第14話 逃走少女

 人類生存圏の最北であるアウルベルナ。巨大な市街地を守る灰色ののっぺりとした壁は高く、厚い。今日も今日とて力強く聳え立っている。


 この壁は遥か古代に作られたものといわれている。いわゆるオーパーツだ。継ぎ目のない石のような素材でできているが、素材が何かも工法も分かっていない。


 見上げれば圧し潰されそうにさえ感じるその威容に、初めて外から見たときは圧倒された。内側から見るそれと外側から見るそれは大きく印象が異なっていたのだ。


 さすがにもう見慣れた石壁、その門をくぐってアウルベルナ内部へ入る。


 日は傾き始め、空が赤く染まり始める頃合いだろうか。


 僕たちはクリスへの教育を終えて家路についていた。


 先頭を鼻歌交じりで歩くのがオフィーリア。こいつはいつも機嫌がよさそうだ。門に近づく少し前にフードを被り、その顔を隠している。後ろめたいことでもあるのだろうか。邪教徒だからあるのだろう。


 その次を歩くのがクリス。ダイアウルフとの戦闘でミスを重ねたことがメンタルにきているらしく、少し沈んだ表情である。現在の隠しクラス「魔王の卵」のランクは30。今日で一番高い数値だ。


 これは復讐者というクラスの影響というよりも、戦闘中の失態のほうが大きな要因であろう。そういうわけで、僕はまだクリスにこのクラスのまま続行させていいのか、今すぐにでも止めるべきなのか判断がついていない。


 そして一番後ろを歩くのが僕。問題児を二人も抱える引率者としては、彼女らをなるべく視界から外したくないのだ。


 今日は非常にタフな一日だった。


 帰ってお風呂入って寝たい……


「それでは帰りましょうか、我々の家へ! 道は覚えていないので、お兄さん、案内をお願いします」


「我々の家って……?」


「? ……我々の家は我々の家ですが……?」


「うちの事務所のこと? 今日も泊まる気でいるの?」


「? そうですけど……?」


 ……なんか会話が噛み合わない。こんな疑問符ばかりのやり取りは初めてだ。


「……自分の家に帰りなよ」


「私、特定の住処を持たず、この世界の無常を儚く思いながら、川を流れていく泡沫のように、アウルベルナの路地裏をさすらっているのです」


「……ホームレスなんだね」


 めんどくさいので、僕はこの話題はここで終わらせることに決めた。家から締め出すと絶対うるさく騒ぐ。……いや、中に入れてもそれはそれで疲れそうだ。……どうしよう。


「お兄さん、今日の夕食は? 私、期待しています」


「……うーん。どこかで食べて帰ろうか」


 ヴァイオレットは家政婦さんではないので、毎日食事を作ってくれるわけではない。むしろ作ってくれる方が稀だろう。僕一人で住んでいたときは外食か携帯食料ばかりだったが、結局それは変わらない。


「いいですね! 私一文無しなので、おごってくれますか?」


「……まあお布施だと思うことにするよ」


「やったあ! お兄さん、大好き!」


 抱き着いてこようとするオフィーリアの額を、腕を伸ばして押さえて近づけさせないようにする。


「クリスもそれでいいかな?」


「はい。私はなんでも大丈夫です……」


 ちょっと暗い声。大丈夫かな……


 最近ストレスと心配ばかりで、胃がキリキリと痛みを主張し始めている。僕はお腹をさすった。はやく何とかしないと……


 ふと、通りの先で人だかりができているのに気付いた。大道芸人でもいるのだろうか。


 何の気なしに近づいていく。


 そこで僕は信じがたいものを見た。


「あれは……」


 クリスが呟く。目が点になっている。


 人の街にあってはいけない巨体。陽光を反射して煌めく白い鱗。折りたたまれてなお空を覆いそうだと思わせる大きな翼。水晶のような目玉。


 メロナワイバーンが広場中央に陣取っていた。


「初めて見ました」


 白い飛竜を囲むように人垣があり、人々の表情には笑みと穏やかさこそあれど恐怖はない。


 勇気ある女の子が自分よりずっと大きなメロナワイバーンの頭部に近づいて、そっとその額を撫でた。


 飛竜は目を閉じて女児の撫でるがままにさせている。拍手とどよめきが広場を中心として街に広がっていく。


 得意満面な女児はその白い角に手を伸ばそうとする。指が触れる直前、ギザギザの歯の間から赤く長い舌が伸びてきて女児の顔を舐めた。


 女児は悲鳴を上げてひっくり返り、「おかあさん」と叫びながら人垣の中へ戻っていく。心配するような声と笑い声が混ざり合い不思議な共鳴を作る。


 平和だなあ……


 オフィーリアが駆け寄ってきて僕の手を両手でぎゅっと握る。


「あれは……私の仇、教会のドラゴンですよ」


「え? ああ、そうだね」


 ドラゴン


 大空の支配者、嵐の目、絶対的王者。天を駆ける巨大な魔物であり、紛れもない最強種の一つ。


 それも白い竜だ。白い竜は竜の中でも特別で、あれは創造神の象徴動物なのだ。つまり、教会の使い魔ということ。


 いくら世界最大の組織である教会といえども無暗に竜を街に近づけるなんてことはしない。何かあったのだろうか…… 


 ちょっと嫌な予感がするな……


 教会は仮想敵だ。クリスのことを知られれば間違いなく殺しに来る。僕が何といっても止まらないだろう。彼らは邪教徒と同じくらいに盲目的狂信者だから。


 めんどくさいことにならないといいなあ……


 そう願いながら、僕は体の向きを変えた。メロナワイバーンには近付きたくない。別の道を通って帰ろう。


 竜は広場にて羽を休めていながら、肉食の野生生物独特の緊張感、すなわち不用意に射程に入れば一瞬で食いちぎられるのではないかという警戒を抱かせる。


 ぎろり。


「ん?」


 目が合った、ような気がする。


 いや気のせいだよね…… そうであってくれ……


 これ以上の面倒ごとはごめんだぞ!


 メロナワイバーンは首をもたげて居並ぶ人々の群れを観察する。


 僕の人間の限界を極めた視力は、その水晶のような気色悪い目玉がたしかにこちらを捉えていることを確認した。その目玉の中心に映っているのは――クリス。


 最悪だ。


 メロナワイバーンは翼を大きく広げた。その風圧で人が木の葉のように飛ばされる。二足で立ち上がれば建物より大きく重いのがすぐに分かった。


 僕はとっさにクリスの手を引いて、その耳を両手で塞いだ。ランク1じゃこれに耐えるのは難しいだろう。


「え?」


 喉の奥まで見えそうなほどメロナワイバーンの上顎と下顎が割り開かれる。


 次の瞬間、世界が揺れた。地震と錯覚するほどの衝撃で、石畳はガタガタ震えて全ての音が塗りつぶされる。


 金属質で甲高いが低い轟もある咆哮。肌がビリビリとしびれる。人々は倒れ伏せるか逃げ出し始めた。


 メロナワイバーンは確かにこちら――というかクリスを見据えていた。


 翼を一度大きく動かせばその巨体がふわりと宙に舞い上がった。そして真っ直ぐこっちへ飛翔してくる。

 

 なんでこっちくる?


「こっちくんなああああ!」


 僕の叫びは虚しくかき消えた。白竜との距離が近づくにつれてその威圧感も増してくる。


「お兄さんやばいですって! たすけて!」


 オフィーリアは涙目で震えて僕に寄りすがってきた。


「なんで怒ってるんですか!?」


 知らないよ。……たぶんクリスのせいだろ。


 巨体に反した軽やかな飛行速度により、メロナワイバーンは一瞬の間ですぐ上まで迫ってきた。建物にぶつかると思った直前、翼を大きく開く。


 巨大な瀑布にも似た圧力が地上を襲う。その白い翼によって大量の空気がたたきつけられた。


 吹き飛んでしまいそうになるオフィーリアの首根っこを掴んで止め、吹き飛んで僕の方へ流されてくるクリスの背中に手を伸ばす。なんとかキャッチできた。


 メロナワイバーンは器用に翼を小刻みに動かしてホバリングしている。僕たち三人を睨みつけてその顎を開く。真っ赤な口内、ざらついた舌、剣山地獄を思わせる幾重にも重なった牙。


 その暗い喉の奥で、明るい何かがちらりと輝いた。


 二人を抱えて、咄嗟に後ろに跳ぶ。


 ブレスだ。指向性のある炎が空気を焼いた。ぎりぎりで射程の外に出たが、眼前の石畳は真っ赤に染まり、ドロドロになって溶け出している。


 左腕で抱えているオフィーリアが「ぐええ」と聞くに堪えない悲鳴をもらし、気絶した。クリスは血の気の引いた顔をしながらも意識は保っている。


「師匠、なんだかあのドラゴン、私を見ている気がするのですが……」


 クリスに何も気取らせるわけにはいかない。僕は脳みその細胞を総動員してうまい理由を考え出した。


「……気のせいだよ。気のせい。気にしすぎなんじゃない? 思春期は人の視線を気にするもんだけど、意外と誰も見ていないものさ」


「そうですよね! 師匠がそういうなら、気のせいですよね!」


 白竜が吼えた。世界が振動する。肌がびりびりと痺れた。怒気をはらんだ咆哮がクリスの桃色の髪を強く揺らす。


「きのせいきのせいっ! きのせいですよねっ!」


 オフィーリアの体がぴくりと動いた。意識を取り戻したのだろうか。上体をむくりと起こして僕の腕の中から離れ、自分の足でしっかりと立った。


 そしてその目は――黄金に輝いている。


 太陽、あるいは夜空に瞬く星々を思わせる圧倒的輝き。人間界に存在していいものではない。


「我が名は復讐と破滅の神、ジヴァーナム! 憎き神の手先め! 我の怒りはどの山よりも高く積もり、我が憎しみはどの海より深いと知れっ! 今日こそ恨みを晴らしてくれよう!」


 オフィーリアが気絶して、ジヴァーナムが出てきてしまった。僕は眉間を強く揉む。気をしっかり持つんだ、エディ・シドニー……


「うおおおお!」


 ジヴァーナムは両手を振り回しながら突っ込んでいき、咆哮によってあっけなく転んだ。


「ぴゃあああっ」


「神官さまっ! 大丈夫ですか!?」


 何してるんだ、この邪神……


 弱いんだから無理するなって……


 ていうか素手で突進するんじゃなくてせめて呪いを使ってください。


 僕はジヴァーナムの腰に手を回して持ち上げた。


「にげるよ!」


 街中でメロナワイバーンなんか相手にしてられるか!


 教会はちゃんとペットに躾をしておけ!


「師匠、追ってきてます! いま目が合いましたっ! 」


「はなせ馬鹿者! 戦うのじゃ! そのうるさい鳥を撃ち落とせ!」

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