第12話 修練少女
クリスはとても素直で真面目な女の子だ。誰にでも従順というわけではないが、師匠である僕、姉弟子であるヴァイオレット、神官であるオフィーリアの言葉はすべて信じて疑わない。
そういうわけで、クリスは乾いたスポンジのようにオフィーリアの教えを吸収している。
「ねえ、なんでそんなこと言うんですか? 私が悪いって言いたいんですか? 責めるような目、辞めてくださいよ。全部あなたのせいじゃないですか。私は頑張ってるのに、ぜんぜん認めてくれない…… 才能ないなら生まれてこなければ良かった…… もう近づいてこないで!」
クリスが睨みつけているのは、草の上を跳ねる水色の粘液生物、スライムだ。
スライムは喋らないし、目もない。妄想力を順調に伸ばしているクリスにはいったい何が見えているのだろうか。
クリスは片手を天に、片手を地に向ける。これは天地震撼のポーズ(オフィーリア命名)といって、術のスムーズな行使を補助してくれるらしい。本当だろうか。
「
その指先から紫色の閃光が飛び出てスライムに伸び、その液状の体を焼いて沸騰させた。泡立ちながら体がどろどろに溶けるスライム。
クリスはなおも陰のある顔のままスライムを見下ろしていた。
「いい気味です…… ずっとそうやって地面にへばりついていたらいいんですよ…… あなたには人間の体なんて勿体無い。そうやって溶けていれば私の気持ちも分かるでしょう…… 来世は人間じゃなくてスライムにでもなったらどうですか?」
あのクリスさん、それは人間じゃなくてもともとスライムです。それからもう死んでます。
「
クリスは声高に叫んで、再び紫の光線を放った。スライムの死体に突き刺さって水滴が跳ねる。
強い風が吹く。クリスの桃色の髪が風になびき、ハイライトの消えた目の横顔が見えた。
「ざまあみろ……」
ぼそっと呟く。
こっわ。僕は震えた。
どうやら”復讐心の昂らせ方”にも個性が出るようで、オフィーリアは最近あった嫌なことを叫びながら唐突の責任転嫁を締めとして呪いを発動させる。しかしクリスはもっとねっとりしっとり、メンヘラヤンデレ少女の呪いの日記みたいな言葉を吐き出す。
「やりました! 師匠、神官様! できました!」
クリスは両手を上げて飛び跳ねた。その豹変ぶりに僕はついていけない。怖いよ、クリス……。
「ええ、クリス。さすがです。やはりあなたには――才能がある。私のこの"目"は全てを見通し寸分の狂いもないのですが、その力が証明されてしまったわけです」
ふんすと鼻を鳴らし、右目を手で覆い隠すオフィーリア。
「私、このクラスだったらもっと上に行ける気がします!」
喜びのあまりにクリスはオフィーリアの手を握り、しまいには抱き着いてぎゅっとする。
オフィーリアは驚いて仰け反り、腕はクリスの背中に回すことを躊躇って宙を掻いた後、迷った挙句にクリスのお尻を撫でた。さわさわと表面をさすってむぎゅりと掴む。
そして僕に視線をやり、自慢げに小鼻を膨らませた。
僕は中指を突き立てた。別に羨ましくないし。
……ほんとに羨ましくありません。
「神官様が見出してくれたおかげです!」
「ええ、あなたは私の導きのもとで立派な復讐者になるのです……」
そしてオフィーリアは悪魔のような笑みを浮かべた。クリスの前では常に聖人じみた態度のくせに、顔を見られていない状況ではすぐに本性を出す。クリスを邪教徒に育て上げようという魂胆が透けて見えるようだ。
幸いなことに、クリスの隠しクラス「魔王の卵」のランクは30未満で上昇下降を繰り返している。ハイペースで確認をしているのだが、規則性なく動くのでひやひやが止まらない。
「さて、次は武具に呪いを纏わせる方法を教えましょう」
「はい!」
クリスはようやくオフィーリアの体を離した。彼女のオフィーリアへの信頼がどんどん高まっていくのが分かる。
負けるわけにはいかない。かっこいいところを見せなければ。
僕の心の内側でオフィーリアへのライバル心がメラメラと燃え上がっている。僕は弟子に尊敬される師匠でありたいのだ。こんな成人したてのガキに負けてたまるか。
「復讐者というクラスは基本中衛です。前衛で被弾しながら呪いを込めた武具で戦ってもいいし、後衛から
「万能にして完全無欠…… かっこいいですね!」
「ええ、そしてクリスは剣での戦いを基本とするつもりでよいのですね? それであればこの技術は必須になります」
オフィーリアは懐から太くて長い鉄の棒を取り出した。これは――釘だろうか。ただ釘というにしては大きすぎる。巨大な木造建築などにしか使うことはなさそうなサイズ感だ。いったい何でそんな物騒な物持ち歩いてるんだよ……
「重要なのは、この武具で敵をぶち殺したいと思うことです。手段はなんでもよいという考えではなくて、因縁あるこの武器でこそぶち殺してやりたい。そういう祈りが必要です。まあ見ていてください」
オフィーリアは釘の先を僕に突き付けた。
「この釘で脅された! 縛られて逆さづりにされて、この釘で体中つつきまわされた! 私の涙をこの釘ですくい取って舐めて、『美少女の涙、最高だぜぇ』って! このへんたいっ! 釘なんてありえない! 今度は私がッ! この釘でッ! 復讐してやるッ!」
「…………」
なんだこれ。僕に対する呪いの言葉なんだが。でも冤罪だ。なんて被害妄想力…… ほんの少しの真実を含んでいるのが嫌らしい。
「師匠、そんなことを……?」
クリスが僕を見ている。僕は黙って首を横に振った。きっと僕の目はガラス玉のように透き通って無罪を主張しているはずだ。冤罪です!
オフィーリアは釘を両手でしっかりと握りこんだ。それを天にかかげて、叫ぶ。
「我が憎悪を宿したまえ!
釘が紫色の光を纏って薄く発光する。超常の力を宿したのだ。
「お兄さん、しねーっ!」
オフィーリアは僕に突っ込んでくる。顔はニヤリと笑っているので、本気ではない。
きっとじゃれ合いのつもりなのだろうが、僕はこの機に溜まった鬱憤を晴らすことにした。彼女流に言うならば――復讐だ。
瞳に力を入れれば、オフィーリアの動きは腰の曲がった老人のように緩慢にみえる。
手刀で釘を弾き落とし、腰をかがめて肩からオフィーリアの下半身へタックルし、その大腿部を抱きかかえて、持ち上げる。
軽い体は簡単に地面から浮かび上がった。オフィーリアは僕の肩の上で暴れる。
「ちょっとお兄さん!」
背中を叩いてくるが関係ない。太ももから足首側へ手をスライドさせ、その足首を両手で握り、ぶらさげる。逆さづりだ。
黒いスカートが僕の目の前で垂れさがっていく。血管が透けて見えるほどのきれいな脚だ。
純白のパンツが太陽の光を反射した。ほんの小さな赤いリボンが可愛らしい。
「これで四回目だ」
「へ、へんたいっ!」
ワンテンポ遅れてスカートを抑えるオフィーリア。しかし残念。
「もう目に焼き付いてるから、隠したって意味ないよ。それから――トロすぎる。ほんとにランク7なの? 実はランク4なんじゃない?」
ははは。僕を馬鹿にするからこうなるのだ。何度でも逆さづりにしてやる。
「師匠……」
クリスの桃色の瞳が僕を射抜いていた。
あれ、いったい僕は何を……
「へんたいへんたいへんたいっ! おろして!」
「…………」
僕はいまオフィーリアへの復讐心に囚われていた。ほんとに些細なからかいだったのに、本気で相手をしてしまっている。まさか、これも能力のうちなのだろうか?
自分への復讐心を煽り、ヘイトを集める。ヘイト稼ぎは前衛には重要な技術だ。可能性はあるな……
「私のパンツどんだけ見たいんだ! パンツ魔人め!」
「クリス、僕はパンツ魔人ではない。この女のパンツを見たいわけでもない。これはほんの――悪戯心だ」
「いたずらごころ…… なるほど! さすが師匠! ならセーフですね!」
「どこがですか! アウトですよ!」
クリスが素直で良かった。何にもなっていないような言い訳でしのぐことができた。これでもうしばらく師匠としての威厳も保てるだろう。
強い風が吹いた。
オフィーリアの体が揺れて、咄嗟に僕にしがみついてくる。
当然スカートは抑えを失い花が開くようにふわりと広がって、白いパンツが僕の目の前に降臨した。
この子、いっつもパンツ出してるな……
僕は諦観めいた感情を抱えながら、オフィーリアの罵倒を聞き流した。
▼△▼
「このままじゃ終わりませんからね――」
頬を赤くして睨みつけてくるオフィーリア。黒のロングスカートをぴっちりと抑えている。
「ああ、いつでもかかってくるといい。返り討ちにしてあげよう」
言い合う僕たちの横で、クリスは練習に励んでいる。
僕はフカフカの若草のカーペットの上に座り込んだ。ポケットから携帯食料を取り出して口に放り込む。パサパサして美味しくないが、物心ついた頃から食べ続けている味だ。落ち着きさえする。
「お兄さん、それ、私にもください」
オフィーリアが横にぺたりと座り込んで、僕の携帯食料の残りを指差した。
「何も持ってきてないんです。私に食事を供物として捧げれば、代わりにパンツ見たのを許してあげます」
「許さなくていいよ」
携帯食料を渡す。オフィーリアは早業でそれを口に詰め込み、リスのように頰を膨らませた。
「お兄さん、大好き。一緒に教会滅ぼしましょうね」
すり寄ってくるオフィーリア。触れ合う二の腕の感覚が柔らかい。
僕は色仕掛けには乗らない断固たる決意を見せるべく、彼女の体をゆっくり押した。「あうう」と言って体操座りで横に倒れるが、起き上がりこぼしのように戻ってくる。
「パンツ魔人さんがパンツ見たいって言ったら、いつでも見せてあげる権利をあげます。だから我が神殿に加わってくださいよお」
「僕はパンツ魔人じゃない」
「あ、クラスは変えなくていいですよ。ランク7じゃなくなるのは勿体ないので。特別に教義も覚えなくてもいいです」
それでいいのか、神官よ。
僕はもう一度オフィーリアをこてんと転がした。しかしまた戻ってくる。
今度は僕の背中にむぎゅうと抱きついてくる。肩の上に彼女の頭が乗って、吐息で耳がくすぐったい。
「ねえ、お兄さん、頑張ってる弟子の横で美少女といちゃついて、わるい人ですね。立派な破滅の使徒になれますよ」
うるさい。君がくっついてくるだけじゃないか。めんどくさいので、僕は相手をしないことに決めた。
クリスはぎゅっと目をつぶって精神集中を図っている。抜き放った剣は変哲のない鋼のままで、いまだ力を宿してはいない。
通常の
まあさっきオフィーリアがみせたような妄想をすぐにできるほうがおかしいだろう。だって明らかに常人の思考回路では捻り出せない妄想だったもの。
クリスは根が真面目で善良だ。ここ一年で冒険者として辛い経験を重ねたといっても、根っこが変わるだけではない。あんな狂人の真似はそう簡単にできない。
この技術の習得には苦労しそうだ。
僕は頭の中でクリスに掛けるべき慰めに言葉を練り始めた。
きっとクリスは修行がうまくいかないと落ち込む。それ自体は自然なことだが、彼女の場合は度が過ぎる場合があるので、師匠である僕がフォローしなくてはいけない。
ゆっくりでいいのだ。ゆっくりで――
「やった! できました!」
できたの!?
きっと口に水を含んでいたら噴き出してしまっていただろう。そのくらいの驚き。
クリスは額に汗を浮かべながらも鮮やかに笑い、その剣は紫色の薄光を纏っていた。
「剣の気持ちになってみたんです! そしたら剣の声が聞こえてきて…… 『君には才能があるよ、一緒に強くなろう、僕が友だちになるよ』って言ってくれたんです!」
何言ってるんだクリス。師匠には理解ができません……
クリスの剣は安い店売りの剣で、決して意思が宿るような魔剣ではない。イマジナリーフレンドというやつだろうか。
大丈夫かな……
クリス、友達いないからな……
クリスはどんどん復讐者としての才を開花させていく。坂を転がる雪玉のように、もう止めることはできない。僕を置いてずんずん先へと進んでしまう。
がんばれ、僕!
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