃって」
オフィーリアはさくらんぼの種をぺっと吐き出した。
「なにかと思って聞いてみれば、贅沢な悩みですね。私がランク1の頃はもっと酷かったのです。本当に何もできませんでした。クリスの方が遥かに強い、――それに、復讐神の信徒は迷いを捨てなくてはいけません。休むときは休む、戦うときは戦う、悩むときは悩む。そして今は食べるときです」
「神官様っ――」
目頭が熱くなる。
オフィーリアは両手をいっぱいに広げた。それが抱擁を促しているのだと気づいてすぐクリスはその胸に飛び込んだ。
豊かな胸に顔を埋める。年上の女性の温かさと柔らかさ。どことなく母に似ている。クリスより年下に見えるのに実は年上とは、なんて瑞瑞しい体なのだろうか。
オフィーリアは優しくクリスの頭を撫でた。
「クリス、私のことを信用するのです。私だけを......いいですか?」
「はいっ! 神官様っ!」
顔を上げる。クリスは思わず仰け反った。
目の前にリスがいたのだ。赤い毛の小さなリスがオフィーリアの胸元から顔を出している。クリスと目があった。
「し、しんかんさま? リス? がいますよ?」
「ああ、これはロースくんです」
「え?」
「実は憎き敵に仕込まれましてね、まあ呪いのようなものです。私の体を狙う淫らな男ですよ。この子がいる限りそいつに場所を把握され続けるというわけです」
オフィーリアは赤いリスのお腹を指でこしょこしょとくすぐった。
「なんて酷いことを...... その、どこかで捨てたり、殺したりしないんですか?」
「そんなことをすれば私が殺されてしまいます」
オフィーリアはぶるりと体を震わせた。
赤いリスはぴょいと跳躍してテーブルの上に着地し、鳥の骨に口を近づける。残された僅かな肉と軟骨をかじり、骨さえ砕くバキバキという音が聞こえた。
「恐ろしい生き物......」
こんな小さな体のどこにそんな力があるのか。見た目はすごく可愛らしいのに。
「まあパフェを食べましょう。苦しいなら私も手伝ってあげます。あまり遅くなると、心配性のお兄さんが怒りそうですからね」
クリスは再びパフェに向かい合った。まだまだ半分は残っているだろうか。これを食べなければいけない。スプーンを突き刺した、その時。
がらりと扉が開かれた。
黒ずくめの人間が二人。一人は男で、一人は女だ。ナイフが鈍く光を放っている。目元以外は隠されていて何の特徴も読み取れない。
「だれですかッ!?」
荒事に慣れていないクリスでも分かった。
暗殺者、犯罪者、邪教徒。そういう類の人間だ。
「オフィーリア・フラッシュだな。人相通りだ。この店は完全に包囲されている。ついてこい」
女が低い声で話した。オフィーリアの額に汗が浮かぶ。
「秩序神の手先ですか。ここの結界を破るとはなかなかやりますね。私のこの"目"を前にしても立っていられるところをみるに、かなりの上位者なのでしょう。しかしあなたはまだ本当の私を知らない……」
「……秩序神? 結界? 何の話?」
男が割って入ってくる。
「まともに話をするな。邪教徒だぞ。どんな技を使うか分からない」
「邪教徒じゃないですけどっ!」
クリスは急な展開についていけず目を白黒させた。これは敵なのだろうか? いったい何が起こっている?
「クリス! お兄さんを呼んでくださいっ!」
いつになく切羽詰まった声。クリスは急いでシェルフォンを取り出して叫んだ。
「もしもし、師匠! 敵がきました!」
応答はない。
女がクリスを睨みつけて叫ぶ。
「おいきさま! すぐそれをやめろ!」
個室内に土足のまま上がりこもうとして――オフィーリアが立ちふさがった。
「彼女は私の友達です。ただの一般人……手出し無用!」
「師匠! 神官様が! 呼んでます!」
エディの声が貝殻の奥から聞こえてきた。
「どうしたの? どこにいる?」
「助けてください!」
女が腕を振るう。その手先から放たれたナイフは正確に白い貝殻に直撃し、硬質な貝殻は砕けてクリスの手の中でバラバラになった。
ああ、最悪だ。師匠に場所を伝えることができなかった。しかし反省している暇はない。クリスは席に置いていた剣を掴んで、鞘から引き抜いた。
男はドスのきいた低い声でクリスを威圧する。
「雑魚は引っ込んでろ。これは遊びじゃないんだ。どういう関係かは知らんが......死ぬことになるぞ」
オフィーリアがクリスを庇うように前に出た。
「クリス、隠れていなさい」
「でも、神官様……」
この戦いにランク1のクリスはついていけない。もうすでに誰もクリスを見ていなかった。意識を割く価値もないと判断されたのだ。
「わたし......」
クリスの言葉は甲高い金属音によって塗りつぶされた。女のナイフとオフィーリアの釘が衝突したのだ。力では拮抗している。
狭い部屋の中で、四人が自由に立ち回る空間はない。クリスはどうしたらいいか分からないままだ。それはクリスの人生で初めての室内戦であり、対人戦だった。
▼△▼
戦いは苛烈で一瞬だった。少なくともクリスの体感上では。もう何も覚えていない。
鎧を着ていない人間の戦いでは、全てが致命傷になりうるのだ。ナイフと閃光が狭い部屋内を飛び交い、結局クリスはなにもできないまま戦闘は終了した。
二人の暗殺者は部屋の入口で重なるように倒れ、オフィーリアはクリスの腕の中にいる。
「しんかんさまっ!」
「クリス......」
オフィーリアは弱々しい声でほとんど口を動かさずに言葉を紡いだ。
その下腹部あたりからじわりと温かいものが広がり、黒装束が濡れてさらに黒くなっていく。クリスは血液が一気に氷水に変わったように感じた。
「血がっ! 止めないと!」
クリスは必死に圧迫したが、止まりそうにない。むしろ勢いを増していた。オフィーリアの顔は赤い。
「大丈夫です...... これは血ではなく、聖水です...... 私はお星さまになってあなたを見守ります...... 死は救済、破滅が結末、神の懐へ……」
「しんかんさまッ! だめです!」
「クリス、パフェはお持ち帰りしなさい......」
オフィーリアはゆっくりと目を閉じた。
「死んじゃだめです! 死なないで!」
胸に耳を当てて鼓動を確認する。だめだ、分からない。クリスの心臓が激しく拍動しているせいだ。
オフィーリアの体から力が失われた。
「わたしのせいだ......」
涙が溢れてくる。その死に顔は寝ているように穏やかで美しかった。
「わたしがころした......」
クリスは何もできなかったのだ。オフィーリアの背中に庇われるだけで何もしていない。きっとそのせいでオフィーリアは不利となってしまった。
朝エディから教わったことを思い出す。こういうときは深呼吸して、何をすべきかを考えるのだ。息を深く吸おうとするが、肺が苦しくてすぐに吐き出してしまう。内臓が痙攣して呼吸がうまくできない。思考がまとまらない。悲しみが体を満たして、全身の血液が逆流していく。
キュルル、キュルル。
場違いな音が聞こえた。
テーブルの上で赤いリスが鳴いている。つぶらな瞳でオフィーリアを見つめていた。
クリスは雷に落ちたような衝撃を感じた。それは肉体的なものではない。
オフィーリアの言葉を思い出す。「このリスは憎き敵に仕込まれて、位置を把握されている」と。
エディの言葉を思い出す。「敵はどんな姿をしているか分からない」と。
バラバラのピースが繋がって、一枚のパズルが完成した。
「おまえのせいかっ――!」
全ての元凶は――このリスなのだ。
このリスがオフィーリアの居場所を敵に伝えた。リスにそんなことができるはずがない。つまりこれは何者かによる擬態。中身は人間のはずだ。
「おまえのせいだおまえのせいだおまえのせいだ!」
復讐を遂げなければいけない。クリスは怨嗟を口に出して感情を高ぶらせていく。
しかし同時に、心は「わたしのせいだ」とも叫んでいた。自分の無能さがこの結果を招いたのだ。それを打ち消すように口を開く。
「おまえのせいで神官様が死んだんだ!」
今朝エディから教わった感情をコントロールするという方法は頭から吹き飛んでいた。この激情を抑えることなどできそうにない。
クリスは赤いリスに剣を向けた。
「殺してやる!」
リスは首を傾げる。
「きゅるる!?」
▼△▼
「......どういう状況?」
僕は全速力で料亭「花鳥風月」まで戻り、店の外にいた怪しい奴らを蹴り飛ばして個室まで戻ってきた。
そこで目に飛び込んできたのは、クリスがロースくんを罵って剣を向けるという理解不能な状況。
床には教会の手下と思われる男女が気絶している。
オフィーリアは下半身をぐっちょり濡らしてすやすや眠っている。アンモニア臭がする。この液体は血ではなく尿らしい。漏らしたのか......
「パフェ......おかわりください......」
オフィーリアが寝言を言っている。どうやら幸せな夢を見ているようだ。
そしてテーブルの上のロースくんを睨みつけるクリス。我を忘れて鬼のような形相になっている。
「おまえをっ! ころすっ!」
僕は目をこすった。思考がループしている。
「......どういう状況?」
クリスがロースくんに剣を突きつけた。紫色の閃光がいくつも飛び出して部屋中を跳ね回った。
クリスは僕に気づいていないようだ。ロースくんしか視界に写っていないのだろう。
「ころすころすころす! よくも神官様を!」
なんだこれ......
意味分かんないよ......
だれか説明して......
途方に暮れる僕のつぶやきを聞く者はいない。くそっ!
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