第11話 妄想少女

 僕はオフィーリアとの話し合いを終え、ヴァイオレットへの弁明も終え、クリスへの教導も終え、朝から疲れ果てながらも街の外へ出向いている。


 同行者はクリスとオフィーリア。目的はクリスを鍛えることである。


 僕はそこそこ大きな袋を背中に抱えている。中に入っているのは見通しの水晶だ。逐一クリスの隠しクラス「魔王の卵」のランクを確認し、異常があればすぐに止めるつもりでいる。


「このへんでいいでしょう!」


 先頭を歩くオフィーリアは腰に手を当てて立ち止まった。


 ここは通称”東の草原”。これといった特徴がないのでそう呼ばれている。ここから様々なフィールドに繋がっていて、そこから弾き出された弱い魔物たちがたむろする場所だ。今日はまた一段と風が強い。


 魔物は比較的弱いが、ランク1のクリスは油断すると死ぬ。油断しなくても死ぬ。まあ僕とオフィーリアがいる限りは万一もあり得ないが。


「まずは復讐者の主たる能力、復讐の呪いリベンジ・マジックを実演しましょうか」


「はい!」


「ではクリス、私の腕を軽く斬ってください。私がそれをあなたに返します」


「え、神官様を斬るんですか」


「ふふふ、私を心配するとは勘違いしているようですね。あなたが案ずるべきは自分の身。数倍にもなって跳ね返る私の呪いを受けて立っていられるのかどうか、見ものです」


「そ、そうですか。すいません」


 僕はすっと手をあげた。オフィーリアの使う復讐の呪いリベンジ・マジックは初めて見ることになる。ジヴァーナムのそれはしょぼかったが、オフィーリアも同じかは分からない。クリスを実験台にするわけにはいかないのだ。


「クリス、僕がやるよ」


「えー、お兄さんが受けるんですか?」


 露骨に嫌そうな表情だ。


「……何か問題でもある?」


 僕は右の親指と中指をくっつけ、オフィーリアにだけ見えるように突きつけた。反論は許さない。


「……いえいえあるわけないじゃないですか。それではどうぞ。優しくですよ」


 オフィーリアは袖をまくって腕をさらす。僕は袖の下からナイフを取り出して、その肌に触れさせて撫でる。ほんの皮一枚を裂くだけだ。


「よろしい。クリス、よく見ておきなさい」


 ゴホンと咳払いして、片手を天にかざし、片手を地に向けるオフィーリア。


「すべては因果応報、恨みは晴らされ、両者に破滅が訪れる! 復讐の呪いリベンジ・マジック!」


 長い詠唱と無駄なポージング。これは必要なのだろうか。もし必要なら実用性は低いと言わざるをえない。


 紫色の光が収束し、僕の胸を貫こうと直進し、触れたところで――


 鏡にぶつかったように反射してオフィーリアの胸を貫いた。


「あう! これだから嫌だったんですよ! 高ランクには呪詛は弾かれるので!」


 オフィーリアの腕を見れば、一つ目よりも深い傷跡が刻み込まれている。うっすりと血が滲むほどの傷だ。


 ジヴァーナムが憑依した状態では呪詛返しは起きなかったのだが、オフィーリア本人だと弾くことができるらしい。もともと脅威ではなかったが、僕に歯向かっても何もできないことが証明されたわけだ。


「へえ、ランク7同士でも効く効かないがあるんですね」


 オフィーリアをランク7だと本気で信じているクリス。素直すぎるよ。


「え、ええ…… まあ本気を出したら一捻りですけどねっ」


 ポーションを取り出してオフィーリアに渡す。


「試してみようか? 僕も本気を出せる相手とは随分ご無沙汰していてね」


「しません! それより、今度はクリスがやってみるのです! 一言一句同じ呪文を唱えてみましょう。さあはやく!」


 話題を逸らしたオフィーリアは差し出させたクリスの腕を斬りつけて薄い傷を作った。


「はい、それじゃあ、やってみます……」


 クリスは片手を天にかざし片手を地に向けるあのポーズをとり、緊張した面持ちで口を開いた。


「すべては因果応報、恨みは晴らされ、両者に破滅が訪れる! 復讐の呪いリベンジ・マジック!」


 紫色の光が放たれ、オフィーリアを貫いた。今度は反射されることなく、その腕には三つ目の傷跡が増えている。オリジナルよりも少し深く裂けているだろうか。


「ふふふ、クリス、やはりあなたは才能がありますよ。ランク1で等倍以上の呪詛を扱えるとは、私以上の素質です! ぜひ共に現社会の秩序を崩壊させ――」


 僕は親指と中指を擦り合わせた。音を聞かずともロースくんと僕は思念で通じ合っている。服の下でロースくんがアップを始めたはずだ。


 オフィーリアの笑顔が引き攣る。


「――崩壊させるようなことなく、明るく元気な冒険者になりましょう!」


 むりやりな軌道修正。僕は腕をおろした。


「はい! 神官様! 剣士のときとはぜんぜん違います…… 体もよく動くし、この異能もあれば……」


 クリスは新しい力に高揚しているようだった。まあ当然だろう。魔法的能力を扱うクラスというのは剣士とはぜんぜん違うし、得ている加護の量も桁が違う。


 さて、ここらで一度ランクチェックといこう。背中の袋から見通しの水晶を取り出す。復讐者としての能力を使ったことがどう影響しているか。


「ほらクリス、目を瞑って触って」


 唐突な僕の指示にも素直に応じ、クリスは目蓋を閉じて水晶に触れる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

クラス:復讐者  ランク:1


隠しクラス:魔王の卵  ランク:22

ーーーーーーーーーーーーーーーーー


 変化なしか……


 これは続行だな。


「見通しの水晶なんか持ち出してきて、クラス復讐者でランク1に決まってるじゃないですか? なにをそんなに見てるんですか?」


 オフィーリアが隣に来て水晶の中を覗き込もうとしたので、僕はその額を押さえて近づけまいとする。


「あっちいけ――クリス、もういいよ」


「はい!」


 胡乱な目を向けてくるオフィーリア。クリスの隠しクラスのことは絶対にばれてはいけない。絶対ロクなことにはならないのが分かる。僕はさっさと水晶を袋の中にしまい込んだ。


「気にしないで続けていい」


「ふーん、隠し事ですか。復讐神の神官である私は、嘘も罪も闇の中に覆い隠してあげます。ほら、懺悔なさい」


 オフィーリアは耳に手を当てて頭を近づけてくる。


 この女、いちいち僕をいらつかせてくる。ほんのちょっと前まで逆さ吊りで泣いてたくせに、すぐケロッとした顔に戻ったのだ。面の皮が厚い。さすが邪教徒というべきか。


 オフィーリアを納得させ、かつ二度と水晶を覗いてこなくなるような嘘をつかなくてはいけない。


 少し考えて、僕は口を開いた。オフィーリアの妄想設定に乗っかったうまい作り話だ。


「これは見通しの水晶じゃない。クリスが触れると秩序神からの神託を受けられるんだ。君が見ると目が焼けるから、見てはいけないよ」


「え、お兄さん、秩序神って私の妄想ですよ? ほんとに信じちゃったんですか? その歳にもなって? ごめんなさい…… ほんとはお兄さんは秩序神の使徒なんかじゃなくて、ただの人間なんです。現実みてね♡」


 気づいたら僕の右手はオフィーリアの頭を鷲掴みにしていた。左手は近くにあった小さな耳たぶをちぎれんばかりに引っ張っている。


「いたいいたいお兄さんいたいっ! からかってごめんなさい!」




▼△▼




 クリスになだめられて僕はようやく落ち着きを取り戻した。


 オフィーリアという少女は反社会的な思想を持っているだけでなく、人を小馬鹿にしている。根っからの邪悪だ。


 僕はランク7冒険者になってから他人から罵られたりバカにされるという経験はめっきり無くなってしまった。そのせいもあってかオフィーリアの口撃に耐えることができなかった。


 心はホットに、頭はクールに。冒険者の格言だ。いつの間にか忘れてしまっていたらしい。冷静さを保たなくては。クリスに教えたばかりだというのに。


 あれはきっとオフィーリアの策略。僕を苛立たせて判断力を奪おうとしているのだ。そうして生まれた隙に乗じてクリスをどうこうしようとしているのだろう。だってあれが素だとしたらウザすぎる。僕はオフィーリアへの警戒を強めた。ただの中二病少女ではない。


 二人は仲良しそうに並んで僕の前を歩き、現在は手頃な魔物を探している。早速実戦で試すためだ。


「お、あれにしましょうか」


 オフィーリアが指差したのは八足トカゲ。馬並みに大きく石のように硬い鱗を持った厄介な魔物だ。


「いいですか。少し難しいので、よく聞いてください。復讐の呪いリベンジ・マジックは、直接の加害者以外でも対象にできます。つまり、敵の仲間はみんなまとめて憎い仇敵ってことです」


「敵の仲間はみんなまとめて憎い仇敵……」


「そうです。深くそう信じれば復讐の呪いリベンジ・マジックはどんな敵にでも届きます。例えばこんなふうに……」


 オフィーリアは指で聖印を作り、目を瞑った。


「教徒がぜんぜん増えないのも、私がお腹ぺこぺこなのも、パンツ見られたのも、変なリスに体をかじられてるのも、ぜんぶトカゲのせいだっ! ぜんぶぜんぶお前のせいっ! お前さえいなかったらこんなことになってない! 死ねっ! しねしねしね!」


 カッと目を見開き、聖印を組んだまま少し離れた位置の八足トカゲを指差す。幼さの残る少女なのに、恐ろしい形相だ。なんていうか……関わりたくない人って感じ。


復讐の呪いリベンジ・マジック! 早く死ねっ!」


 指先から放たれた紫の光線が八足トカゲを貫き鱗を溶かして、落雷のような轟音とともにその肉体は爆散した。


 内側から弾け飛んだような凄惨な死体だ。周囲は真っ赤に染まっている。僕とクリスは驚きのあまりに口を開いたまま固まった。


 す、すごい……


 被害妄想だ。復讐でもなんでもない。


 オフィーリアはまったくの事実無根な被害妄想と狂人じみた論理の飛躍によって、魔物を爆殺してしまった。いったいどのような思考回路を持っていれば日常の嫌なことをすべて魔物が悪いのだと信じ込めるのだろうか。ヒステリックな陰謀論者じみている。さすが邪教徒、恐るべし。


「いいですかクリス。こじつけでもなんでもいいのです。自分の中で納得できる理由さえあれば、復讐神は応えてくれます」


「神官様、私、ちょっと自信ないです……」


「大丈夫です。あなたには才能がありますよ」


 聖母のごとく微笑みを浮かべるオフィーリア。豹変ぶりが怖い。話の内容と表情が一致していない。


「必要なのは豊かな想像力。今日からはずっと意識していきましょう。何か嫌なことが起こったら、ぜんぶ誰かのせいにするのです。もちろんそういう訓練です」


 いやだ……


 僕はクリスにそんないやなやつになって欲しくない……


 想像力じゃなくて妄想力だよそれは。


「はい、神官様! 私がんばります!」


 クリス、素直すぎる……


 邪悪な道に前向きすぎるよ。


 僕はここで止めてクラスを放棄させるべきか本当に迷った。しかし悩んで結局様子を見ることにする。隠しクラス「魔王の卵」のランクは今現在下がって落ち着いているのだ。


 また神職クラス探しに戻ったらネガティブなクリスはどんどん落ち込んでいくことだろう。


「私は妄想が得意なので鍛えずとも可能でしたが、あなたはそうではないでしょう。しかし必ずものにできるはず。キーワードは他責思考ですよ」


「……私がなかなかクラスを得られなかったのも、神々が悪い! ――こんな感じですかね?」


「ええ、素晴らしい。神はだいたい無能で独善的で偽善者ぶってる勘違いクソ野郎です。唯一ジヴァーナム様を除いて。ジヴァーナム様に祈りを捧げましょう。聖印の組み方を教えますね」


 大丈夫かな……


 姦しい美少女二人を眺めながら、僕の心は鉛のような不安によって押し潰されそうになっていた。

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